「慰安婦」問題に対する韓国の保守・右派勢力によるバッシングは留まるところを知りません。

毎週ソウルの水曜デモの現場に現れ、大音量で被害者を貶め、支援者を罵倒し、少女像撤去を要求するプラカードや日章旗を振りかざす極右勢力、国会では前正義連代表の尹美香議員に対してありもしない罪をもって議員除名処分に追いやろうとしています。



30年間被害者と共に日本をはじめ国際社会に「慰安婦」問題の解決を訴え、日本の責任を問い続けた尹美香議員バッシングの背景に一体何があったのでしょうか。



昨年6月と8月MBC放送ドキュメンタリー番組『PD手帳』で驚愕の事実が明かされました。

元国家情報院職員であり、海外工作官だった人物の証言によって国家情報院が日本軍「慰安婦」問題の隠蔽やバッシングに関わっていた事実が明かされました。



国家情報院から拷問調査を受けたうえに、免職処分となった元工作官が国情院を訴えた裁判が現在進行中です。


以下は公判の記録と国情院の闇に迫った番組での証言をさらに追った報道です。


これまで「慰安婦」問題解決のために日韓市民は連帯してきましたが、今や日韓の極右、親日勢力が手を結び、背後には国家権力の存在も指摘されています。日本の市民としてもこうした事実を明らかにし、連帯した力でうち破ることが求められているでしょう(全国行動)。




※参考:韓国MBC放送PD手帳「不当取引-国情院と日本の右翼」  (2021.8.10放送)


https://www.restoringhonor1000.info/2021/08/mbc2021810pd.html







MBC「記者手帳」 国情院の工作員が暴露した「白い部屋」事件、そして尹美香


  チエ・ジヒョン記者 2022.2.15




MBC 記者手帳で国家情報院が日本の極右勢力を利用して日本軍「慰安婦」運動を妨害する姿を再現した場面。ⓒPD手帳キャプチャ




「(PD手帳では白い部屋を)あまりにも大きく作っていた。実際にはあれよりももっと狭かった」




 MBCの調査報道番組「PD手帳」の「国情院と白い部屋-工作官たちの告白」編で情報提供者として登場した元国家情報院海外工作官Hさんの証言である。Hさんは国家情報院長に対し職権免職処分取消訴訟を起こし、現在、ソウル高裁で控訴審判決(3月23日)を控えている。Hさんは1月19日の弁論で白い部屋について証言した。




 Hさんは李明博-朴槿恵政府の時に日本で活動していた国情院の海外工作官である。国情院で25年間働きながら表彰状までもらった人物だ。そんな人物が2015年1月28日から30日まで3日間、国情院庁舎内にあるいわゆる「白い部屋」に一日中閉じ込められて「拷問」に準じる非正常な監査を受けたと番組の中で暴露し、社会に波紋を起こした。




 彼は監査を受けた後、職権免職処分を受けて職場を去ることになった。彼が起こした訴訟は、この職権免職処分の取消を求めるものだ。訴訟の核心的な争点は、彼が受けた監査が正当か否かということだ。




「監査ではなく、拷問だった」



 国情院はHさんが日本で活動した後で作成した経費証明書類と実際の支出が一致していなかったため監査をしたと主張している。当時の国情院の監査責任者で監査室長だったDさん(退職)は昨年11月18日、証人尋問に臨んで「Hさんがスターバックスで一定期間に予算を不正に使用した回数があまりにも多いという監査官からの申し立てがあった」とし、「1,2件ならばミスということもありうるが1年間に(使用可能限度を超えたのが)30回にもなるというのは非常に意図的なものだ」と主張した。ただし、その額は大きくなかったという。




 しかしHさんは「これは会計監査ではなく、2015年度下半期の海外拠点監査だと監査官は言ったし、私の上司もそう言った。1年に1度おこなう総合監査だった」とし、「ところが国情院の監査規定ではありえないことが起きた。普通の監査とは距離の遠いものだった」と反論した。




