〈ベルリン・ミッテ区〉少女像を守った・・・その後のドイツ自民党の「不可解な」提案 平和の少女像を守る人々(4)
オーマイニュース2022年3月7日
ベルリン・ジェンダルメンマルクト広場は都心の中央に位置した観光名所で、クラシックと教会の鐘の音が似合う高尚な場所であるはずだ。だが、ここはまた、ドイツ外交部が近く、少女像をとりまく日本とドイツ、両国政治家たちの不当な圧力行使に抗議するのにも的確な場所だ。
頬には赤い線を引き、頭には花冠を被った女性たちが集会の司会をして、広場では「X」字のマスクをした市民が椅子を埋めていた。少女像は社会的・文化的雰囲気により数十年間沈黙を強要されてきた被害生存者がついに沈黙を破って世の中に向かって公開証言をして正しい問題解決を求めたその勇気を賛える意味が含まれている。また家父長制および男性中心の社会構造によって相変わらず持続している日常的な女性への性暴力の連鎖を断とうとする意味もある。このような少女像を撤去するということは再び女性たちに沈黙を強要することに等しいとの認識があった。
こうして日本軍「慰安婦」問題の本質を隠して反人権的、帝国主義的歴史を消そうとする両国の試みは、今一度生きている覇権主義的権力がどのように被害生存者らと現在の被害者を沈黙させたのか実感できるように復習させた。マスクの上の「X」字は、この強要された沈黙に、ともに抵抗しようという意味だった。
広場は持ち出した車で暖を取りながらスローガンを叫ぶ市民らと、舞台上の弁士たちの発言で精一杯熱くなっていた。ISによる戦時性暴力被害に対して戦っているイラク少数民族、ヤジディ教女性委員会代表アルキー・ヌレが舞台に上がって少女像の永久存続支持発言をした。アリス・サルロモン大学教授ニベティ・タプラサドゥはベルリン市のまん中に少女像をもう一つ建てようと話して市民の拍手喝采を受けた。
ドイツ外交部、ベルリン市、ミッテ区庁長を風刺した演劇公演に続き、重要な集会ごとに力を湧かせてくれる2世のプンムル会「トゥドゥル ソリ」の楽器の音が広場をいっぱいに拡がった。会を終えた市民はプンムル隊を前面に立てて、2020年11月25日女性に対する暴力撤廃の国際デーデモの群れと共に通りを闊歩した。外交部に向かう街頭行進だった。
2020年12月1日、左派党と緑の党が提出した少女像永久設置案が通過した。賛成24票に反対は5票に過ぎなかった。海賊党による決議案通過後、少女像撤去命令を公式化しないで生ぬるい態度に出た区庁長は、この日地域議会会議場で議員から非難を浴びた。コリア協議会に撤去命令を直接知らせないで新聞記事を通じて分かるようにしたことがその理由だった。区庁長は消え入る声ですでに撤去命令を撤回したのでまもなく通知がいくだろうと釈明した。
ベルリン・ミッテ区で地域議会会議場の前で開かれた少女像永久存続のための市民キャンドル集会
12月3日、その時始めて行政法院で少女像撤去命令を撤回するという公式通知がきた。皆を喜ばせた少女像永久設置案は通過したが、それでも闘いは終わらなかった。解決の鍵を握っているミッテ区で実務者はびくともしなかった。組織構造より実務者、担当者が最高であるドイツ式行政文化の神髄を見るようだった。
その年12月20日、日本の自民党議員82人が「少女像が日本の尊厳に傷」を与えたとして撤去支持声明を出した。ミッテ区議員がこの消息を聞いて心が揺れないだろうかとぎょっとした。幸い日本学科教授らと良心的な日本海外同胞の請願で極右議員の行動であることが明らかになって無事に乗り越えた。
ミッテ区は社民党、緑の党、左派党、すなわち進歩的な三党の連合政府で、この党の議員が旧議会議席数の過半数を占めているので今まで少女像が撤去されなかったと見られる。過去メルケル首相が属した保守党であるキリスト民主党と自民党は少女像存続に反対していた。この二つの党は地域議会でそれぞれ4席と3席だけを占めていたので大いなる幸甚だった。
この少数党議員まで我が方に引き込むために努めてみることもした。国内民主化運動と日本軍「慰安婦」運動を後援してきたキリスト教機関布教部責任者にキリスト民主党議員に会うように要請したし、日本の自民党と親密なドイツ自民党を説得するためにこの人、あの人と尋ねて、電話による通話も試みた。
しかしドイツ自民党は結局2021年1月28日、「奇怪で怪しげな」案件を出した。すべての戦時性暴力犯罪を象徴する普遍的な記念碑のために芸術公募展を開こうということだった。
ベルリン少女像の前に市民が置いて行った絵本。<幸運を祈るから!>が置かれている。
女性に対する性暴力関連専門団体であるコリア協議会を芸術公募展審査委員として委嘱するという、肯定的に聞こえる内容まで含まれていた。
ところが芸術公募関係者に話を聞いてみるとこの案件は実はとても「卑劣な提案」という。すなわち、コリア協議会が審査をすることになれば自動的にコリア協議会の名前では作品を出品できなくなるので、少女像を公募展に出せなくなくさせる策略というもの。また、少女像は「普遍的」ではないので、他の記念物で少女像に替えようという意図が隠されていた。 (5につづく)
(訳 方清子)
〈原文〉
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002815328
1 撤去命令を阻止したベルリンの少女像・・・終わっていない物語 平和の少女像を守る人々(1)hhtps://www.restoringhonor1000.info/2022/01/1.html
2 「ベルリンよ、勇気を出せ」 少女像の傍らに立つドイツ人たち・・・平和の少女像を守る人々(2) https://www.restoringhonor1000.info/2022/03/2.html
5 ミッテ区で少女像の永久設置を提案したが、返ってきた答えは・・・ 平和の少女像を守る人々(5)
https://www.restoringhonor1000.info/2022/03/blog-post_22.html