〈ベルリン・ミッテ区〉ミッテ区で少女像の永久設置を提案したが、返ってきた答えは・・・ 平和の少女像を守る人々(5)
オーマイニュース 22.3.18
ベルリン・ミッテ区の平和の少女像撤去命令を押しとどめて広く名前を知られた「コリア協議会」は創立30周年を過ぎたドイツの韓国系市民団体だ。少女像以外にも南北の政治、社会、文化、分断と統一、国際交流、教育、移住民など広範なテーマで活動する。ベルリンで「コリア協議会」という名前で生きる間、言い尽くせない話が多い。この紙面を借りてより良い世の中のためにドイツ社会のど真ん中で孤軍奮闘している素朴だが野心に満ちた市民団体の話を連載する。私たちの物語がまだ声を探せない人々の人生に深く触れることを願う。 (編集者のことば)
先日の記事「少女像を守った・・・その後のドイツ自民党の『疑惑の』提案」に続きます。
ドイツ自民党が出した普遍的記念碑のための芸術公募展案件は幸い時間不足で2021年3月9日に開かれる芸術分科会に持ち越された。区議会でわずか3席だけの自民党の提案なので採択されないだろうと気にも留めないでいた。
そうした折り3月8日、世界女性デーが近づいていた。女性デーの2日前である6日に開催された集会にはドイツ全国組織女性団体である「コラジー」をはじめ様々な団体とともに少女像を出発点として行進を開始し、ミッテ区庁前広場に集結する日程だった。コリア協議会会員のうちの1人がデモに参加したミッテ区芸術分科委員会議長であり社民党議員であるベレナ・ノイマンさんを見つけて、コリア協議会の韓静和(ハン・ジョンファ)代表に耳打ちをした。
今まで少女像を支持してきたこの議員は、本来、本人は自民党を支持しないけれど、この案件(注:ドイツ自民党が出した普遍的記念碑のための芸術公募展案)だけはとても良いといった。ミッテ区内で最大議席を占めている社民党もこの案を支持することにしたということだった。社民党が支持するということは、この案件が通過するだろうという意味だった。韓代表は大急ぎで家に駆けつけ、芸術分科会議が開かれる前、夜通しで公募展の限界と自民党の隠された意図を知らせるEメールを作成して各党に伝えた。
3月9日、本来公開で行われる区議会会議はZOOMプログラムを通じて韓・日メデイアも動員した中で進行された。韓代表は2018年、日本大使館の妨害でボンに位置する個人の女性博物館で少女像を建てようとしてあきらめ、その代わりに性暴力をテーマにした芸術公募展を開いたが、その公募展から選抜された彫刻品の写真を共有しながら、芸術的表現が容易ではないことを議員らに警告した。
自民党区議員もボンの造形物が別段良くないと認めた。緑の党と左派党はこの案件に反対したが、結局社民党の支持でこの提案は通過してしまった。後で芸術公募を通じて少女像が外されることもあるという当惑すべき状況がつくられたのだ。
当日の会議にはバイスルロ議員とミュラー・ティシュロ議員が参加して少女像に関連したコリア協議会とミッテ区の合意内容を報告する場面があった。当初から少女像を建立を支援してくれた2人の女性公務員は、この日ずっと質問を回避して何の代案も出さなかった。ミッテ区の中途はんぱな態度と当時9月に予定されていたベルリン地域選挙日程で、このままでは少女像が大変ことになり得ると判断した左派党が3月18日、緊急案件として「平和の少女像安全保障案」を発議した。結果は39人が賛成で13人反対だった。
少女像を永久設置する方案を準備して実行する時まで少女像の安全を保障するために今の場所での設置許可をずっと延長せよとの内容だった。これで二度の少女像永久存続案はいずれも左派党が主管したことになった。特に左派党のティルロ・ウルフス議員はドイツ社会がまず戦時女性暴力を追慕する記念碑を建てるべきとして、私たちが先に立てたことに謝意を表しさえした。
実際、ミッテ区区議会は少女像の永久存続決議案が通過から6週後、すなわち2021年5月10日までミッテ区長へコリア協議会とともに永久存続方案を模索せよと言った。だが、ミッテ区庁からはまったく連絡がなかった。なぜ連絡がないのか理由が分からず、気持ちが焦っていたところ、ついに4月23日担当者から電話がきた。
非常に親切でやさしく「少女像の位置を市内の中心に、より多くの人々が集まる場所に移すのはどうか」と尋ねてきた。あわせて「韓国大使館の前や韓国文化院前など韓国と関連があるか、女性の人権を象徴する機関の前も考えてみなさい」と言う。これがどういうことなのか。ミッテ区庁は実際にブランデンブルク門を含むベルリン観光中心地を管理しているからだ。
適切な場所を探した韓代表はインターネットで偶然に2016年ミッテ区の公文書を発見した。あまりにも多くの記念碑や芸術品の寄贈があるので寄贈は受けないが、例外的に永久賃貸は可能だという公文書だった。電話通話以後2人の女性担当官と1回目のオンライン面談を持った。2人の担当官は「少女像が公共敷地にあってとても苦情が多いので教会や聖堂のような名所の前にたてればどうか」と尋ねた。すなわち、私有地に移せとの意味だった。
韓代表は少女像を教育用として使っていて、管理もしなければならないから、少女像はコリア協議会の日本軍「慰安婦」博物館付近でなければならないといった。韓代表はまた、ミッテ区に少女像を永久賃貸することを提案した。2人はそれでも期限は書かなければならないからひとまず「最小」 2年と書いて延長申込書を提出せよと言った。
その言葉を信じて延長申込書を提出した。そう話した担当官らが実は当時ベルリン全地域のプロテスタントおよびカトリック教区にミッテ区の少女像を移転設置してほしいという公文書を送ったということを知った時の背信感といったら・・・ 。あらゆる努力にもかかわらず、8月30日に届いたミッテ区からの回答には膝から崩れ落ちてしまった。
少女像設置は再び1年だけ延長し、さらにひどいことに芸術委員会の審議を通過した造形物は最大2年だけ展示することができると最初から釘をさされたからだ。
担当公務員たちは最初はひとまず少女像を建てておいて、住民たちの反応が良ければ延長が可能だといったが、少女像の永久存続を防ぐために新たにつくった法案だったようだ。昨年に一度、1年申請が延びた少女像は、これによって公式に2023年9月28日までに限って保存が許可された形だ。 (つづく)
1 撤去命令を阻止したベルリンの少女像・・・終わっていない物語 平和の少女像を守る人々(1)
https://www.restoringhonor1000.info/2022/01/1.html
2 「ベルリンよ、勇気を出せ」 少女像の傍らに立つドイツ人たち・・・平和の少女像を守る人々(2) https://www.restoringhonor1000.info/2022/03/2.html
3 ベルリン少女像撤去危機、真っ先に駆けつけた左派党の選択 平和の少女像を守る人々(3)https://www.restoringhonor1000.info/2022/02/3.html
4 少女像を守った・・・その後のドイツ自民党の「不可解な」提案 平和の少女像を守る人々(4)
https://www.restoringhonor1000.info/2022/03/blog-post_30.html