〈戦時性暴力問題連絡協議会〉報告 第62回 水曜行動 in 新宿 (2023.3.15)
昨日、3月15日(水)は、62回目の水曜行動in新宿でした。
お天気にも恵まれ、人通りも回復したせいか、準備した200枚のリーフはよく受け取ってもらいました。
最初に、いつもどおり池田さんから、ドイツのカッセル大学に永久設置した平和の少女像が日本政府の圧力で撤去されたことについて、抗議の意思が表明されました。
また韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が来日する直前であり、強制動員被害者問題での矢野秀喜さんの発言は説得力のある内容でした。
各人の発言の詳細は以下の通りです。
・経過報告:池田恵理子さん
「新たな戦前」の動きの中で、日本政府は「あったことをなかったことにしたい」と都合の悪いことは全部「なかったことに」している。最近ではドイツの「平和の碑(少女像)」を撤去させた。
放送法の解釈変更による言論弾圧がいま問題となっているが、身近なところで起こっている。
メディアが戦争の加害、被害の問題を、特に「慰安婦」問題は報道させない、世論を押さえるということが今行われている。メディアがこうした問題を取り上げようとすると政権に忖度する傾向がある。
NHKでの3大タブーは、南京大虐殺、昭和天皇の戦争責任、「慰安婦」問題。こうした問題をやろうとするとやりにくい状況があった。私たちももっと敏感になってメディアにのらない情報にも気を配りながら行動していきたい。
・山田久仁子さん( 自由権規約委員会 勧告。リーフ参照)
「慰安婦」問題はまだ終わっていない。
今、国連から日本は「慰安婦」問題で何度も勧告を受けている。先の二度の世界大戦を起こした反省から国連が生まれ(1945年)、全ての人の人権が大切にされるために世界人権宣言(1948年)が作られた。これを実際の効果のあるものにするため、2つの規約(自由権規約:思想・表現・奴隷にされない自由、社会権規約:経済的・社会的権利)をつくった。日本もこの条約を結んでいて、審査があり、発表される。
昨年11月に日本への勧告があり、その中では(日本は)「勧告に従っていないし、進展がない。
被害者の人権侵害に対して取り組んでいない、と勧告を繰り返した。「被害者」の訴えを調査し、証拠を公表し、加害者の処罰が必要である。被害者の裁判、権利の保障・完全な賠償、次世代の教育のために教科書に記載すること。事実否定の暴言に厳しく対処しなさいという勧告であった。
これに対して日本政府の反論は、サンフランシスコ条約、二国間条約で法的に解決済みであり、賠償は必要ない。しかし善意で「アジア女性基金」「日韓合意で支給したが、最終的不可逆的」に解決したのであり、「軍や官憲による強制連行は確認できないし、性奴隷ではない」と言っている。それに基づき各国に建立される「平和の碑」を撤去させてきた。
しかし、こうした政府の主張は間違いであり、事実に基づいていない。政府は真実に向き合って解決すべきである。
発見された資料、数多くの軍・官憲による強制連行の証拠があり、たくさんの元「慰安婦」の証言がある。それは常に軍の管理の下、軍とともに移動し、自由のない悲惨な生活であった。それは自由と尊厳を奪われたまさに性奴隷の生活。
最高裁は、2007年に被害者の請求権は消滅していないとした。私はフィリピンの元「慰安婦」支援をしてきたが、彼女たちの証言を聞いても、性奴隷の生活であったことがよくわかる。
国連の勧告に対して無視し続ける日本政府に対して、共に声をあげていただきたい。
・矢野秀喜さん(強制動員問題解決と過去清算のための共同行動)
明日(3月16日)、韓国からユン・ソギョル大統領が来日し、日韓首脳会談が予定されている。日韓首脳会談を日本で開催するのは12年ぶり。その当時は、民主党の野田総理大臣と来日したイ・ミョンバク大統領が会談した。その会談の主要な議題は、日本軍「慰安婦」問題だった。これをどう解決するかということで会談したが、結局合意に至らず決裂した。そしてその問題は、2015年の日韓「合意」となったが被害者が置き去りにされた。
植民地支配下での問題で未だに解決されていないのが、日本軍「慰安婦」問題だけでなく、戦時中に朝鮮半島から70万人とも80万人ともいわれる人が日本に動員された。日本はその時、日中戦争などアジア太平洋全域で戦争を始めたため、750万人の人々が中国、東南アジア、島々に戦争に行かされた。そのため日本の中で、炭鉱や建設現場などで働く人が足りなくなり、植民地からの労務動員計画をたてた。
1939年から1945年まで、朝鮮半島から何名動員するのかという計画をたて、それを朝鮮総督府が日本政府から与えられたノルマをこなすために、労務動員をした。そのため日本に動員された朝鮮人は70万人とも80万人ともいわれている。その人たちは日本の中では、最も過酷な労働現場で働かされた。炭鉱、鉱山、建設現場、港湾荷役、軍事工場などで働かされた。その中ではまともに賃金が支払われず、一番過酷な労働を強いられて亡くなったりした方もいる。こういう問題を日本は戦後処理したか、ということ。しなかった。