 Hさんは自身の容疑を全面的に否認し、国情院が自身を懲戒するために虚偽をでっち上げたと主張した。




 「(監査官が)私が言うとおりに書かなければ『監査拒否』で処理すると言った。そして『私はコーヒーマニアなので歴史運動団体の○○○さんに会ってコーヒー専門店でコーヒーを飲んだ後、その(使用可能限度)額よりも多額の現物を詐取した』と書けと強要した。私が、どんでもない、そんなことは書けないと主張すると、さまざまな脅迫と罵声を浴びせた」




 Hさんは、自分は「コーヒーマニア」でもないし、詐取したこともないと言い、領収書をよく見せてくれと要求したが、監査官がきちんと見せてくれなかったと主張した。




 当時Hさんは狭い部屋に閉じ込められてびくともできない状態だった。身体的にも、心理的にも圧迫されていたのである。番組を通して社会問題となったあの「白い部屋」で。




 国情院は「机2台と椅子は一般的な商品で、身体に抑圧を与えることはない」と主張している。「PD手帳」が再現した「白い部屋」の様子を見た監査責任者Dさんは、法廷で「まったく事実ではない。荒唐無稽だ」と述べた。Dさんは「そこは密室ではなく一般的な場所だ。そこには窓もあって、まったく問題はない」とし、「白でも、赤でも、黒でもなかった」と付け加えた。彼は「空間は広くはない」としながらも「狭いというのは相対的なものではないか」と聞き返した。




 これに対し裁判官が「縦横2メートル程度の大きさか」と具体的に質問、Dさんは「その程度だ」と返答した。裁判官が「であれば机と椅子を置いたらいっぱいだと思う」と言うと、Dさんは「そうだ、その程度と考えてもらえればいい」と答えた。実際の空間が非常に狭いことを認めた形だ。裁判官も「狭い部屋のようだ」と言った。




 白い部屋に閉じ込められた当事者であるHさんは、身体に強力な圧迫を受けたと言い、国情院の主張を一蹴した。




 「私がいた白い部屋は会議室の中に電話ボックスのようにつくられた場所だった。私の後ろだけが壁だった。中に入ると小学生が使う机2台がくっついていて、空間が非常に狭く、机が椅子の肘掛けに乗っかっているような状態だった。片方ずつ足を入れ込むようにしてやっと座ったが、腹が机に押さえられる格好になった。左右に動くことができない状態




 そんなふうに事実上の「監禁」状態にあったHさんは結局、その状況から抜け出すために監査官の要求をある程度聞き入れることにしたという。




 「結局(文句を)調整して、『私は誰々に会ってコーヒータイムを持ったが、違法なことはしていない』と書くことにした。ところが『詐取』という文言を必ずいれなければ監査が終わらないと言うので『現物で詐取したことはない』と書き直した。すると今度は保安覚書を書かなければ終わらないと前言を翻した。そこにずっといたら死にそうだったので、監査の過程であったことを第3者である職員を含め誰かに漏らしたら厳重処罰を受ける、と書いた。28日に一晩で3通以上の書類作成をした」




 そんなふうに「異常な監査」が終わったと思ったが、Hさんは翌日も、その翌日も、「白い部屋」に呼ばれて監査をまた受けなければならなかった。3日間ずっと「白い部屋」に閉じ込められていたのである。




 二日目には「1年間、誰に、いつ、どこで会って何を食べたか時間逆順で書いて、それをまた今度は時系列で書け」といった無理な要求も受けたという。領収書と対照して違うことが出て来ると「横領」と見なして懲戒するという意味だ。




 国情院はHさんが面談開始後すぐに頭痛を訴えて面談を拒否したので面談はすぐに中止されたと主張したが、情報提供者は「監査を拒否したことはない」と一蹴した。「監査拒否」は懲戒事由であるため監査を拒否することはできなかったということだ。むしろ「監査拒否と見なす」という脅迫を受けたとHさんは主張した。




 「これまでの人生ではじめての症状が身体にたくさん出たので、それを訴えたが、監査を中断せずに脅迫し続けた。『監査を拒否したらおまえは重い懲戒を受ける』と言って、私が休憩を求めたり、国情院の中にある診療室で診療を受けさせてほしいと要求したりしても、全部拒否された」




