民衆の声 チェ・ジヒョン記者(発行2022-12-31  修正2023-01-02 )




2016年、ソウル鍾路区の旧日本大使館前で開かれた第1215回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜デモで、挺対協の尹美香代表(当時)が発言する姿。資料写真。ヤン・ジウン記者

 




 日本軍「慰安婦」被害者たちと苦楽をともにし、30年にわたって市民社会団体で活動してきた尹美香(ユン・ミヒャン)議員が詐欺等の容疑で裁判に付され、近く1審判決が言い渡される見込みだ。彼女がかけられた主な容疑の一つは、団体で活動しながら政府を欺して国庫補助金を受け取ったというものだ。




 これによって国内だけでなく海外でも尊敬されていた彼女に、一朝にして「犯罪者」の烙印が押された。

30年続けられてきた「水曜デモ」もヘイト勢力の攻撃に苦しめられている。さらに、尹錫悦政府は尹議員の事件をきっかけに、政府の民間団体への補助金支援現況を全数調査し、これを統制すると脅している状況だ。



 しかし尹議員の裁判過程では、これまでに知られてきたのとはずいぶんと異なる事実が続々と明らかにされた。潔白を主張する尹議員と、彼女を攻撃する検察と政府、そしてメディア。裁判所は最後に誰の手をとるのだろうか。長期にわたって続いてきた1審公判の争点を整理し、事件を振り返る。





1.
戦争と女性の人権博物館を虚偽登録して補助金を不正に受給した?



 核心的な争点の一つは、尹議員が館長を務め、運営していた「戦争と女性の人権博物館」を管轄庁であるソウル市に登録する際、不正な方法を使ったのかどうかということだ。不正な方法で登録された博物館を活用して文化体育観光省やソウル市から各種の補助金を受け取ったのは違法だというのが検察の論理だ。ここで、検察が言う不正な方法というのは、博物館登録要件の一つである「学芸員」の存在である。




 ソウル麻浦(マポ)区にある同博物館は、尹議員が理事長を務めていた正義記憶連帯(旧「挺身隊問題対策協議会」)の付設機関で、日本軍「慰安婦」サバイバーたちの歴史を記憶し教育する空間である。20131月にソウル市長名義の博物館登録証が発給された。




 博物館及び美術館振興法16条は「博物館を登録しようとする者は学芸員を有しなければならない」と定めている。検察は同博物館が法律上の博物館登録要件である「学芸員」を持たない状態で担当公務員を欺して博物館登録をおこない、これを利用して補助金を申請し受け取ったとし、尹議員に詐欺及び補助金管理法、地方財政法違反の容疑を適用した。


 具体的に正義連(旧挺対協)は、文化体育観光省から計10事業にわたり合計15,860万ウォン相当の国庫補助金を、ソウル市から計8事業にわたり合計14,370万ウォン相当の地方補助金を交付された。起訴時点の2020年までの内訳だ。




 まず、博物館を登録した時点で、Aさんの学芸員証明書等が提出されたことは明らかな事実だ。ここで2つの争点が生じる。1つは「Aさんが博物館登録の事実を知っていたのか」という点だ。ここでAさんと尹議員の立場が食い違っている。


 裁判の過程で明らかになった証拠資料によると、Aさんは2008年から戦争と女性の人権博物館建設委員会に挺対協の常勤職として勤務した。約2年間勤務した後、挺対協の仕事を辞めた彼女は、挺対協が博物館登録手続きを取る頃の201212月、eメールで挺対協に自身の履歴書と共に「3級正学芸員資格証」を送った。後日、挺対協はこの資格証を使って博物館を管轄庁に登録した。


 尹議員が「Aさんが博物館登録時に学芸員になってくれると許諾し、それに従って履歴書と学芸員資格証を送ってくれて登録したもの」と述べた。しかし、Aさんは検察の聴取と裁判の過程で「参考用」に送っただけで、博物館登録に自身の資格証が活用されるとは思わなかったと主張した。



 但し、資格証を「参考用」に送るということが一般的ではないという点、資格証を送った当時のeメールに「博物館を登録する上で助けが必要だったら、またおっしゃってください」と書かれている点等は、Aさんの主張に反する状況と指摘されている。10年も前のことであるため具体的に思い出せなかったり、そのため陳述が一貫していないという点も指摘された。Aさんが「私は単に被害者だ」という点を検察に立証しようと努力した痕跡も覗われる。





55日、ソウル市麻浦区の戦争と女性の人権博物館で博物館開館10周年記念式が開かれる中、一人の中学生が博物館を見学している。資料写真。2022.05.05 ⓒ民衆の声