だから1990年代以降、被害者たちが日本に来て裁判をおこした。訴えられた企業は、日本製鐵や三菱重工、不二越など戦前の軍事会社。そういうところで働いてきた人たちが、自分たちは強制労働をさせられた、肉体的精神的苦痛を受けた、と被害の回復を求めて訴訟を起こした。しかし日本の裁判所は全て棄却した。
ただ裁判所といえども被害者が訴えた被害事実、強制連行された事実は認めざるを得なかった。
例えば名古屋三菱重工に連行された方は13歳か14歳で韓国の国民学校を出るか出ないかの時に動員された。こういうことは、ILOの強制労働条約に完全に違反だが、「日本に行けばお金がもらえる」「日本に行けば女学校に行ける」と甘い言葉に騙されて多くの少女たちが日本に来た。しかし実際には過酷な労働を強いられたのが実態。そういうことに対して日本の裁判所は強制労働、強制連行だったと認めざるをえなかった。その事実を認めて、それを行った企業の不法行為を認めざるをえなかったが、しかし裁判所は、時効だとして責任をまぬがれた。
そうしたことを経て、被害者たちは決して諦めないで、韓国にもどり改めて訴訟を起こし、韓国の最高裁で「あなた方の訴えは正しい」という判決が出た。「侵略戦争のために動員をして強制連行した。
被害者たちが苦痛をうけたことは明白な事実だ、被害者たちは精神的苦痛を受けたので、請求権はある」と判決を出した。そして被告企業に対して「賠償しなさい」と判決を出した。その判決に従えば、強制動員問題の一部ではあるが解決に向かったはずだった。しかし判決から長くたって、被害者たちは亡くなったりしているので、被害者たちは韓国ででた判決に従って賠償金を支払ってもらいたい、あるいは被告企業に謝罪してもらいたいと訴えてきた。
それを日本政府は、「韓国の大法院判決は国際法違反だ」「1965年の日韓請求権協定で解決済みだ」と突き放して、韓国内で解決せよと言い続けてきたのがこの4年間だった。
そして韓国政府が最終的に出した結論は、3月6日の「韓国大法院判決を受けた解決策」。それは日本の企業に賠償金を支払わせず、韓国政府下の「日帝強制動員被害者支援財団」が肩代わりして支払わせるという案だった。しかしそれでは被害者は納得しないし、韓国国民も納得しないので、尹政権は被害者に誠意ある対応をしてくださいと日本に訴えてきた。とりあえずの賠償金は財団が肩代わりして払うが、被告企業が謝罪をするとか退職金分を払うとか、との程度はして下さいと訴えた。しかし結局、日本政府はこれも受け入れなかった。
そのため3月6日の財団が肩代わりして支払うという「解決策」だけになってしまった。
この韓国政府の「解決策」に対して、日本政府はどうコメントしたか。とても腹立たしいもの。
林外務大臣は、3月6日の韓国政府の「解決策」に対して、2つをコメントした。
1つは「今回の解決策は日韓関係を正常にもどしていくもので、評価する」とした。
2番目に、とってつけたように「この機会に日本政府は歴代政権が表明してきた歴史認識を全体として引き継ぐと確認した」。
1つ目のことは、日本政府は、強制動員問題が解決することで良かったとは言わず、日韓関係の正常化のために良かったと言っている。
2つ目のことは、「歴史認識を全体として引き継ぐと確認した」と言って、今回問題となった強制動員問題に対して、日本政府はどういう立場なのか、歴史認識をひきつぐと言っているだけで、当の被害者の強制連行された人たちに対して何の謝罪もなかった。
1995年の村山談話、1998年の日韓パートナー宣言があったが、その中で小渕総理は「韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えた」、だから謝罪しお詫びすると言っている。しかし歴史認識を引き継ぐという言い方の中には、苦痛を与えたので謝罪しお詫びするということは入っておらず、結局、謝罪をしたということは一言も出てこない発言である。曖昧にしている。いま過去の強制労務動員などなかったかのように、ただ歴史認識をひきつぐと言っただけだ。これで問題は解決しないことは明らか。
日本国民の多くは、日韓関係が良くなって良かったのではと思うかもしれないが、しかし問題は解決しない。かつて日本は多くの強制動員などを行い、加害責任を問おうとしたのが韓国大法院判決であり、被害を受けた人たちの被害をどう回復するかという問題であるにも関わらず、日本政府が言っていることは、請求権協定で解決済みなので、現金化は困るということが課題だった。それが解決したので、日本政府は日韓関係が良くなると言っているが、そういうことでは被害者は納得しない。
財団など第3者に代わって払ってもらうことでは受け取らないという被害者がいる。原告は15人いるが、そのうちの今も大法院判決を待っている人がいるが、こういうことでは受け取らないと言っている。遺族も自分の父親の意思に反するので受け取らないという人もいる。こんな状況なので、韓国での世論調査をしても59%、約6割の人が日本が謝罪をしないのでは、解決にならない、と考えている。
日本が過去の植民地支配を反省したと思うかと聞くと、たったの8%。日本は反省していないと回答した人が85%。こういう状況の中、ユン・岸田会談はうまくいくかもしれないが、日韓の国民は本当に理解しあえるか、問題は続く。被害者の尊厳回復のための日本と韓国の市民が連携して被害者が納得できる解決をめざして、私たちの闘いは続く。諦めずに運動を続けていこう!
