〈ハンギョレより〉パク・ユンギョン記者 登録 2020-08-1804:59 


この11日午後、ソウル麻浦区ハンギョレ新聞社社屋で'慰安婦'運動の若手研究者・活動家にとって望ましい運動方向と「ポスト被害者時代」に対する意見を問う座談会が開かれた。 


この5月7日、日本軍'慰安婦'被害生存者 李容洙さんが30年間ともにしてきた正義記憶連帯(正義連)を批判する記者会見を開いた後、「慰安婦運動」は前例がないほど熱い関心を集めた。 正義連の「会計不正」疑惑を提起する報道があふれ、一方では30年間の慰安婦運動の方向を反問し始めた。 あるひとは李ハルモニに政治的背後勢力がいると陰謀論を持ち出して、あるひとは慰安婦運動が被害者を利用してきたと非難した。



攻防が続く間、運動の行く末を悩む若い研究者や活動家らの声に耳を傾ける人はいなかった。 慰安婦被害の生存者が消えていく時期に運動に飛び込んだ彼らはここ数ヵ月間の事態をどう受け止めるだろうか。

 <ハンギョレ>は、慰安婦問題を解決しようと運動して研究してきた3人を招待して意見を聞いてみた。 中央大学大学院で社会学を勉強して韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と日本軍'慰安婦'研究会で活動してきたペク・シジン(31)さん(注:女性)、日本軍性奴隷制問題解決に向けた全国大学生プロジェクトサークル平和ナビネットワークで活動したチェ・ナヒョン(27)さん(注:女性)、韓ベ平和財団活動家、慰安婦運動を悩んできたチェ・ソンヨン(31・聖公会大学国際文化研究学科博士課程)文化批評家が座談を一緒にした。



証言が可能な慰安婦被害者がほとんど消えていく時期にこの運動に飛び込んだ若い研究者・活動家たちは「被害者だけが証言者ではない。わたしたち皆、彼らを記憶する第2次証言者にならなければならない」と口をそろえた。 さらに、「慰安婦問題は女性に対する性搾取と暴力の問題だから、現在とは何ら関係がないとされることを一番警戒しなければならない」と指摘した。


進行:「挺対協が被害者を利用した」という李容洙ハルモニの発言後、従来の慰安婦運動が被害者の意思を十分に尊重しなかったという批判が殺到した。 どんな気持ちで見守ったのか。


ペク・シジン:やるせなかった。特にもどかしかったのは「被害者の意思を尊重しなければならない」とし「被害者中心主義」を強調したマスコミや人々も各自の好みと主張に合わせてハルモニの言葉を部分的に引用したという点だ。 2回目の記者会見で、ハルモニが予定になかった発言を40分間続けた。 ハルモニの意図をより深く理解するには、そのように長い発言の中で、各自の意図に合った部分だけを選択的に引用せず、ハルモニの過去の発言や生涯史などをともに考慮して悩み、解釈しなければならない。 しかし、いざ殺到したのは無意味なストレート記事だけだった。



チェ・ソンヨン:ハルモニが言おうとした言葉の本意ではなく、ハルモニに対する韓国社会の陣営化した欲望だけを発見した時間だった。 正義連を批判するために、ハルモニの発言を引いてきた勢力は、ハルモニが今年7月、李ナヨン正義連理事長に会って話し合い、手を握ったことについては言及しなかった。 ハルモニの後ろに背後がいるという意見も、ハルモニの主体性を無視した主張だ。 被害者中心主義を強調した彼らがかえって被害者を押しつぶして無視したのではないかと思う。


進行:従来の慰安婦運動を批判する側では、被害者中心主義をとても強調している。 研究者、活動家として悩ましいですね。


チェ・ナヒョン:被害者中心主義は「被害者の観点」を強調するアプローチであって、被害者に判断全体を委任したり、被害者の言葉が全面的に正しいと信じることを意味しない。 被害者と活動団体の間で当然、意見の食い違いが生じ、今回の李容洙ハルモニの発言のように、被害者が活動方式に問題提起することができる。 被害者と活動家は、葛藤が生じた場合、対話を通じて誤解を解いていき、社会はそのような協議過程を見守りながら、より良い方向性を見出すことに賛同しなければならないのではないか。 葛藤状況そのものを問題視し、被害者と活動団体の関係が完全無欠でなければならないとするほど、その中で被害者が果たす役割を制限的に考えるようになる危険がある。


