〈正義連〉第1707回 日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモ 週間報告
ついにドイツ・ボンの女性博物館に平和の少女像が設置されました。
6月28日、世界初の女性博物館(1981年)で平和の少女像の除幕式が行われました。
この席で、マリアネ・ピッツェン館長は、継続している女性に対する暴力の深刻さと、平和が脅かされている状況を懸念しながら、「平和の少女像は私たちの博物館にとって重要な象徴であり、その名前だけでも意味が大きい」と感想を述べました。除幕式まで数々の苦難を経験したであろうドイツ・コリア協議会とボン女性博物館に深い感謝の意を表します。
この少女像は2021年4月、正義記憶連帯が製作費と輸送費の全額を支援し、ドレスデン民俗博物館の展示のために送った少女像です。
ドレスデン民俗博物館は第二次世界大戦当時、戦禍で大きな被害を受けた場所で、戦後に復元された公共博物館です。
少女像は4ヶ月余りの展示後、平和の重要性を強調するために博物館の庭に永久に設置される予定でした。しかし日本政府の圧力と日本右翼の無差別な抗議と脅迫などで博物館長が永久設置を放棄し、博物館の倉庫に少女像は監禁されていました。
その後、ヴォルフスブルク現代美術館のエンパワーメント(Empowerment)展(2022.9.10.~2023.1.08.)、今年3月のケルンのナチス記録博物館での展示(2025.03.08.~2025.06.01.)をへて、ようやく安全な場所を見つけることができたのです。
本当に感慨深いです。その困難な過程が植民地時代の日本軍「慰安婦」女性たちの生活に似ていて胸が痛みます。
これによりドイツだけで5つの平和の少女像が設置されました。
2017年のレーゲンスブルクを皮切りに、フランクフルト、ベルリン、カッセルに続き、ボンまで無事に到着しました。 特にレーゲンスブルクを除く4基は、正義記憶連帯が全面的に支援した少女像です。 その旅を共にし、応援し、後援してくださった国内外の市民の皆様、心から感謝いたします。
その間、日本政府の設置妨害と撤去圧力は想像を超え、時には日本首相が直接ドイツ首相に撤去を要請し、時には外務大臣が設置地域の市長に圧力をかけるのはもちろん、日本の国会議員が質疑を通じて外務省などに圧力をかけることも多々ありました。
日本の海外公館は少女像の設置妨害と撤去を最優先目標とし、設置機関長や市長室を直接訪問し、撤去の圧力を加えました。
日本の右翼は少女像の設置期間中に大規模な脅迫性のメール攻撃を展開し、これに歩調を合わせて韓国の極右勢力も直接現地を訪れ、撤去デモを行うこともありました。
今回のボン女性博物館にも日本外務省が様々なルートを通じて「強い懸念」を伝えたと公式に明らかにしました。
日本政府と日韓の極右勢力は、日本軍「慰安婦」問題を日韓間の民族的な紛争に決めつけ、世界各国が少女像の設置を避けるように誘導してきたのです。アジア・太平洋全域に及ぶ広範な植民地・戦争犯罪を隠蔽し、日韓問題に矮小して外交紛争化しようとしたのです。
それでも少女像は逞しく世界中に広がっています。
日本政府の攻撃的な態度と韓国政府の無関心にもかかわらず、米国・カナダ・オーストラリア・中国・ドイツ・イタリアなどに広がり、戦時中の性暴力の深刻さと女性の人権と平和の大切さを伝えています。
日本軍「慰安婦」問題に込められた人類普遍のメッセージに共感した各国の市民団体や機関長、市長たちが、自国の歴史の中に深く刻まれた性的暴力と集団虐殺、国家暴力の問題を記憶し、人種差別と性差別を克服しようと実践的な決意を固めているのです。
こうした背景には長い運動の蓄積された歴史があります。
挺対協は1990年の発足時点から、日本軍「慰安婦」問題の本質を帝国主義と植民地主義、人種差別と性差別、階級差別が絡み合ったものと捉え、その後、国連などの活発な国際活動と連帯を通じて、世界の女性運動、少数者運動、平和運動、脱植民地運動、反性的搾取運動、反人種差別・反帝国主義運動などと積極的に連結してきたからです。
今後も正義記憶連帯は、平等と平和、正義と人権という人類の普遍的な価値を守り、拡散するために、世界各地に平和の少女像を建立していきます。
日本政府や極右勢力に屈することなく、女性と少数者、弱者に対する国家暴力を批判し、記憶し、国家暴力を阻止するための活動に国内外の市民と固く連帯していきます。
2025年7月2日
正義記憶連帯 理事長 李娜榮(イ・ナヨン)
(訳 権龍夫)