5月11日は、2011年に亡くなった朴玉蓮(パク・オンリョン)さんの命日でした。

戦時性暴力協議会では定期水曜行動(毎月第3水曜日)で、必ず日本軍「慰安婦」被害者について話すようにしています。

5月18日の水曜行動では朴玉蓮さんのことを紹介しました。



朴玉蓮さん(1919年4月~2011年5月)





★以下、簡単に朴玉蓮さんの体験をご紹介いたします。



朴玉蓮さんは韓国・茂朱(ムジュ)で生まれた。家は貧しかった。

16歳の時に相手は金持ちだという噂の人と結婚したが、そこは9人もの大家族でおかゆも食べられない状態だった。とても暮らせないと思って逃げ出した。


18歳のときに経済的に安定した家に再び嫁ぎ、20歳で男の子を生む。しかし、夫は酒を飲むと妻を疑い暴力をふるった。


やがて夫は妻を売り飛ばしてしまった。売り飛ばされた先は日本軍に女性を売る業者だった。こうして朴玉蓮は自分の知らないところで莫大な借金を背負う身となってしまった。


朴玉蓮は借金を返すために、危険だから報酬が良いという軍の看護師に志願した。


しかし、着いたところはラバウルの慰安所だった。

到着したその日からわけもわからないまま、部屋に入ってきた日本軍人の相手をさせられた。



1~2年たって空襲が激しくなると女性たちは故郷に帰してほしいと抗議し続け、ようやく故国に帰る軍艦に乗った。しかし、軍艦は魚雷を受けた。50名中15名だけが生き残ったが、また地獄のような島に戻らざるを得なかった。


1944年、朴玉蓮は、再び故郷に戻る船に乗ったが、またも連合軍の攻撃を受けて再び船は沈没。朴玉蓮は海の中に放り出された。幸いにも救助された。今度は島へ戻らず、日本の下関港を経て釜山に帰り着いたのだった。


朴玉蓮ハルモニはナヌムの家で暮らした。そして姜徳景ハルモニととても親しく、お互いに姉さん、妹と呼び合っていた。

姜徳景ハルモニがまだ自分自身の事を絵に描けずにいた時、朴玉蓮ハルモニから聞いた彼女の体験を描き始めた。


攻撃を受け、沈没していく船から海に投げ出された朴玉蓮ハルモニの想像を絶する恐怖を姜徳景ハルモニが受け止め、描き残した(タイトルは「悪夢」)。

いつも穏やかに微笑んでいた無口な朴玉蓮ハルモニのなかにあった深く、暗い恐怖の体験。

いま、私たちは絵を通してそれを知ることとなった。


悪夢




そしてラバウル慰安所での朴玉蓮ハルモニの話を聞いていて描いたのが下記の絵である。


ラバウル慰安所






資料出所:「咲ききれなかった花ーハルモニたちの終わらない美術の時間ー」イ・ギョンシン著(梁澄子訳、北原みのり解説)アジュマブックス

https://www.ajuma-books.com/%E5%92%B2%E3%81%8D%E3%81%8D%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%8A%B1


































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































日本軍「慰安婦」サバイバーの韓国人 朴玉蓮(パク・オンリョン)さんは