進行:民主党の尹美香議員は問題が起きた後、今年5月にはフェイスブックに「無条件で被害者の前では頭を下げろ」という書き込みを掲載した。


ペク・シジン:被害者の意見を一つに統一できるという期待を捨てなければならない。 特に被害者は、現在生きている生存者だけが存在するのではない。 金学順ハルモニの初の証言で、慰安婦被害が公論化される前に死亡した被害者たち、被害を名乗ることができなかった被害者まですべて合わせると、被害者を一つの集団として想定するのは不可能になる。 すべての慰安婦被害者が運動団体一ヶ所にのみ属していなければならないということもない。


チェ・ソンヨン:実際、初めて被害者を「選別」したのは活動団体ではなく、日本政府だ。 1995年にアジア平和国民基金を受けとると同意した被害者にだけ、当時の日本首相の謝罪の手紙が伝えられる、いわゆる「条件付き謝罪」をし、被害者を日本政府の意向に従うべき対象とだけ考えていた。 ここで被害者間の分裂、被害者と活動家間の葛藤が生じた側面が大きい。 このような側面を排除して、日本政府を批判していた活動団体にむしろ被害者を選別したという容疑をかぶせることは、不適切な指摘だ。


進行:正義連中心の既存の慰安婦運動が過度に民族主義的という批判も出ている。


ペク・シジン:慰安婦問題を民族主義的観点だけでアプローチすることも問題だが、「民族」という変数を除けば、事案を包括的に理解できない。 日本帝国が慰安婦を動員・待遇した方式などが人種、民族によって違うように現われたからだ。 1948年、インドネシア·バタビアで開かれた戦犯裁判では、アジア女性を除いたオランダ人女性に対する暴力だけを処罰した。 このように人種、民族の鍵を考慮しなければ、暴力の様相がなぜ、どのように違うのかを看過する危険がある。 運動初期に韓国協会女性連合会と尹貞玉 梨花女子大学名誉教授が慰安婦問題を初めて突っ込むようになったきっかけも、日本人の'妓生観光'問題だ。


「ハルモニたちの言葉を理解するのに、過去の発言と生涯を一緒に考慮することを民族主義の観点抜きで見れば、暴力の様相を包括的に理解できない」


進行:それにもかかわらず、従来の運動が「親日」と「反日」の二分法で慰安婦問題にアクセスしたり、大衆の民族主義的感情に訴えてきたという批判は無視できないようだ。


チェ・ナヒョン:既存の運動で「純潔な民族の娘だった被害者たちが日帝に踏みにじられた」といった民族主義の修辞が使われたのも事実だ。 しかし、これを理由に「運動がすべて民族主義的だった」と話すことは、数十年の運動の歴史を消すことだ。 運動もその時々の社会的状況と認識に影響を受けたため、時期ごとに目標や活動の様相が異なる。 

今まで以上に韓国社会の民族主義が堅固だった時期には、運動も民族主義的志向を表わさざるを得なかった。 しかし、正義連を中心にした既存の運動が大衆の支持と後押しを得るために、社会の底辺に敷かれている民族主義情緒を活用しようとしたという主張は事実でない。 むしろ正義連の運動は若い活動家の問題提起と既存の活動家・証言者の絶え間ない省察を通じて民族主義的観点の限界を指摘し、普遍的女性人権レベルに視野を広げて全世界のもう一つの性暴力事案と連帯してきた。 

例えば金福童、吉元玉ハルモニの意志で結成された「ナビ基金」はコンゴ、ウガンダ、ベトナムなどの戦時性暴力被害女性や児童を支援するのにも使われたのではなかったか。 「平和ナビ」から「韓ベ平和財団」に移り、活動している私自身も生き証人になれるようだ。


チェ・ソンヨン:「正義連を攻撃する者が土着倭寇」というふうに極端なスローガンを叫ぶ少数進歩陣営支持者らの他には慰安婦問題の解決に実質的な関心を傾ける人々は少数だった。 この点は韓国社会の限界でもあるが、骨身に染みて自覚して進まなければならない。