加害企業の問題も残る。財団が被告企業の肩代わりをしたとしても、大法院判決で被告企業は賠償しなさいと判決がでたことはなくならない。歴史的に自分の企業が強制動員させたという事実は残る。過去の人権問題を解決しないで、グローバルな世界経済の中で、企業が評価されるわけがない。企業は自分たちのブランドが傷つけられる。人権侵害したことを謝罪もしなければ賠償もしない企業は、国連やILOで問題になってくる。企業活動を続けることはできない。
人権の立場に、日本の企業、日本政府が立つように願っている。あらためて皆さんの支援を要請する。
・山口明子さん(台湾の被害者を記憶する)
今日は、台湾の二人の被害者を紹介する。
なぜ二人かというと、台湾では、いくつもの民族がともに生活し、いくつもの言葉が使われ、戦時性暴力被害についても、二つの違ったかたちがあるため。
台湾は、日清戦争のあと1895年から1945年までの50年間、日本の植民地だった。台湾の戦時性暴力被害者である女性たち、紹介する二人は少女たちであり、台湾が植民地であったから被害にあった。
台湾の中で多数を占めるのは、400年ほど前に中国大陸から渡って来て住み着いた漢民族の人たち。その他に、その前から台湾に住んでいた自らを原住民と呼ぶ人たちがいる。今日、紹介するイワル・タナハさんは、タロコ族の出身で、東海岸の花蓮郊外の村に住んでいる。1930年、イワルさんが生まれる少し前、台湾中部の霧社で、日本の統治に抵抗する原住民の蜂起があり、日本はあらゆる武器でそれを鎮圧。イワルさんの父親はその渦中で亡くなった。その後、母親も亡くなり、イワルさんは、伯母さんに引きとられ山を越えて東海岸に移ってきた。
日本は台湾で、資源を収奪しただけではなく、日本語や神社参拝を強要し、日本に同化させる政策をすすめた。原住民の住む村では同化政策は漢族よりも、いっそう厳しく行われ,(霧社事件の記憶もあったでしょう)、村の外との交流も自由に出来なかった。その中で、いちばんの権力者は駐在所の巡査であり、時には教師を兼ねてもいた。戦争が激しくなり、村の若者は日本軍に徴用されて南方に送られ、村の近くには、日本の軍隊が進駐してきた。村の若い女性たちは、軍隊で雑用するようにと駐在所から言われて、5人が毎日軍服の修理やボタン付け、掃除に通った。イワルさんはいちばん若く13歳。3か月ぐらいたった時、まだ用事があるから残れと言われ、有無を言わさず、倉庫になっていた暗い洞窟に一人ずつ引きずり込まれた。帰り道みんな黙って、涙をこぼしながら、山を降りた。その後、家へ帰らず兵舎に寝泊まりするようになり、1945年の秋、軍隊がいなくなるまで、その生活が続いた。
イワルさんにとって、さらに辛かったのは、長い戦後の生活。戦争が終わり、結婚した夫とともに教会に通い、平和な生活を送る中で、イワルさんは戦中にあったことをどうしても、夫に打ち明けることができず、心の傷に苦しんでいた。家の近くに、あの洞窟の倉庫があるのもつらいことだった。
一方、漢族の女性たちは遠く海外に連行された。
盧満妹(ル・マンメイ)さんは客家の出身。新竹の茶畑で、養父母とともにやとわれて労働者として働いていた。17歳の時、中国の海南島に行って食堂の給仕の仕事をすればお金が稼げるという言葉に騙されて、軍艦のような船に乗せられ、何日もかかって海南島に行ったが、そこは食堂ではなく、日本人の経営する慰安所。着物を着せられて、次々に何人もの軍人を迎え入れ、言うことを拒むと暴力を振るわれた。こうした生活の中で17歳の満妹さんはだれとも分からない日本兵の子をみごもった。それでも8か月になるまで客を取ることを強要され、産み月になって、自力で台湾に戻った。生まれた子どもに海男と名付けて自分で育てるつもりだったが、赤ちゃんは38日で短い命を閉じた。その後の満妹さんはいろいろ苦労を重ね、生活と闘いながら暮らしてきた。
裁判に関わるようになって私たちの知った満妹さんは、町の警察に出入りして、お巡りさんの制服の洗濯をしていた。夕方、服を受け取って持ち帰り、洗濯して夜中に干して、翌朝届けるというサービス。本当に寝る間を惜しんで働き、その生活の中で、身寄りのない近所の少年を引き取って学校に通わせていた。
