〈報告〉戦時性暴力問題連絡協議会 第100回水曜行動 in 新宿 オランダ ジャン ラフ オハーンさん
私は、希望のタネ基金による証言プロジェクト参加者のうちの一人の学生です。今まで一年くらい、キボタネメンバーと一緒に、戦時性暴力被害者の人生と、歴史との向き合い方を勉強しています。突然ですが、未だに解決されないこの日本軍による戦時性暴力の被害者が、アジアの女性たちだけではなかったことを知っていますか?
世界中が、日本のやってきたことを知っています。日本のこの問題に対する対応を、世界が見ています。
私が紹介するのは、当時オランダ領東インドであったジャワに住んでいた、オランダ人のジャンラフオハーンさんです。
彼女は50年の沈黙を破る決意をし、手記を公表して日本軍性暴力について証言をしたヨーロッパで最初の人物です。
敬虔なカトリック教徒で、1942年日本軍によるジャワ侵攻当日、まだ19歳でした。オハーンさんは、日本軍が中部ジャワに持っていたアンバラワ収容所というところに抑留され、その後性奴隷として居住区域に強制移住させられました。収容所での彼女たちの生活は<daily bread>という短編映画になっています。
日本がアジアに強制収容所を持っていたことを知る人は少ないのではないでしょうか。強制的に連れ去られた後オハーンさんは、軍用の性奴隷として暴力による恐怖を味わわされました。それだけでなく、戦後も体に残る傷やトラウマ、二度の流産といった後遺症を抱えて生きなければなりませんでした。
日本の戦争で強姦された「犠牲者」としてオハーンさんが世界に向けて声を上げた証言の日本語訳を、抜粋してすこし読み上げたいと思います。国際公聴会実行委員会が1993年に編集し東方出版から出版した『アジアの声第7集 世界に問われる日本の戦後処理① 「従軍慰安婦」等国際公聴会の記録』の一部を読み上げます。
「私は恐怖で全身が震えました。将来はめちゃくちゃにされ、足元が崩れ落ちてゆくように感じられました。こんなことは絶対許されないことだ、人権をまったく無視している、これを許すくらいなら死んだ方がましだ、私たちは大声で反対しました。日本人は笑いながら、彼らが今や主人なのだから何をしようと勝手だ、もし命令に従わなければ家族が面倒なことに巻き込まれると脅しました。」
「全身が恐怖で焼け焦げそうでした。それは描写できない感覚です、決して忘れない、決して消えることのない感覚です。ほぼ50年たった今も、圧倒的な恐怖が、頭から四肢を通り抜けて行き、身を焦がされるような感覚に襲われます。それはとても奇妙な瞬間にやってきます。悪夢の中それで目を覚まし、その後もまだ消えずにベッドで悶々と時間を過ごします。」
以上が抜粋ですが、先ほど紹介した「アジアの声第7集 世界に問われる日本の戦後処理」で国際公聴会でのオハーンさんの証言を読むことができます。
ジャンラフオハーンさんは、90年代の国際公聴会以降も、2000年の女性戦犯法廷、2007年の米国下院での証言を引き受けました。
人間としての尊厳を取り戻すことを望み、世界に向けて声を上げる覚悟を決めることはどれほど大きなことだったでしょうか。軍による組織的な暴力だけでなく、そして戦後ものこる精神的後遺症と女性たちに沈黙を強いた社会の圧力を世の中に訴えた、勇気ある最初の女性たちのうちの一人です。
今でも世界中が、歴史に対する日本の態度と行動を見ています。
私もドイツベルリンで平和の少女像を見て来ました。
多くの「平和の像」は主に韓国人被害者を象徴していますが、ヨーロッパでは少女像が女性のエンパワーメントや女性を守るコミュニティの存在の証となり、過去に性奴隷とされたオランダ人への記念や追悼の意味だけでなく、現代のすべての暴力や圧力に対して抵抗する意味を持つ平和の象徴になっています。
今、アジアやヨーロッパ、世界中で周縁化された女性の記憶を取り戻す動きが巻き起こっています。そしてその一つ一つに、すべての女性への自由を求める、解放への願いがこめられています。そしてその運動の波は、記憶を未来へ残すために証言してくださった一人一人の女性の勇気によって紡がれてきたものであり、オランダ人のオハーンさんがそのうちの1人だったということを私たちは忘れてはいけないのです。
