訃告  金ヤンジュ ハルモニ(1924年-2022)





202251日夜10時、慶尚南道昌原に住んでおられた金ヤンジュ ハルモニがお亡くなりになりました。



金ヤンジュ ハルモニは1924年、全羅北道鎮安で生まれました。ご両親の離婚後母親と姉とで慶尚南道馬山に移住し、日雇をしながら生活をされました.

17才なった1940年秋ぐらいに日本の巡査に引っ張って行かれました。母親と隣人は恐ろしくて引き留めることもできませんでした。ハルモニはその場から電車と船で満州に連れて行かれ、過酷な日本軍「慰安婦」被害にあいました。逆らうとムチで打たれ、右耳の鼓膜が傷ついて聴力を失いました。




1945815日の解放の数日前に日本軍少尉がハルモニを日本に連れていこうと強制的に引き連れていき、慰安所を離れました。ハルモニは途中逃げて満州のどこかの朝鮮人の家に隠れて過ごしながら解放を迎えました。

朝鮮人避難民の隊列に潜り込んで軍艦に乗ってどうにかこうにか帰国し、家族に会おうと馬山に戻りました。母親は他の人はみんな戻ってきたのに娘だけが戻ってこなかったので、山に登って水を汲んで貢を供えて待っておられました。




ハルモニはその後、子守りや清掃、家政婦、日雇い、物売りなどをしながら暮らしておられました。


 ハルモニは2005年、政府に日本軍「慰安婦」被害者登録をしました。そして昌原に住まわれながらも度々水曜デモに参加されて日本軍性的奴隷制問題解決のための活動をされました。


ハルモニは、人情の厚かった下の姉が結婚して開城に住んでおり、早く統一がなされて姉さんに会いたいと言われていましたが、結局その願いは叶いませんでした。




長い間闘病生活をされながらも強靭に耐えて私たちのもとにおられた金ヤンジュハルモニ、今年39日には98才のお誕生日を迎えられました。

ですが、51日夜10時、黄泉の国に旅立たれました。

金ヤンジュハルモニ、苦しかった記憶を全で忘れて安らかに眠られるよう願います。ハルモニのご冥福をお祈りします。

 

葬儀は市民社会葬として馬山医療院葬儀場にて執り行われます。




金ヤンジュハルモニを記憶します。 女性人権賞を受章したときのプレート
  






(訳 方清子)