 その後Hさんは異常な症状があって病院に行ったが、自殺衝動などの懸念があって直ちに入院させなければならないと言われ入院した。乖離障害の診断を受けたのだ。




 「あのときに(白い部屋で)受けたのと似たような心理的刺激を受けると意識が途切れたり動作が止まってしまう。主にエレベーターの扉が閉まる時に、意識も、身体も固まる。公共交通を再び利用できるようになるまで3年かかった。何に乗って行っても意識が途中途中で切れて戻って来られなくなるからだ。夜中に道峰山(トボンサン)のてっぺんで意識が戻ったこともあった。私がなぜそこにいるのかも分からなくて……。その前には、そんなことはまったくなかった。診断書を見たら、狭い空間にいたことが原因だろうと書いてあった」




 Hさんは「白い部屋」で自分が受けた監査は「拷問」に等しかったと語った。彼は「あそこにいると何も考えられなくなる。ここから出たい。どうやったら出られるんだろう。そんなことばかり考えていた」と涙声で語った。




 Hさんが職権免職処分を受けたのは「休職期間満了なのに復職しなかった」という理由からだった。しかし、Hさんは「復職しなければ職権免職になることを知らなかったのか」という国情院側弁護人の質問に「(休職ではなく)病気休暇処理をして欲しいと言ったが、国情院が回答してくれなかった」と言い、「(むしろ私に)自分から辞めろと言った。『出勤するか、辞職するかしろ。そうしなければおまえはクビだ。公務員年金をすぐにもらえるようにしてやるから辞職しろ』と繰り返し要求してきた。私は回復したら復帰できると言った」と返答した。




 Hさんは白い部屋にいたことを国情院の観察室に申告したが、帰ってきた答えは職権免職だったという。




 これについてDさんは証人尋問で「私が課長をよんで(Hさんが)精神病院に入院したらしいから調査はやめようと言った」とし、「家庭が壊れるかもしれないと思い、人として配慮して(調査)はやめようと言って不問にした」と述べた。彼は「国情院長に報告したか」というHさん側弁護人の質問に「口頭での報告だったので報告書はない」と述べた。政権交代と共に退職したDさんは、後からHさんが職権免職になったということを聞いたと言い、責任を回避した。




国情院の国内政治への介入と歴史歪曲を告発して侮辱された海外工作員




 では「おかしな監査」は一体どうして始まったのだろうか。これがすべて事実だとしたら、なぜ国情院はHさんに難癖をつけて追い出すことに血道を上げたのだろうか。これが、この事件の最も重要な点だ。Hさんは当時、国情院の監査責任者だったDさんとの関係をその出発点として上げた。




 「Dさんは海外工作を政治ゲームに引き込んだ人だ。2014年、新たに赴任した李丙琪(イ・ビョンギ)国情院長に私が報告したことがあり、(元世勲前国情院長のときに)国情院の海外工作を政治に引き込んだことを批判したことから、Dさんと対立関係が生じた。Dさんが来て『組織の秩序を乱すのを黙って見過ごすわけにはいかない』と私を脅迫した。そこで私が『そういうことがあるなら私が観察調査を受ける。観察に回してくれ』と言うと、苦々しい顔をして出て行った。その後、監察官室に出頭するよう指示を受けた」




MBC PD手帳で国家情報院が日本の極右勢力を利用して日本軍「慰安婦」運動を妨害する姿を再現した場面。ⓒPD手帳キャプチャ

写真上字幕「私が大阪勤務に行く前のことでした。『あの女が行くところに下着まで脱がせろと言え』」

写真下字幕「その方が尹美香さんだったそうです」




 Hさんが李丙琪(イ・ビョンギ)国情院長に報告した問題は「PD手帳」で詳しく扱われている。昨年6月に放送された「国情院と白い部屋-工作官たちの告白」と8月に放送された「不当取引、国情院と日本の極右」だ。両番組に情報提供者として出演したHさんは以下のように述べた。




