日本でただ一人、在日朝鮮人として名乗り出た宋神道さんの話をしたいと思います。


宋神道さんは1922年、日本の植民地にされていた朝鮮半島で生まれました。15歳くらいの時に、親に決められて結婚をさせられそうになり、とても結婚が嫌だったので逃げ出しました。そこで実家にも戻れずにいるところに、「戦地に行って働けば結婚しなくていいし、生きていける」と言われて、戦地に行ってどういうことをするのかも知らないまま、16歳の時に中国に連れていかれました。


宋さんが連れていかれた1938年という年は、日中戦争が全面戦争に突入するまさに最初の頃で、証言の中でも、武昌に着いたときに建物に血が付いていて、それを洗ったというお話をされています。そこから、日本軍の慰安婦として、中国の最前線で戦争が1945年に終わるまでの7年間、16歳から23歳まで、人生で一番大事な時期ともいえるような時期を、そのような暴力と監禁された状態で過ごしたという経歴を持った女性です。



宋神道さん  写真:川田文子



また、このような戦争中だけでなく、日本が戦争に負けて中国で解放された後も苦難の経験をされています。おそらく、民間人を装って早く日本に戻ろうとしたある日本兵に「日本に行って結婚しよう」と言われ、もう朝鮮にも帰ることはできないと思った宋神道さんはその日本兵について日本に渡りました。しかし、日本に着くと、お前にはもう用はないと捨てられ、まったく身寄りもない日本の地に放りだされることになりました。

絶望して自殺しようとしたところ、在日同胞に救われ、宮城県に住む一人の在日朝鮮人の男性と戦後、一緒に暮らしてきました。しかし、生活は非常に苦しく、飲み屋などで働いたとお話しされています。


当時の日本は、日本人に対する補償も十分なものとはいえませんでしたが、そのわずかな救済法にも国籍条項があり、戦後に日本国籍を喪失したとされた宋神道さんのような朝鮮人に対する救済はありませんでした。


1972年、50歳のころには生活保護を受けなければならないような貧困の状態に陥っています。周囲では、戦地に行った人には恩給などの一定の保護があるにもかかわらず、自分たちは生活保護を受けている、慰安婦だったとさげすまれるのが本当に悔しいとおっしゃっていました。


宋神道さんは自分から慰安婦だったとおっしゃったことはありませんでしたが、戦地に行った経験のある周囲の人間は気づいていたという状況でした。宋神道さんのような人の境遇に全く理解のない日本社会の中で、精神的にも経済的にも非常に辛い状態でずっと生活されてきました。


このような中、金学順さんが最初に名乗り出たことをきっかけに、日本でも聞き取り調査が行われ、宋神道さんの存在も知らされることになりました。1993年に宋神道さんは、在日でただ一人の原告として、2003年までの10年間、戦後補償裁判を闘われました。


裁判の中で、宋神道さんは、日本の戦争のためによその国の人間を引っ張っていきながら、戦後はなぜ朝鮮人だ、慰安婦だと差別されるのか、過去の過ちは過ちとして謝罪してほしいと証言しています。


裁判では、被害があったことは認めるけれども救済する方法がないとされ、最高裁では上告棄却となっています。


宋神道さんは、10年間の裁判の間、ほとんど欠かさず宮城県から東京まで上京して出廷し、裁判以外でも様々な場で証言をしてきました。日本政府は認めなかったけれども、自分の証言がその通りだと認めてくれる人がたくさんいることがわかって、裁判の最後の方では、やっと自分も少しは人間らしくなったと話されるまでになりました。


宋神道さんの裁判活動の中での姿を見てきて、私は、被害者の方が受けた被害は、実際には補償すらされなかったわけですが、たとえ補償されたとしても、絶対に償うことのできない非常に深い被害であると思うようになりました。宋神道さんは自分自身の力で証言をし、自分自身の力で被害回復をし、人権とは何なのか、人権を回復するということはどういうことなのかを身をもって示してくださったと思います。


日本の加害の歴史とは、償うこともできない甚大な被害を与えたことを認め、人権とは何か、人権とはどうやって守るのか、これから人権のことをどのように考えていくのかを教えてくれる、本当に大切な歴史だと思うようになりました。私たちはこの大切な加害の歴史から学ばなければいけないのであって、負の歴史とか、できればなかったことにしたい歴史などではありません。


宋神道さんは、裁判の後、2011年には東日本大震災で被災されましたが、東京に避難をされ、2017年に95歳で亡くなるまで、本当に何もかも奪われたとしか言えない人生だったのに、最後まで人間はこのように生きなければならないと教えてくださいました。



宋神道さん 写真:柴﨑温子



宋神道さんは亡くなられましたが、そこで終わりではなく、この日本の社会で、人権を守るとはどういうことなのかを教え続けてくださる存在だと思います。