 2つ目の争点は「Aさんが博物館で常時勤務したのか」である。博物館及び美術館振興法には「登録」時に学芸員がいなければならないという根拠があるだけで、学芸員が博物館に出勤して「常勤」していなければならないという明示はない。そのため法の解釈がくい違っている。検察は学芸員が博物館に常勤していなかった点を問題視し、虚偽資料で博物館を登録したと主張する。



 これに対し尹議員は「Aさんは(博物館に)出勤してはいなかったが、学芸員の出勤が(博物館登録の)前提ではないと承知している」とし、「いつでも必要な時に学芸員として働くことができ、諮問が必要な時には諮問することができた」と反論した。

ソウル市や文化体育観光省の公務員たちも、学芸員が博物館に出勤しなければならないのかという質問に対しては、明示的な基準はないという趣旨の陳述をした。博物館登録を担当したソウル市の公務員は「学芸員の常勤の有無は(博物館登録に)決定的な事案ではなかった」と証言し、当時、常勤の有無を確認せよとの文化体育観光省の指針等もなかったと述べた。さらに、学芸員問題で博物館の登録が取り消されるといった問題が発生した前例もなかったという。




 また、博物館の登録審査基準で「学芸員が常時勤務しているのかどうか」は、いくつもある評価項目の中の参考事案であって必須要件ではないと、文化体育観光省の指針にも書かれている。文化体育観光省が地方自治体に送った「博物館及び美術館の登録業務指針」を見ても、学芸員が博物館の常勤者なのかどうかという項目は「定量評価」ではなく「定性評価」事案だった。

 尹議員の弁護人が提示した国公立博物館登録現況にも、学芸員の人員表記がなされていないところ、そもそも「無し」と表記されたところもあった。戦争と女性の人権博物館のように国庫補助金を受けた私立博物館の内訳にも同様のケースが多数ある。




 博物館としての機能が実際にないとか、補助金を他の用途にデタラメに使ったのだとしたら大問題だが、全くそういうことではなかったと思われる。むしろ戦争と女性の人権博物館は国庫補助金関連の評価で優秀な成績を上げ続けてきた堅実な博物館だったことが裁判の過程でも確認された。


 例えばソウル市の評価団は、2019年に戦争と女性の人権博物館が「平和市民と共に叫ぶ平和」という事業で補助金を申請したのに対し現場調査をおこない、「斬新だ」として40点満点中40点をつけた。尹議員の弁護団は、その年の私立博物館の審査表を提示し、「34の(博物館の)うち、現場調査で満点を受けたところは5カ所しかない。そのうちの1カ所が戦争と女性の人権博物館だ」と強調した。

 この過程でも学芸員の常勤の有無は評価の重要ポイントではなかったと見られる。尹議員の弁護団は配点項目を示し、「学芸員の常勤の有無を見て評価する項目はない」と指摘した。その他の事案においても「学芸員の不在が懸念されるがコンテンツが優秀だ」という意見が書かれた評価団の意見書が公開された。




 尹議員の主張どおり、Aさんは学芸員として諮問する役割が出来る位置にいたのも事実だ。Aさんは戦争と女性の人権博物館運営委員会の運営委員として名前を連ねていたからだ。実際に20155月、運営委員会の会議に出席したこともあった。しかしその後、Aさんは運営委の会議に出席しなかった。Aさんは会議への出席について尋ねる博物館側の度重なる連絡に返信をしたり、しなかったりした。自身が運営委員であることを明確に認識していなかったからだという。後になって博物館側はAさんが運営委員として参加する意思がないことを確認し、Aさんを運営委員の名簿から抜いたという。



尹美香無所属議員尹美香議員室





2.
女性家族省の事業遂行人件費を挺対協の経費として使用したのは違法だ?



 正義連(旧挺対協)が女性家族省の事業に参加して受け取った国庫補助金も議論になっている。人件費の名目で国庫補助金を受け取り、目的に適った形で使用しなかったという容疑だ。



 検察によると、正義連は女性家族省の事業である「日本軍慰安婦被害者治療事業」と「日本軍慰安婦被害者保護施設運営費支援事業」を20141月から20204月まで計7回にわたっておこない、人件費の名目で計6,520万ウォンを受領した。しかし、人権費を受け取った活動家たちは、そのお金を正義連に返し、運営費として使用するようにした。正義連は、人件費名目で補助金を受け取り、事業を直接おこなった活動家の口座に入金したが、後で全額が再び正義連名義の口座に戻った形だ。


 これについて検察は、尹議員が初めから正義連の運営費等に使用する計画であったにもかかわらず人件費として使うかのように女性家族省に虚偽申請して国庫補助金を受け取ったとし、これは詐欺であり、補助金管理法違反だと見なした。