 「李丙琪国情院長に報告する機会を得て、大勢の職員が見ている前で口頭で報告した。2つのことを話した。一つは、元世勲(ウォン・セフン)院長時代に不適切に政治に関与して、われわれ海外情報領域を国内政治に動員する過ちをおかした人々に関する問題を指摘した。もう一つは、日韓関係のために何をすべきかに関する話をした。日韓関係の根本問題は歴史的事実を日本側が認識できないことにある」





 前者は2012年の大統領選を控えて海外ではじめて実施された在外国民投票に「従北左派勢力」が参加できないように、国情院が旅券発給を妨害した事実を指摘したもので、後者は国情院が日本の極右勢力を支援して日本軍「慰安婦」被害者の活動を妨害する一方で、屈辱の日韓「慰安婦」合意まで推進したことをさしている。それこそ国家を根こそぎ揺さぶる問題だ。これらのことが事実だとしたら、情報提供者Hさんは国情院の過ちを内部で告発したために酷い目に遭ったということになる。





 Hさんは法廷で「私は祖国のために闘ったのに、祖国に罪人扱いされたということが……、私が闘うべき対象だった北朝鮮や日本の極右に(こういうことを)されたとしたならば、こんな思いはしなかったはずだ」と述べ、しばらく泣き続けた。




 Hさんは番組の中で「『慰安婦』被害者の辛さや悲しみ、苦痛に対して、その時代を経験していない者が勝手に合意という名の下に免罪符を与えることはできないと思う。(ところが免罪符を与えてしまった)国と組織に対し後で誰かが振り返って『はたしてあれは正しいことだったのか』と問うたとき、私は『抵抗した人々がいた』と一行残したかった」と語った。そんなHさんの「抵抗」は意味ある結果につながるのだろうか。




 2017年の第19代大統領選挙で文在寅政権への政権交代が実現して、国情院の国内政治への介入は法的に禁止され、日韓「慰安婦」合意は被害者が受け入れられなかったという理由で事実上無力化された。いずれにせよ良い結果だった。 




 しかしもう1カ月も残っていない第20代大統領選挙を控えて暗雲が再び影を落としているような気がしてならない。日本軍「慰安婦」被害者たちと共に長い歳月運動してきた尹美香議員が国会から除名される危機に瀕しているからだ。




 2020年4月の総選挙直後、当時国民の力党の郭尚道議員(クァク・サンド、大庄洞(テジャンドン)ゲート一味から50億ウォンを受け取った容疑で現在は国民の力党を離党)を先頭に立てた野党と保守メディアの無差別な攻撃によって尹議員は日本軍「慰安婦」運動に対する後援金と支援金を横領した「魔女」とされ、第20代大統領選挙を控えて世論が不利になっている与党はそんな尹議員をこれ見よとばかりに率先して国会から除名しようとしている。尹議員が無実を訴えており、彼女に対する裁判所の判断が出てもいない状態なのに、である。これは、尹議員個人を超えて、韓国挺身隊問題対策協議会と正義記憶連帯の正当性に傷をつけている。




 尹議員はHさんが暴露した国情院の日本極右勢力支援によって被害を受けた当事者でもある。国内外の日本軍「慰安婦」被害者支援団体が「尹議員除名は日本の極右勢力だけ喜ばせること」だとして国会除名推進に反発している理由だ。もしかしたらHさんも、これを見ながら同じことを考えているかもしれない。




(訳 梁澄子)




〈原文〉

[기자수첩] 국정원 공작원이 폭로한 ‘하얀방’ 사건, 그리고 윤미향



MBC PD수첩에서 국가정보원의 이른바 하얀방을 재현한 모습. ⓒPD수첩 방송 캡처


“(PD수첩에선 하얀방을) 너무 크게 만들었어요. 실제론 저것보다 더 좁았어요.”

