東ティモールのHAK(人権協会)から連絡があり、東ティモールの南部、コバリマ県スアイに住む元「慰安婦」のフランシスカ・マシェドさんが、2021年6月13日午後3時半頃、亡くなられたそうです。




フランシスカ・マシェドさん(2006年8月、古沢希代子撮影)


東ティモールの方々はだいたい年齢不詳(生年月日不明)なのですが、第二次世界大戦当時12才から17才ぐらいの間だったとして、90才前後と思われます。



最初にお会いしたのが2001年ですが、その頃は大変元気でした。最近はずっと病気で、車椅子を使っていると聞いていました。




 フランシスカ・マシェド(Francisca Machedo)さんは、コバリマ県の山の方、フォホレン郡のダトトルという村の集落長に命令され、スアイの町のベマタン(水源という意味)につくられた慰安所に入れられました。集落長から、言うことを聞かないと親が殺されると脅されました。



1人1部屋をあてがわれ、フランシスカさんは「トミコ」と呼ばれ、その名前を入れ墨に彫られました。3年「慰安所」にいました。


彼女以外にも「ダスコ」、「ホシコ」といった日本人の名前を付けられた女性や、ワイレオ、ファロジョ、ワイマリという名前の女性がいました。


 大勢の兵士を相手にしなければならなかったので彼らの名前はあまり覚えていないのですが、それでもアリムガタとかワインタセオとかいうのを耳にしています(「オガタ」や「部隊長」ということかなと想像しています)



 戦後、結婚しましたが、夫に彼女の大戦中の経験を話したことはなかったそうです。



 ご冥福をお祈りします。



松野明久(東ティモール全国協議会)