今年5月に日本を訪問したベルリン市のカイ・ヴェグナー市長が、上川陽子外相と会った場で、「変化を作ることが重要だ」などと少女像の撤去を匂わせる発言をしたことが分かり、その後、少女像が設置されているベルリンのミッテ区も、撤去の意向を明らかにしました。



 

 ベルリン・ミッテ区の「平和の少女像」は今から4年前の2020年9月28日、ヨーロッパで初めて公共の敷地に建立されました。これを知った日本政府はすぐさま撤去要求を公に、露骨におこないました。当時の加藤官房長官は定例の記者会見で「極めて残念だ。撤去に向けてさまざまな関係者にアプローチし、わが国の立場を説明するなど働き掛けていきたい」と述べました。また、茂木外相もフランス訪問中にマース外相と電話会談して、少女像の撤去を強く要請しました。その結果、建立から10日でミッテ区が撤去命令を出すという事態になってしまいました。

 



 ところが日本政府の露骨な言動が却ってドイツ国内、そして世界各国の市民やメディアの批判を呼び、ミッテ区は撤去命令を撤回することになりました。そして2年後の2022年には設置期間が2年延長されて現在に至っています。その延長期間が終了する今年9月28日に向けて、再び撤去の動きが急速に進んでいるわけです。現在、ミッテ区長は「区は直接撤去しない」「(設置団体である)コリア協議会が自ら撤去することになるだろう」と言っています。どういうことか。撤去しなければ9月29日から過料を科すということです。そうして、設置団体自らが撤去せざるをえない状況をつくっていく、と言うのです。

 



 このようなことになったのは、日本政府の強力なロビー活動があったからです。2020年の設置時に露骨に、公に撤去要請をして世界の批判を浴びた日本政府は、もう少し密かにこの間活動してきました。そのような中でも、岸田首相は2022年に日本を訪問したショルツ独首相に少女像撤去のための協力を要請しました。これに対してショルツ首相は、ミッテ区に権限があるため連邦政府が介入することはできないと返答しました。その後、日本のロビー活動はベルリン市のミッテ区に直接的、集中的におこなわれ、ミッテ区の区議会議員たちが「こんな小さな区にまで外国(日本)大使館の職員が訪ねてきたのは初めてだ」と驚いているといいます。

 



 平和の少女像は、ドイツ現地では「アリ」という愛称で市民に愛されてきました。アリは「勇気ある女性」を意味するアルメニア語で、アルメニア虐殺のサバイバーで勇気を奮って声をあげた女性を、尊敬を込めてアリと呼びます。平和の少女像「アリ」は、戦時性暴力の被害を乗り越えて平和を訴えた女性たちの勇気の象徴として、ドイツで支持と理解の輪を広げてきました。

 



 この間、ミッテ区議会では平和の少女像の永久設置決議が数度可決されています。また、2022年に新たに選出されたレムリンガー区長は就任直後、「私は少女像を非常に大切に考えている」として設置許可の延長も積極的におこないました。その区長が2年経った今、「撤去」を口にする事態になっていることからも、この間に日本政府がどれほどのロビーをおこなってきたのか、推し量ることができます。

 



 駐独日本大使館は「像は、『慰安婦』問題への取り組みを含め、戦後日本の平和国家としての歩みと(2015年の)日韓間の合意を一切無視し、日本を永続的に非難する象徴のようなもの」(8月10日付『神奈川新聞』)と、撤去を求める理由を述べています。「日本を永続的に非難する象徴」、これが日本政府の認識なのです。何という倒錯した「被害意識」なのでしょうか。

 

 ベルリンだけでなく、日本軍「慰安婦」に関する碑や像が各国に建てられるたびに、日本政府は「歴史事実に基づいていない」とか、「我が国の立場に相容れない」などと言って撤去を要請し、たいへんな時間と労力、経費をかけて撤去に向けた活動をおこなってきました。日本ではない、他国に建てられたモニュメントに対して「我が国の立場と相容れない」と言って撤去を求めるとはどういうことなのか、全くおかしな理屈だと思います。

 



 今年5月に上川外相と対談したベルリン市長が「女性に対する暴力に反対するモニュメントには賛成するが、これ以上一方的な表現があってはならない」と発言したこと、またミッテ区長も、平和の少女像を撤去して、ミッテ区内にすべての戦時性暴力の被害者のためのシンボルを設置すると言っていることから、彼らが日本政府の「歴史事実に基づいていない」「日本を永続的に非難する象徴」といった主張を受け入れていることが分かります。

 



 ここで、私たちは平和の少女像の意味について、立ち止まって今一度、考える必要があると思います。 ライプツィヒ大学のドロテア・ ムラデノヴァさんは「ベルリンの少女像は『日韓の対立』とはかけ離れた独自のものになっている」と言っています。どういうことなのでしょうか。「ベルリンの少女像はドイツ国防軍の性暴力をドイツ市民に広く知らせ」る役割をしてきた、そして「移民が人口の半数以上を占めるベルリンのミッテ区で人種差別に反対する象徴としても機能してきた」と言うのです。そしてドロテアさんは「建てられる場所ごとに新しい意味合いが追加されることが平和の少女像が持つ魅力だ」と語っています(9月1日「新時代アジアピースアカデミー」)。

 



 つまり、「戦時性暴力被害者のための一般的なシンボル」ではなく、日本軍「慰安婦」という実体を伴う被害者たちが、戦時性暴力に反対して、平和を訴えたことを象徴する碑だからこそ、具体的にドイツの歴史を想起させ、今もドイツ現地、ベルリンのミッテ区で移民として苦しむ人々に勇気を与えることができたのです。そして、ドロテアさんが言うように、平和の少女像は建立された場所の歴史とあいまって、さらなる意味が加えられ変化し受容されているという事実、そのような新たな歴史が書き加えられている像を撤去することは、歴史に対する暴挙だと思います。

 



 平和の少女像が持つこのような意義が理解できない日本政府は、この4年間、休むことなく撤去のための活動をおこなってきただけでなく、設置団体であるコリア協議会の教育活動まで妨害しています。コリア協議会は、平和の少女像の近くに博物館を開設して、日本軍「慰安婦」問題だけでなく、ドイツ国防軍の性暴力など戦時性暴力問題を知らせ、学校にも教育に出かけてきましたが、その活動を日本政府が妨害しているのです。同協議会の韓静和(ハン・ジョンファ)代表は「日本大使館がベルリン市の学校監督官に抗議して、校長先生のところにまで訪ねて行った」ため、学校長から授業の取り消しをメールで通告されたと言っています。また、コリア協議会が毎年ベルリン市から助成金を取って実施してきた青少年への人権教育プロジェクトに対し、その審査をする諮問委員を五つ星ホテルに招いて、食事をご馳走して、コリア協議会のプロジェクトに反対票を投じるように説得したという事実が、ドイツメディアによって暴露されました(8月3日、rbb=ベルリン・ブランデンブルク放送)。



 国家が他国の市民団体の活動にまで圧力を加える、このようななりふり構わぬ恥ずべき行動を、私たち日本の市民は決して許してはなりません

 


 全国行動ではベルリン市長およびミッテ区長に送る手紙に賛同署名を集めています。20日が締め切りです。どうぞ全国行動のHPから署名サイトにアクセスして、手紙に連名してくださいますようお願いします。