MBC 탐사프로그램 ‘PD수첩’의 ‘국정원과 하얀방-공작관들의 고백’ 편에서 제보자로 등장했던 전직 국가정보원 해외공작관 H씨의 추가 증언이다. H씨는 국가정보원장을 상대로 직권면직처분 취소 소송을 제기해 현재 서울고등법원에서 진행 중인 항소심 선고(3월 23일)를 앞두고 있다. H씨는 지난 1월 19일 공판에 출석해 하얀방에 대해 직접 증언을 했다.

H씨는 이명박-박근혜 정부 당시 일본에서 활동했던 국정원 해외공작관이다. 국정원에서 25년 동안 일을 하면서 표창장까지 받았던 그였다. 그런 그가 2015년 1월 28일부터 30일까지 3일간 국정원 청사 안에 있는 이른바 ‘하얀방’에 하루종일 갇혀서 ‘고문’에 준하는 비정상적인 감사를 받았다고 방송을 통해 폭로하면서 사회적 파장을 일으켰다.

그는 감사를 받은 이후 직권면직 처분을 받아 일터를 떠나게 됐다. 그가 제기한 소송은 이 직권면직 처분을 취소해라는 것이다. 소송 재판의 핵심 쟁점은 그가 받은 감사가 정당하냐, 부당하냐는 것이다.



“감사가 아니라 고문이었다”

국정원은 H씨가 일본에서 활동한 이후 작성한 예산 증빙서류와 실제 지출이 일치하지 않아서 감사를 했다고 주장하고 있다. 당시 국정원 감사 책임자인 감사실장이었던 D씨(퇴직)는 지난해 11월 18일 증인 신문에 출석해 “H씨가 스타벅스에서 일정 기간 동안 예산을 부정사용한 횟수가 너무 많다는 감사관의 건의가 있었다”며 “한두 건은 실수할 수 있는데 1년 동안 (사용가능 한도를 넘은 게) 30회가 나온 건 굉장히 의도적인 것”이라고 주장했다. 다만 그 액수는 크지 않았다고 한다.

하지만 H씨는 “이건 회계감사가 아니라 2015년도 하반기 해외거점 감사라고 감사관도 말했고, 제 상급자도 말했다. 1년에 한 번 하는 종합감사였다”며 “그런데 국정원 감사 규정에선 있을 수 없는 일이 벌어졌다. 정상적인 감사와 거리가 멀었다”고 반박했다.

H씨는 자신의 혐의를 전면 부인하며, 국정원이 자신을 징계하기 위해 거짓으로 꾸며낸 것이라고 주장했다.

“(감사관이) 내가 부르는 대로 안 쓰면 ‘감사 거부’로 처리하겠다고 했다. 그러면서 ‘나는 커피 매니아라서, 역사운동단체를 하는 OOO씨를 만나 커피 전문점에 가서 커피를 마신 후에, 그 (사용가능 한도) 액수보다 큰 현물을 사취했다’고 적으라고 강요했다. 제가 말도 안 된다고, 못 쓰겠다고 주장했더니, 여러 가지 협박도 하고 욕도 하더라.”

H씨는 자신이 ‘커피 매니아’도 아니고, 사취한 적도 없다면서 영수증을 자세히 보여달라고 요구했지만 감사관이 제대로 보여주지 않았다고 주장했다.

당시 H씨는 좁은 방에 갇혀 옴짝달싹도 못하고 있는 상태였다. 신체적으로도, 심리적으로도 압박을 받고 있었던 것이다. 방송을 통해 사회적 문제가 된 그 ‘하얀방’이었다.

국정원은 ‘두 책상과 의자는 동일한 일반 상용품이며, 신체에 억압을 주지 않는다’고 주장했다. ‘PD수첩’이 재현한 ‘하얀방’의 모습을 본 감사 책임자 D씨는 재판에서 “전혀 사실이 아니다. 황당무계하다”고 말했다. D씨는 “거긴 밀실이 아니라 일반적인 곳이다. 거기에 창문도 있어서 전혀 문제가 되지 않는다”며 “하얀색도, 붉은색도, 검은색도 아니었다”고 부연했다. 그는 “공간은 넓지 않다”면서도 “좁다는 건 상대적인 것 아닌가”라고 반문하기도 했다.

