まず最初に、梨泰院(イテウォン)惨事の犠牲者の冥福を祈ります。察するにあまりある深い悲しみに落ちておられる遺族へ深い哀悼と慰労の気持ちを送り、生存者の一刻も早い回復を心から祈ります。

 


 ソウルの真ん中で誰もが通る空間、毎年催される行事で、信じられない惨事が起きました。楽しいはずの祝祭現場で起きた若者たちの悲劇的な死に当惑を隠せません。

 


 この沢山の生命が幽明相隔てる瞬間、国家はどこにいたのでしょう。10万人以上の人波が予想され、安全管理の必要性が下部から提起された時、国家はどこにいたのでしょう。歩行者の通行と交通という本当に基本的な対策が必要な時、国家はどこにいたのでしょう。「圧死する」、「大型事故一歩手前だ」、「死んでしまう」という市民の届出が殺到したその時、国家はどこにいたのでしょう。

 


 信じ難い凄惨な事故の後、国民の生命と安全に責任を負うべき者たちの言動はどうだったでしょう。形式的な謝罪の一言もなく、「主催者のない行事なのでマニュアルがなかった」、「警察・消防の配置不足が惨事の原因ではない」、「憂慮するほどの人波ではない」、「祝祭ではなく現象だ」などの荒唐無稽なウソと妄言を吐き出しました。「騒擾」という単語を使って警察力の分散のせいにし、無辜の市民を却って惨事の原因に追いやり、市民団体の動向を聴取して「ウサギ狩り式」スケープゴート造り作戦に突入しました。犠牲者のせいにして侮辱し、生存者の苦痛とトラウマを加重させ、遺族に二重の苦痛を与えました。泰山のように大きな悲しみと怒りに陥った国民をまたも絶望させました。

 


 責任回避、事件縮小と歪曲、責任転嫁で一貫し、動かせない証拠が続出するや使い回し式の表面的な謝罪、呆れるような落涙ショーを突然繰り広げました。

 


 この人たちはいったい何者ですか。国民の投票で、国民の税金で、国民が委任した職責に座って、権勢をふるっている者たち、それなのに国民ではなく権力者に奉仕し、国民の上に君臨しようとする者たち、責任究明を求める国民の口を封じようとする者たち、衷心からの哀悼すら妨げて人の死を政治の道具にする者たち。あなたたちにとって、国家は何であり、国民はどんな存在ですか。

 


 あまりにも悲痛です。

 


 しかし私たちは悲しみと絶望で崩れ落ちたりしません。互いに支え、労わり、温かい心で抱きしめ、耐え抜くことでしょう。無念に亡くなった方たちを衷心から哀悼するその日のために、今日を乗り越えて行くでしょう。

 


 日本軍性奴隷制被害生存者たちは、「国がないから」、「力がないから」こんな目に遭ったと言い、若者たちがより平和で安全な世界で生きることを望みました。守ってくれる国家がなく、苦痛の中で亡くなって行った沢山の被害者たち、九死に一生を得て帰還して加害者の心からの謝罪と真実を要求し、街角で、法廷で、勇気を出して語っていた生存者たちを記憶して継承するように、正義記憶連帯はこの惨事の真相を究明し、記憶し、再びこんなことが繰返されないように努力します。どんなに踏みにじられ、打ち捨てられ、無視され、踏まれても、雑草のように立ち上がるでしょう。一人ひとりの生命が限りなく崇高で尊厳ある社会を目指して手を繋いで歩んで行くことでしょう。

 


 国家がなくて無念に犠牲になったすべての方たち、国家があっても国家の保護を受けられずに亡くなられたすべての方たちの冥福を祈ります。

 



2022年 11月 2

正義記憶連帯 理事長 李娜榮(イ・ナヨン)



(訳 権龍夫)