<報告>2021.5.15 日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク オンライン・セミナー インドネシア・バンカ島虐殺事件から
日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク
オーストラリア・メルボルン在住の田中利幸さん(当会共同代表)が、偶然、80年前に日本軍の1部隊がインドネシアのバンカ島で起こした豪州軍看護師虐殺事件の被害者遺族と知り合いになり、すでに『知られざる戦争犯罪ーーー日本軍はオーストラリア人に何をしたか』(1993年、大月書店)の著作のある田中さんは、ご遺族の思いを知り、戦争責任の第一歩として、「痛みを共有」し、今後何ができるか考えたい、という願いを持ち私たちに話してくれた。
アジア太平洋戦争についていくばくかの知識はあっても、私たちは日本軍とオーストラリア軍との戦争についてはあまり知識がない。
インドネシア・バンカ島で起きた日本軍による英軍兵士・従軍看護師・民間人虐殺事件、とりわけ看護師に対し「強かん・虐殺」した事件について、日本ではあまりにも知られておらず、まずこの加害の事実を学ぶことを目的にオンラインセミナーを企画した。
遺族のジョージーナ・バンクスさんとジューディ・キャンベルさんにも遺族としての思いと活動を語っていただけることになり、5月15日、広島、東京、オーストラリア・メルボルンをインターネットで結んで、日本各地の約100名の参加者の方々に配信するという、私たちにとって初めての大がかりなオンラインセミナーが実現した。ご遺族への通訳を乗松聡子さんが引き受けてくださった。
まず、歴史家の田中利幸さんが「バンカ島豪州看護師虐殺事件」についてパワーポイントを駆使し地図や写真を使って日本軍の侵攻とシンガポールからオーストラリアに避難する輸送船の動きを示し、どういう経過でこの事件が起こされたのかという歴史事実を学んだ。
[バンカ島虐殺事件の概要]
1941年12月8日午前2時頃、海軍がハワイの真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を奇襲攻撃する1時間以上前に、日本陸軍はイギリス領マレー半島に奇襲上陸し、3年9ヶ月におよぶ太平洋戦争が始まった。
日本軍はマレー半島を南下してシンガポールそして蘭領インドネシアへと侵攻を続けた。
英豪軍は自国民間人の避難計画を立てておらず、オーストラリアに避難するためシンガポールに集まった民間人は自ら輸送船を仕立てて帰国しようとした。しかし避難船50隻のうち40隻ほどはその途上で日本軍の爆撃に遭い多くが沈没、溺死する者が相次ぎ、波間に漂う人々に対しても銃撃が浴びせられ4~5千人が亡くなったとされる。
80~100人が運良くバンカ島のラジーク海岸に泳ぎついた。
生き延びた兵士や看護師、民間人には食糧や医療品もなく、日本軍に投降しようとムントクに船員を遣ったところ、16名の日本兵と戻ってきた。日本兵は人々を女性と男性に分け、まず男性を海岸の別のところに移動させて刺殺あるいは銃殺し、最後に女性を海に向かって歩かせて背後から銃撃した。
男性のうち3人、女性のうち1人が奇跡的に生き延びた。
生き延びた女性ヴィヴィアン・ブルヴィンケルは長い収容所生活の後帰国し、上官(男性)に看護師22名全員が銃撃で虐殺される前に強かんされ、自分一人が死んだふりをして生き延びたことを報告したが、その上官は「強かんされたことに触れてはならない」と命令した。
(写真は東京裁判で証言するブルヴィンケルさん)
そのため東京裁判でブルヴィンケルは証人喚問されたが、証言では虐殺される前に強かんされた事実には触れなかった。
彼女は2000年7月に亡くなった。
こうして隠蔽された豪州従軍看護師の強かん虐殺事件について、田中さんが1993年、オーストラリアの学会発表で初めてその可能性を示唆したが、その際裏付け資料はなかった。
しかし虐殺事件75周年にあたる2017年、ブルヴィンケルさんが亡くなる直前にインタビューしたテス・ローレンス記者が、ブルヴィンケルさんは「強かんされた」ことを認め、「そのことを公にできないことで幾十年もの間苦しんだ」と語った、と報じて議論が始まった。
戦争史家であるリネッテ・シルバーさん(『慈悲の天使たち』の著者、2019年)、伝記作家バーバラ・エンジェルさんの二人は、この恐ろしい事実があったことを示唆する多くの証言を収集したが、それらを裏付ける証拠は提示されなかった。
しかしながら、ブルヴィンケルさんが1942年の事件当時着ていた制服の状況や身体に残された弾痕による傷、また、事件の数時間後(?)に海岸に残された看護師たちの遺体を目撃した情報などの状況証拠があるので検証は可能である。
なぜブルヴィンケルさんは「強かんされたことに触れてはならない」と命じられたのか。
「犠牲者の名誉を守るため」という考え方
・従軍看護師は、前線で戦い負傷する男たちを看護するあくまでも国家に忠誠で、「純粋潔白で汚れのない若い女性」というイメージ=神話、その「美しい神話」を崩すような「強かんの犠牲者」という「汚れた歴史的事実」には目を塞ぐことが必要であり、賢明な政策である。