이에 판사가 ‘가로 세로가 2미터 남짓 정도 되는 크기냐’고 구체적으로 물었고, D씨는 “그 정도”라고 답했다. 판사가 ‘그러면 책상과 의자를 놓으면 꽉 찰 것 같다’고 말하자 D씨는 “그렇다. 그 정도로 보면 된다”고 답했다. 사실상 공간이 매우 좁다는 것을 인정한 셈이다. 판사 역시 “좁은 방 같긴 하다”고 말했다.

하얀방에 갇힌 당사자인 H씨는 신체에 엄청난 압박을 받았다며 국정원의 주장을 일축했다.

“제가 있던 하얀방은 회의실 안에 전화박스 부스처럼 만들어진 곳이었다. 제 뒷면만 가벽이었다. 안에 들어가면 초등학생이 쓰는 책상 두 개가 붙어있는데 공간이 너무 좁아서 책상이 의자팔걸이에 얹혀 있을 정도였다. 한발씩 집어넣어 겨우 앉았는데, 책상이 제 배를 꾹 눌렀다. 좌우로 못 움직이는 상태로 가슴부터 압박을 받게 된다. 하체도 전체가 고정된다.”

그런 상태로 사실상 ‘감금’ 상태에 있던 H씨는 결국 상황을 모면하기 위해 감사관의 요구를 어느 정도 들어줬다고 밝혔다.

“결국 (문구를) 조정한 게 ‘나는 누구누구를 만나 커피 티타임을 가졌지만, 위법한 일을 하지 않았다’고 쓰는 것이었다. 그런데 ‘사취’라는 말을 반드시 넣어야 감사가 종결된다고 하길래, ‘현물로 사취한 적이 없다’고 다시 썼다. 그러더니 이번엔 보안각서를 써야 종결된다고 말을 바꾸더라. 계속 여기에 있으면 죽을 거 같아서 감사 과정에서 있었던 일을 제3자 직원을 포함해 누군가에게 누설하면 중한 처벌을 받는다고 썼다. 28일 하루 저녁에만 3개 이상의 서류 작성을 했다.”

그렇게 ‘이상한 감사’가 종결된 줄 알았지만, H씨는 다음 날에도, 그 다음 날에도 ‘하얀방’에 불려가 감사를 또 받아야 했다. 3일 동안 내내 ‘하얀방’에 갇혀 있던 셈이다.

둘째 날에는 ‘1년 동안 누굴 언제 어디서 만나 무엇을 먹었는지 시간 역순으로 쓰고, 다시 순서대로 써라’는 등 무리한 요구도 받았다고 한다. 영수증과 대조해서 다른 게 나오면 ‘횡령’으로 간주하고 징계하겠다는 뜻이다.

국정원은 H씨가 면담이 시작된 지 얼마 되지 않아 두통 등을 호소해서 면담을 거부했고 즉시 중단됐다고 주장했지만, 제보자는 “감사를 거부한 적이 없다”고 일축했다. ‘감사 거부’는 징계 사유이기 때문에, 감사를 거부할 수도 없었다는 것이다. 오히려 ‘감사 거부로 간주하겠다’는 협박을 받아야 했다고 H씨는 주장했다.

“살면서 처음 당한 신체 증상이 많아서 이를 호소했는데 감사를 중단하지 않고 계속 협박했다. ‘감사를 거부하면 넌 중징계를 받는다’면서 제가 휴식도 요구하고 국정원 안에 있는 진료실에 가서 진료를 받게 해달라고 요구해도 모두 거부했다.”

이후 H씨는 이상 증세가 있어 병원에 갔다가 자살 충동 등의 우려가 있을 수 있어 당장 입원해야 한다는 말을 듣고 입원하게 됐다. 해리(전환) 장애 진단을 받으면서다.

