映画「金福童」京都上映会は、急遽、ソン・ウォングン監督も再々来日してくれることになり、予想を上まわる200人以上の参加者で成功裏に終えることができました。どうしても京都でも上映会をしなければならないと思っていたので、実現して本当にうれしいです。




 ソン・ウォングン監督の全国上映運動に寄せたメッセージ(https://www.restoringhonor1000.info/2023/01/blog-post.html)にもあるとおり、監督は晩年の金福童さんがなぜ朝鮮学校の子どもたちのことをあんなにも気にかけていたのか、その理由がどうしても知りたくて、生徒たちに会うために2019121日に京都中高級学校に取材に訪れました。

監督は、この日の京都の朝鮮学校の生徒との出会いがこの映画の始まりであり終わりである、その理由は映画を観た人はわかるはずだと述べています。京都で上映会をしないわけにはいきません。




 金福童さんと朝鮮学校の出会いは20129月だそうです。

金福童さんは、大阪での集会で証言するために来日したのですが、その直前、当時の橋下大阪市長が「慰安婦」強制連行を否定する発言をしたため、金福童さんは「証拠が来た」と面会を求めて大阪市役所を訪問します。そのシーンは映画にも出てきます。この時に、初めて朝鮮学校を訪問したそうです。




 それ以来、金福童さんは、世界中の性暴力被害者だけでなく、朝鮮学校の子どもたちへも心を寄せて、2016年には「金福童の希望」基金をつくり、高校無償化から排除されている朝鮮高級学校生徒に奨学金を授与し、最後の財産も遺言により朝鮮学校のために「金福童の希望」基金に寄付しました。




 金福童さんは、日本軍「慰安婦」であった自分を否定し歴史から消そうとする日本の動きと、このように朝鮮学校を排除する動きは同じ根を持っているということを鋭く感じ取ったからこそ、朝鮮学校に心を寄せていったのではないか、私はそのように感じています。




 京都上映会では、監督のトークの後、京都朝鮮中高級学校の生徒が、感想と高校無償化除外問題などに関するアピールを発表してくれました。また、朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋(こっぽんおり)の活動紹介も行いました。




上映会に来られた方々は、朝鮮学校の関係者、支援者、日本軍「慰安婦」問題に係わる活動をしている方もいれば、別にどちらにもこれまで深く関心を持ってきたわけではないという方も、もちろんいらっしゃったと思います。それぞれ多様な背景を持った方々とともに、どんなに否定されても、どんなに排除されても、決して諦めず「希望を掴みとって」生き抜いた金福童さんに出会う時間を過ごせたことは、本当にかけがえのないことでした。

 

なお、国際女性デーに京都新聞が記事を出してくれました。


ドキュメンタリー映画「金福童」京都で上映 監督「彼女の名長く記憶して」(202338日、京都新聞)

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/984821



河かおる(映画『金福童』上映実行委員会@京都)