・男一般にとって、自分たちの国家/民族集団に属する女性の身体が外国人によって「侵略されることは、母国が侵略され略奪されることの象徴であり許しがたいこと。
・豪州国立戦争博物館の反応も、根本的にはこのような「男の愛国心」に根をおいているのでは。
「愛国心」は性暴力ー他国の女性の性の支配ならびに自国の女性の外国人による性被害の隠蔽ーと密接に絡んでいる。
田中さんはラジーク海岸での強かん事件以外にもムントク収容所内で起こった多くのセクハラ・性暴力行為、特に公けの記録にはないパレンバンの抑留所での4人の将校クラブ「慰安婦」の存在(『ラジー海岸にて:シンガポール陥落後の豪州看護師の物語』イアン・ショー著、2012)にも触れた。
強かんは単に男性が暴力的に自己の性欲の発散を行うという行為ではない。
女性を強かんすることにより、男性は「他者に対する支配力」を自己確認する。戦時においては、兵隊には常に他者(敵)への支配力を維持・強化することが要求される。「輪姦」は複数の男性が互いにその支配力を誇示しあう集団行動である。
よって、戦争においては輪姦が頻繁に行われる。「商業売春」利用で軍性暴力は防止できない。畢竟、戦争の本質は「他者に対する支配力の獲得と顕示欲」という強かんの要素と本源的には同一のもの。
詳細は添付資料「国家と戦時性暴力と男性性:『慰安婦制度』を手がかりに」(宮地尚子変『性的支配と歴史:植民地主義から民族浄化まで』第2章 田中利幸著)を参照のこと。
戦時性暴力とMe Too運動
1991年の金学順さんの名乗り出に勇気付けられてジャン・ラフ・オハーンさんも名乗り出、家族が支えた。
Me Too運動は2006年にアメリカで始まったが、日本軍「慰安婦」被害者の名乗り出はまさにMe Too運動であり、被害者を支える運動がそれを可能にした。
日本における「慰安婦」バッシングは日本の男が支配する文化、とりわけ政治文化に対する挑戦だと危機感を抱く男たちの切羽詰まった反応なのだ。
男が支配している現在の文化(政治、司法、学術、宗教など)全体を根本的に解体し、文字通りの性平等を確立・保障する新しい文化の構築が必要条件。その第1歩は男たちの思考様式を変革する教育にある。
Me Too運動は男文化=家父長制的文化に風穴をあけた文化革命だと言える。
戦争責任について
「責任」を感じるか否かは「罪」をどう意識するかによるがその罪意識を動的(積極的)に処理する方法が重要だ。「罪の自覚」と「倫理的想像力の活用」の継続が「自己活性化」のエネルギーを産み、責任ある行動への自覚を喚起し、自己の主体性を回復させ、他者との社会関係をも回復させる。
この観点から日本軍性奴隷制問題を見つめ直すと自己の主体性回復と他者(韓国人、中国人その他のアジア諸国の人々)との社会関係を回復させる大きな可能性を秘めている問題であることがわかる。
戦後日本は自国の責任も他国の責任もうやむやにし続けているため自己の主体性を回復できないでいる。
『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房、2019年)参照。
以上で田中さんの講演を終え、バンカ島で虐殺された大叔母(祖母の姉)にあたる看護師ドロシー・エルムスさんについて、ご遺族のジョージーナ・バンクスさん(ビジネスコンサルタント)に遺族としての思いと現在の心境、活動と願いについて語っていただいた。ジョージーナさんは強かんの事実の確認のために現在情報公開を求める準備をしている、と付け加えた。(写真:ジョージーナ バンクスさん)。
続いて、バンカ島のムントク収容所で祖父を亡くした(1944年8月、53歳)ジューディ・キャンベルさん(医師)が、祖父(マレー半島でゴム農園を経営)の人となり、捕らわれるまでの経緯、収容所内での生活、遺族としてのこれまでの活動、そして彼女の願いと日本人に望むことについて語った。
*ジューディ・キャンベルさんさんのお話の内容はこちら
http://www.restoringhonor1000.info/2021/06/blog-post_12.html
休憩の後、質疑応答が行われ、最後に田中さんが[ドキュメンタリー映画の制作]を願っていると話して2時間余りのセミナーを終えた。
その後、10人余りの方々から感想が寄せられた。
バンカ島事件についてはやはり知らない人が多く、戦時下の性暴力、特に従軍看護師に対する性暴力を認めようとしない国家権力(男性)や家父長意識の問題という分析にショックを覚えたという感想もあった。
ネット上とはいえご遺族に直接接してお話が聞けたことで課題をより身近に感じることができた。
歴史を直視し、次世代に伝えて平和を実現していく決意なども綴られ、このセミナーによって、過去の戦争が現在の性暴力の問題に引き継がれているという理解の促進につながり、所期の目的を十分に果たすことができたと思う。
長年の研究を1時間という短時間にまとめてくださった講師の田中さん、また同時にご遺族の方々に引き合わせてくださったことにも心から感謝したい。
この学びを日本軍「慰安婦」問題解決運動にも活かしつつ、問題提示を受けた者の責任として今後の取り組みを考えていきたい。