“그때 (하얀방에서) 받았던 것과 비슷한 심리적 자극을 받으면 의식이 끊기거나 동작이 멈춘다. 주로 엘리베이터 안에서 문이 닫힐 때, 의식도 몸도 멈춘다. 대중교통을 다시 처음 타는 데 3년이 걸렸다. 무엇을 타고 가도 의식이 중간에 끊겨 돌아오지 못하기 때문이다. 한밤중 도봉산 꼭대기에서 의식이 돌아온 적도 있다. 내가 왜 여기 있는지도 모르고... 그 전에는 이런 게 전혀 없었다. 진단서를 보면 좁은 공간에서 있었던 일이 원인일 거라고 한다.”

H씨는 ‘하얀방’에서 자신이 받은 감사는 “고문”과 다름 없었다고 말했다. 그는 “거기 있으면 아무 생각이 없다. 여기서 나가고 싶다, 어떻게 하면 나갈 수 있을까, 이 생각만 했다”며 울먹였다.

H씨가 직권면직 처분을 받은 건 ‘휴직 기간 만료에도 복직을 하지 않았다’는 이유에서였다. 하지만 H씨는 ‘복직하지 않으면 직권면직이 된다는 것을 몰랐느냐’는 국정원 측 변호인의 질문에 “(휴직이 아니라) 공상(병가) 처리를 해달라고 했는데 국정원이 답변을 해주지 않았다”며 “(오히려 저에게) 스스로 나가라고 했다. ‘출근하든지 사직하든지 하라, 안 그러면 너 잘린다, 공무원연금 곧바로 받을 수 있게 할 테니 사직하라’고 계속 요구를 해왔다. 저는 회복하면 복귀할 수 있다고 말했다”고 답했다.

H씨는 하얀방에 있었던 일을 국정원 감찰실에 신고했지만 돌아온 답은 직권면직이었다고 한다.

이와 관련해, D씨는 증인 신문에서 “제가 과장을 불러서 (H씨가) 정신병원에 입원했다고 하니 조사를 그만하자고 했다”며 “가정이 파탄 날까봐 인간적으로 (조사)하지 말자고 하고 덮었다”고 말했다. 그는 ‘국정원장에게 보고가 됐느냐’는 H씨 측 변호인의 질문에 “구두보고를 했기 때문에 보고서는 없다”고 말했다. 정권교체가 되면서 퇴직한 D씨는 뒤늦게 H씨가 직권면직이 됐다는 소식을 들었다며 자신의 책임을 피했다. 


정원의 국내정치 개입과 역사왜곡 고발했다 수모당한 해외공작원

그렇다면 ‘이상한 감사’는 대체 왜 시작된 것일까. 이 모든 게 사실이라면 왜 국정원은 H씨를 트집 잡아 내쫓으려는데 혈안이 돼있던 것일까. 이것이 이 사건에서 가장 중요한 지점이다. H씨는 당시 국정원 감사 책임자였던 D씨와의 관계를 그 출발점으로 꼽았다.

“D씨는 해외공작을 정치개입에 끌어들인 분이다. 2014년 새로 부임한 이병기 국정원장에게 제가 보고할 때 (원세훈 전직 국정원장 때) 국정원 해외공작을 정치에 끌어들인 걸 비판한 뒤 D씨와 대립관계가 생겼다. D씨가 와서 ‘조직질서를 무너뜨리는 건 내가 볼 수 없다’며 저를 협박했다. 그래서 제가 ‘그런 게 있으면 내가 감찰조사를 받겠다, 회부해 달라’고 하니 인상을 쓰고 나가더라. 그 이후 감찰관실로 출석하라는 지시를 받았다.”




MBC PD수첩에서 국가정보원이 일본 극우세력을 이용해 일본 ‘위안부’ 운동을 방해하고 있는 모습을 재현한 장면. ⓒPD수첩 방송 캡처


H씨가 이병기 국정원장에게 보고한 문제는 ‘PD수첩’에서 자세히 다뤄졌다. 작년 6월과 8월에 방영된 ‘국정원과 하얀방-공작관들의 고백’ 편과 ‘부당거래, 국정원과 일본 극우’ 편에서다. 두 방송에서 제보자로 출연했던 H씨는 이렇게 말했다.

