ラウリンダ・フェレイラさん(2013年、HAK撮影)




 東ティモールの元「慰安婦」で、コバリマ県フォホレン郡ラクトス村(Laktos)に暮らしていたラウリンダ・フェレイラ(Laurinda Ferreira)さんが、本日、2023年1月5日午前6時に亡くなりました。年齢はわかりません。東ティモールで支援活動を続ける東ティモール人権協会(HAK)のリナ・マルティンスさんから7時51分に連絡がありました(東ティモールと日本の間に時差はありません)





 ラウリンダさんは子どもの頃、スアイという町の慰安所に入れられました。連れて行ったのはトミカズとトリスという呼び名の日本人で、彼女を含む8人の少女が毎晩十数人の日本兵の相手をさせられました。トリスという兵士が、兵士が彼女たちに乱暴しないよう見張っていました。ラウリンダさんはタズコという日本名を与えられ、その名前を漢字(多鶴子)で腕に入れ墨されました。それはずっと残りました。3年間、慰安所に入れられていました。もちろん嫌でしたが、怖くて拒否できませんでした。ラウリンダさんは戦後、この経験がトラウマとなって結婚できませんでした。




 晩年は弟さんの孫と暮らしていました。うちがコバリマ県の山地の方で、日本のわれわれもなかなか行くことができず、コロナが明けたときには必ず行くつもりでいましたが、ついに会うことができませんでした。現地のHAKが定期的に訪問していて、ずっと元気だったのですが、今年の1月1日ぐらいから具合が悪くなっていました。




 ラウリンダさんは生存していた2人の東ティモール人サバイバーの一人でした。


ご冥福をお祈りいたします。




松野明久(大阪東ティモール協会)