チョン・ユジン(オーマイニュース22.02.15)




集会の準備期間はたった2日だけだった。集会前に記者会見もすることにした。少女像は単純な反日ではなく、人類が相変らず解決できない女性に対する犯罪を象徴していることを示すために非常に慎重に企画した。




去る30年間私たちとともにしてきた「ベルリン女の会(日本)」「ヤジディ教 ベルリン女性協議会」「ドイツ性暴力被害者保護人権団体」「メディカモンディアルレ」と交渉した。 コリア協議会の韓静和(ハン・ジョンファ)代表を含む多様な団体の女性4人が並んで会見場に座っているので心強かった。



2020年10月13日に行われた少女像撤去反対記者会見


この日の記者会見後、少女像の前には記者たちをはじめ、300人余りの人々が集まっていた。 会見後私たちは全員で住宅街を通って区庁までにぎやかに街頭行進をした。




5日の間に1万2000人が署名した声明書を区庁長に伝達すると前日に秘書を通じて通知しておいたが、区庁長が庁舎から出てきて直接私たちを待っているとは思わなかった。市民が区庁長にヤジを送りながら集会は解散した。後にある記者に聞いた話では、区庁長はその日私たちが見せた途方もない波及力に驚いていたそうだ。




区庁長と会う


区庁長は日本側と共に少女像に関連して合意を見るようにという意見を提示した。2週後、区庁長とコリア協議会チームはそれぞれ弁護士を同行して少女像碑文を修正するために会った。日本政府と同様に、区庁長が碑文に書かれた「性奴隷」という単語に対して問題提起した時、2007年ヨーロッパ議会で通過した決議案にすでに「性奴隷」という概念が公式に使われたのを見せるとすぐに彼は困り果てたようだった。(ヨーロッパ議会決議案は27個の国語で翻訳された。思いがけない瞬間に効力を発揮した決議案にあらためて胸がいっぱいになった。)




区庁長は鋭く詰め寄る韓代表に、よく見せたかったのか対話の合間に「少女像関連抗議メールが全世界から届いており、まもなく北極からもメールがくるだろう」さらに「コリア協議会がトランプの選挙キャンプで活躍すればトランプが大統領選挙に勝つだろう」というゾッとするドイツ式冗談を飛ばした。




関連して区庁長は新しい碑文内容を何度も修正して日本政府に提案したが、日本側は修正された碑文に対しては関心がなく、執拗に少女像だけ片づけてくれと言うなど区庁長も日本大使館に失望したという噂もあった。




10月から11月にかけて10回を超える小さい音楽会と集会が開かれた。在米韓国人が組織した少女像前音楽会には常連聴衆ができたりもした。




少女像に対する地域住民の愛着も大きかった。ある日、早朝に電話がかかってきた。少女像前に大きなトラックが停まっていて、少女像を載せて行くのではないか、早くきてみろというのだ。我を忘れて走って行ったところ、大型トラックはただ駐車中であっただけだった。記念碑を建てて守るには地域住民が最も重要だというミッテ区の公務員の話を想い起した。   




少女像撤去反対を案件として出した地域政党


少女像撤去を止めたことは行政法院訴訟、署名運動、全世界の人々の請願書、デモ、そして住民たちの切実な願いだったが、実質的な役割を担ったのはミッテ区議会に属する各政党だった。撤去命令が下るやいなや、議会を構成している多数党である3つの党がそれぞれ私たちに連絡をくれて力になると言ってくれた。




左派党が一番最初に駆け付けた。少数党である自分たちが先んじれば他の党が反対することができる場合があるので少し待ってみようといった。その後社民党が少女像撤去反対声明書を先に出したし、次に区庁長が所属する緑の党が出し、左派党も即時ホームページを通じて反対の声をあげた。区議会は政府次元の国会のような役割を担当するので議会の決議案採択は重要な役割をしたと見られる。




 その年(2020年) 11月5日開かれた地域議会で、海賊党が出した少女像案件が賛成27票反対9票で可決された。予定通りに1年間その場に存続されなければならないという内容だった。




やはりこの日提出された左派党と緑の党の「少女像永久存続決議案」は時間の関係上扱われず、1ヶ月後である12月1日に延期された。このひと月間ドイツのメデイアでは少女像関連記事、戦時および日常における女性に対する性暴力問題を主題にした記事があふれたし、このことはドイツ社会に大きな波紋を起こした。




▲第二次大戦当時、日本駐留国に居住していたオランダ、ドイツなどヨーロッパ国籍の女性たちに対する日本軍の性暴力事実を報じたドイツメディアの一記事。 少女像に関してドイツ外務省の介入事実などが報じられた。



 同日の11月5日、日本の名古屋市の市長がミッテ区庁長に「少女像は芸術作品でなく政治的主張を表現していてこのまま放置すればドイツと日本の友好関係に大きな損害となる」という手紙を送ったと報道された。次の地域議会の時「少女像永久存続案件」を通過させるためには市民の結集した力をもう一度見せる必要があった。




11月25日はちょうど国連が定めた女性に対する暴力撤廃の国際デーで、他の女性人権団体らと共に大規模集会を企画した。まさにジェンダルメンマルクト広場を舞台に400個の椅子を設置することにしたのだ。集会参加者の隣の空いた椅子は少女像の椅子を連想させると同時にコロナによる間隔維持防疫規則を守るという妙案だった。




コリア協議会が創立されて以後最も大きいデモであり、その中でも一番多くの費用がかかったデモでもあった。全世界の市民らが相当な金額を募金してくれたからこそ可能なことだった。(4へ続く)



2020年11月、女性に対する暴力撤廃の国際デーに開かれた少女像撤去反対集会〈私たちが少女像だ〉、ベルリンの観光スポットであるジェンダメン広場



世界中の市民の寄付で団体史上最大の集会を行った。



(訳 方清子)





1 撤去命令を阻止したベルリンの少女像・・・終わっていない物語 平和の少女像を守る人々(1)https://www.restoringhonor1000.info/2022/01/1.html


2 「ベルリンよ、勇気を出せ」 少女像の傍らに立つドイツ人たち 平和の少女像を守る人々(2)

4 少女像を守った・・・その後のドイツ自民党の「不可解な」提案 平和の少女像を守る人々(4)

https://www.restoringhonor1000.info/2022/03/blog-post_30.html

 

 

5 ミッテ区で少女像の永久設置を提案したが、返ってきた答えは・・・  平和の少女像を守る人々(5  

https://www.restoringhonor1000.info/2022/03/blog-post_22.html