“이병기 국정원장님한테 보고할 기회를 얻어서 많은 직원들이 보는 앞에서 구두로 보고를 드렸다. 두 가지를 얘기했다. 하나는 원세훈 원장 시절에 부적절하게 정치에 관여함으로써 우리 해외정보 영역을 국내정치에 동원하는 잘못을 저지른 사람들에 대한 문제를 지적했고, 두 번째는 한일관계를 위해서 무엇을 해야 하는가에 관한 이야기를 했다. 한일관계의 근본문제는 역사적 사실을 일본 측이 인식하지 못하는 데 있다.”

전자는 2012년 대선을 앞두고 해외에서 처음 실시되는 재외국민 투표에 “종북좌파 세력”이 참여하지 못하도록 국정원이 여권 발급을 방해한 일을 일컫고, 후자는 국정원이 일본 극우세력을 지원하고 일본군 ‘위안부’ 피해자 활동을 방해하도록 하는 한편 굴종의 한일 ‘위안부’ 합의까지 추진한 일을 일컫는다. 그야말로 국기를 흔드는 일이다. 이것들이 사실이라면 제보자 H씨는 국정원의 잘못을 내부에서 고발하다가 수모를 당한 셈이다.

H씨는 재판 도중 “저는 조국을 위해 싸웠는데, 조국한테 조리돌림을 당한다는 게...제가 싸워야 하는 상대였던 북한이나 일본 극우들한테 (이런 일을) 당했으면 이러진 않았을 텐데...”라고 말하며 한동안 눈물을 펑펑 쏟았다.

H씨는 방송에서 “‘위안부’ 피해자들의 아픔과 슬픔과 고통을 그 시절을 겪지 않았던 자들이 함부로 합의라는 이름으로 면죄부를 내줄 수 없다고 생각한다. (그런데 면죄부를 내준) 나라와 조직을 나중에 누군가 되돌아보면서 ‘과연 그게 옳은 일이었냐’고 물었을 때 저는 ‘저항한 사람들이 있었다’고 한 줄을 남기고 싶다”고 말했다. 그런 H씨의 ‘저항’은 의미 있는 결과로 이어졌을까.
 
2017년 19대 대선을 통해 문재인 정부로 정권교체가 이뤄지면서 국정원의 국내정치 개입은 법적으로 금지됐고, 한일 ‘위안부’ 합의는 피해자가 수용하지 못했다는 이유에서 사실상 무력화됐다. 어찌됐든 좋은 결과였다. 

하지만 한 달도 채 남지 않은 20대 대선을 앞두고, 어두운 그림자가 다시 드리우는 것만 같다. 일본군 ‘위안부’ 피해자들과 함께 오랜 세월 운동해온 윤미향 의원이 국회에서 제명될 위기에 처했기 때문이다.

2020년 4월 총선 직후 당시 국민의힘 곽상도 의원(대장동 개발 일당에게 50억 원을 받은 혐의로 현재 국민의힘 탈당)을 앞세운 야당과 보수언론의 무차별한 공세로 인해 윤 의원은 일본군 ‘위안부’ 운동에 대한 후원금과 지원금을 횡령한 ‘마녀’가 됐고, 20대 대선을 앞두고 여론에서 불리해진 여당이 그런 윤 의원을 보여주기식으로 국회에서 제명하는데 앞장서고 있다. 윤 의원이 억울함을 호소하고 있고, 그에 대한 법원의 판단이 나오기도 전에 말이다. 이는 윤 의원 개인을 넘어, 한국정신대문제대책협의회와 정의기억연대의 정당성을 흠집 내고 있다. 

윤 의원은 H씨가 폭로한 국정원의 일본 극우세력 지원에 따른 피해 당사자이기도 하다. 국내외 일본군 ‘위안부’ 피해자 지원 단체들이 “윤 의원 제명은 일본 극우세력만 좋은 일”이라며 국회 제명 추진에 반발하고 있는 이유다. 어쩌면 H씨도 이를 보면서 같은 생각을 하고 있을지도 모르겠다.