 しかし、尹議員は「返還ではなく寄付」だとし、適用された容疑を全面的に否認した。尹議員は「本人たちが労働し、給与を支給された上で、本人たちの意思でその給与を寄付したもの」だとし、「いくら寄付したのか、具体的なことは分からないが、もしもそうだとしたら本人の意思だ」と強調した。




 実際に当該事業をおこない、人件費を受け取ったかつての挺対協活動家は、本人の「良心」に従って挺対協に寄付しただけだと法廷で証言した。

元挺対協常勤活動家のBさんだ。彼女は20141月から1年間、女性家族省の「日本軍慰安婦被害者治療事業」を遂行する過程で人件費として計1,800万ウォンを受け取った。計2億ウォンもの予算が投入された大規模事業であったが、これを遂行するために策定された人件費はたった1人分の人件費で、わずか月150万ウォンにすぎなかったのである。


 Bさんは人件費を寄付した理由について「事業を遂行する上で私が会計業務など様々な実務を担当したが、全国巡回訪問事業のような場合には私一人で出来ることでもなく、(挺対協の常勤活動家が)みんなで一緒におこなった」とし、「一人だけ人件費をもらうのは、いつも一緒に残業もしながら苦労していた常勤活動家たちに申し訳なく、ありがたい気持ちもあった」と述べた。

 Bさんは自身がそれまでに担当していたSNS広報などの業務に女性家族省の事業業務まで重なって業務は過重だったと述べた。これを常勤活動家たちが分担して処理してくれたというのだ。当時、挺対協の常勤活動家は67名ほどしかいなかったので、お互いにお互いの仕事を助け合い、常に一緒にいる雰囲気だったという。さらにBさんは「寄付は私の個人的な、良心的な選択だった」と強調した。


 裁判で検事はBさんを「起訴猶予処分を受けた被疑者性証人」と紹介し、その発言の純粋さを疑いもした。

 検事は「そのような意思を正確に伝えようと思ったら、n分の1でお金を分ければいいことではないか」とも質問したが、これに対しBさんは「他の活動家たちに対して申し訳ない気持ちもあったが、基本的に挺対協という市民団体に対する支持があったから、単に寄付金の目的としてだけ使うよりも、挺対協の後援と常勤活動家の後援が全て繋がっていると思った」と返答した。


 これは実際に正義連だけでなく、資金が充分ではない市民社会団体の間ではよく見られる「慣行」でもあるが、検事はこのような「慣行」を全く理解できないという態度だった。


 実際に正義連(旧挺対協)も資金事情が良いわけではなかった。尹議員が1992年に挺対協の常勤幹事として働き始めた当時に受け取っていた活動費はわずか30万ウォンだった。組織の規模が大きくなるにつれて活動費も徐々に上がったが、一般企業に比べられる程度ではなかった。事務局長を務めていた時には70万ウォン、退職して5年後に復職した時には210220万ウォンほどの活動費を受け取った。挺対協常任代表の時に初めて職級手当10万ウォンが加わって230万ウォンの活動費を受け取った。退職する時には最後に300万ウォンが支払われていたという。

しかし、その他の手当は一切なかった。超過勤務をしても、手当を出せるような状況ではなかったということだ。にもかかわらず、活動家たちは一致団結して日本軍「慰安婦」被害者の名誉回復等のため黙々と活動した。


 Bさんも同じだった。彼女は一般の企業で働いていたが、意義のある仕事がしたいと思って挺対協に転職したのだという。彼女は「私がその前に働いていた会社で受け取っていた給与は手取りで250万ウォン以上だったが、ここ(挺対協)では150万ウォンしか出せないと言われた。そこで他の活動家たちに給与について聞いてみたが、私とあまり変わりなくて非常に驚きもし、胸が痛みもした」と述べた。「給料が少なくなってもいいと思ったのか」という裁判官の質問にBさんは「初めは驚いたが、挺対協で10年以上活動した代表や他の活動家もみんな給与額が少なかったので、その部分について不満を持ったというよりも、むしろ尊敬した」と強調した。



 かつて挺対協が、今回問題になっている女性家族省の事業をおこなうことになったのも、実は女性家族省の要請によるものだった。挺対協が事業をおこなう前年の2013年までは韓国女性人権新興院が女性家族省の委託で事業を遂行していた。これを挺対協が引き継いで事業をおこなったのである。その過程でハルモニたちに対する支援規模は拡大したが、一方で人権費は削られたことも判明した。女性家族省の立場では「より安い価格」で「より質の高い」事業を続けることができるようになったわけだ。検察の論理通り、もしも挺対協が単に国庫補助金を詐取するために事業をおこなったのだとしたら、そんな「低賃金の長時間」労働で苦労する事業をあえて引き受けはしなかったのではないかと思われる。



(訳 梁澄子)



〈原文〉

https://vop.co.kr/A00001625766.html