このように、出自も言葉もちがう女性たちが、1999年の7月、日本の裁判所に謝罪と補償を求めて提訴した。裁判は2005年2月最高裁の上告棄却で敗訴になった。しかし、この間に、ともに痛みを経験した被害者たちは、言葉や民族の壁を越えて姉妹のように一つになった。日本の植民地支配による分断を乗り越えた。裁判は負けたけれど、負けた気はしないと満妹さんは言い、まさに、これも裁判の成果の一つだった。
今、日本で「台湾有事」という言葉が、当事者を離れて独り歩きしているが、それは、台湾を日本の戦争に利用した昔を思い出させる。
「慰安婦」も「徴用工」も韓国だけの問題ではないことも、日本政府にきちんと認識してほしい。
●「自由権規約」ってご存知でしょうか。言語に絶する二度の戦争の反省から1945年に「国連」が創設されました。1948年の国連総会は、すべての国と人が、すべての人が生まれながらに持つ人権・尊厳・自由を尊重し確保するために達成すべき共通の基準「世界人権宣言」を採択しました! 宣言では法的拘束力がない、それを拘束力のある2つの規約(条約)にし、1966年に採択したのが「自由権規約」(思想・表現…奴隷にされない自由等々)と「社会権規約」(自由であるために欠かせない経済的、社会的権利等)です。
日本も締約国になり、数年ごとに自由権規約に照らして日本の種々の人権状況について規約委員会の審査があり、政府に総括所見が発表されます。
●最新は昨年11月。「慰安婦」問題にはどんな意見があったでしょうかか。
「過去の勧告に対し進展がない」つまり、勧告に従わず、人権侵害の被害者に対する効果的な救済と完全な賠償が行われていない。その結果、現在も被害者の人権侵害が継続され、それに対処すべき義務を否定し続けていると厳しい評価を下し、勧告を繰返し国際基準に沿った解決を求めました。
(a)「慰安婦」被害者の訴えに対し調査、証拠の開示、加害者の処罰をせよ。
(b) 被害者(遺族含む)の裁判を受ける権利の保障、完全な賠償をせよ。
(c) 教科書へ記述し教育せよ、事実を否定する暴言は強く非難せよ。
●これに対して日本政府は次のように反論しています。(要約、C省略)
(a) 政府は1991年から本格的な事実調査を行い結果も公表した。その後も調査しているが、発見した資料の中には①「軍や官憲による強制連行は確認できなかった」②「性奴隷という表現は事実に反する」と反論。
(b) 「慰安婦」問題を含む個人の請求権の問題は1951年平和条約や二国間条約により法的に解決済み(賠償は不要)。善意で被害者にアジア女性基金や、日韓合意で資金(非賠償)を支給し最終的不可逆的に解決した。
●政府の事実認識は根拠がなく間違いです!真実を直視し真の解決を!
(a) ①、「強制売春とその強制連行」は戦争犯罪でした(日本軍人が死刑に)。発見された資料の中には数多くの軍・官憲による強制連行の証拠があるのです!(例:表紙、「河野談話」、裁判所の事実認定等)それを知りながら「なかった」とウソを繰返すのは、「自発的に「慰安婦」になり商行為をした女性」と歪曲したいのでしょう。国内法・国際法では甘言でだまして連行するのも強制連行です。
②の人間としての自由と尊厳を奪われた性奴隷、これが「慰安婦」問題の本質です。〔例:慰安所に監禁され、「毎日兵士が朝~夕方、下士官は夕~9時、将校はそれ以降と性行為を強制され、時に数十人」(宋神道さん裁判の事実認定)。「常時軍の管理下におかれ、軍と共に行動させられ、自由のない痛ましい生活」(調査の政府発表文1993)〕証拠は明白です。しかし、政府は「事実に反する」と断言するだけで全く根拠も示さない。これを性奴隷制と規定し、勧告し続けるあらゆる国際機関に違反しています。
(b)最高裁は2007年被害者の請求権は消滅していない(立法・行政的賠償は可能)と判決。これを根拠に被害者に一日も早く真の解決を届けましょう!!