「30年前、金学順ハルモニの勇気ある証言、韓国Me Too運動の大切な資産  今は性暴力被害者らの力になって慰安婦問題解決は現在形」


進行:今回の論争以後、被害者の声を聞かなければならないという市民社会の要求はさらに大きくなった。 「ポスト被害者の時代」の運動が乗り越えなければならない壁はさらに高まったようだ。


ペク・シジン:慰安婦問題を少数の個人にのみ起こった被害と考えないで、今日まで続いている制度化された性差別・性暴力と認識しなければならない。 日本軍慰安婦制度以前は国家が合法的にまたは暗黙的に女性の体を管理しようとした「公娼制」が存在した。 その後は「軍人の性欲は解消されなければならない」という認識の下、国家レベルで基地村女性の性売買が黙認され、積極的に奨励された。 このような歴史は、今日、多くの男性が風俗店など性売買業所に行って結束を固める文化と無関係ではない。 慰安婦運動が過去から現在までつながる性差別・性暴力の連結の輪をより具体化し、世界に知らせていく必要がある。 慰安婦問題が今日と何ら関係がないとされることを最も警戒しなければならない。


チェ・ソンヨン:金学順の証言は、韓国Me Too運動の大切な資産でもある。 

今も多くの女性が、恐怖の中で性暴力被害について証言し、公論化しなければならない状況に置かれている。 彼女らに「30年前からすでに勇気を出して被害を知らせてきた人々がいる」というメッセージを伝えれば、大きな励みになるのではないか。 慰安婦被害者と活動団体が協力してぶつかり、連帯を通じて成長してきた過去数十年の歴史もまた多くの性暴力被害者・連帯者らに、貴重な教育資料となり得る。 金学順の証言を単に「最初のMe Too」と修飾するだけでなく、被害者の経験を絶えず今日の言語と感覚で再解釈する作業が必要だ。


チェ・ナヒョン:「証言」の主体を拡張していく方式も考えられる。 証言は被害者だけができるものではない。 被害者の生涯を横で見守ってきた家族たち、長い間被害者のそばに立って証言を助けて連帯してきた彼女らは、直接的被害を被ってないが、被害者の証言を通じて自分の中の似たようなトラウマを発見した彼女らも、慰安婦問題の立派な証言者になり得る。 

さらに、これまで「加害者」と規定されてきた人々も「語りの場」に招待されなければならないと考える。 韓べ平和財団も、ベトナム戦争民間人虐殺被害者とともに、参戦軍人の声も受け入れようとしている。 国家がもたらした戦争状況で、被害者と加害者を二分法的に分けることには無理があるのではないか。 実際、慰安婦運動もやはり自分の加害経験を告白して慰安所の位置や運営方式などを教えた日本軍の男性たちの証言を通じて、日本政府の責任をより明確に規定することができた。


進行:最も混乱する時期に研究・活動の入り口に立った。


チェ・ナヒョン:平和ナビ運動を2013年から始めた。 活動家として、運良く被害者に直接会えた最後の世代だ。 そのためか、大学生たちと話を交わして、年齢差がそれほどでもなくても私の同じ年齢よりももっと慰安婦問題を過去の問題として考える傾向がある。 慰安婦問題を記憶と追悼の対象としてのみ接近して過去に縛っておいてはならないと痛感する。 過去と現在、慰安婦問題とベトナム戦争、民間人虐殺など、他の性暴力問題を自由に行き来する境界人になろうと思う。


ペク・シジン:先輩の活動家が言った言葉が記憶に残る。 「知ってしまった責任がある」ということだ。 私はすでに慰安婦問題と今日まで続く性暴力の輪を知ってしまった。 こうなった以上「知ってしまった責任」を履行するしかない。


チェ・ソンヨン:人種虐殺犯罪に黙認・同調してきたドイツ社会に対する内部的批判も当世代ではなく68革命後の青年世代によってだった。 慰安婦問題の解決もすでに終わったのではなく、今からまた始められる事だ。


進行 整理  パク·ユンギョン記者  ygpark@hani.co.kr


(拙訳:Kitamura Megumi)


ペク・シジンさんとチェ・ナヒョンさんは女性、チェ・ソンヨンさんは男性。

★韓ベ平和財団:韓国ベトナム平和財団


〈原文〉 http://m.hani.co.kr/arti/society/society_general/958155.html?_fr=fb#csidxb8ce5d7beb01f91ade26a305c3f852b