今、日本政府の撤去要請によって、ドイのツベルリン市ミッテ区に立てられている平和の少女像が撤去の危機を迎えています。


ベルリンの日本大使館広報文化部は、撤去を求める理由を「像は、『慰安婦』問題への取り組みを含め、戦後日本の平和国家としての歩みと日韓合意を一切無視し、日本を永続的に避難する象徴のようなもの」と、話しています。


ベルリンの平和の少女像の碑文には「平和の少女像は『慰安婦』とよばれた女性たちの苦難を記念するものである。また1991年8月14日に沈黙を破った金学順さんと、それに続くサバイバーたちをたたえ、このような惨禍が世界中で二度と繰り返されないことを求めるものである」と書かれています。


今日、ここに並んでいる写真の金学順さんはじめ、アジア・太平洋各地の日本軍『慰安婦』被害者・サバイバーたちは、彼女たちを日本軍の「慰安婦」だった汚い女性と責める厳しい社会状況の中で、勇気を奮って自分たちの被害を証言しました。


「日本政府は私たちが死ぬのを待っている。私たちが死んだら、この事実は歴史から消えてしまう。私たちのような被害者を二度と出さないでほしい。戦争は絶対ダメ」私は韓国の金学順さんや黄錦周さんが生前に何度もこう話されるのを聞いてきました。


今日ここに参加している私たちは、アジア各地の日本軍「慰安婦」被害者・サバイバーを支援してきましたが、同じ言葉を各地の他の被害者たちからも聞いています。


ベルリンの平和の少女像は、日本軍「慰安婦」被害者・サバイバーの勇気をたたえ、彼女たちが願ってきた平和と性暴力根絶への願いを込めて、立てられたのです。


さらに、今、この像はベルリンでは「アリ」アルメニア語で勇気ある女性とよばれていますが、日本軍『慰安婦』だけでなく、現在も世界各地で起きている紛争下の性暴力のサバイバーの勇気をたたえ、紛争下の性暴力の根絶と平和への願いの象徴となっています。


今、お配りしているリーフの中に、ベルリンの「平和の少女像」の碑文全文と、「平和の少女像」の写真とそこに込められた意味を書いたものを挟んでいます。

どうぞ、お読みになってください。




          ベルリン・ミッテ区「平和の少女像」の碑文

              (2枚並んでいる)







ベルリン平和の少女像碑文(日本語訳)


平和の少女像

第2次世界大戦中、日本軍はアジア・太平洋地域から多数の少女や女性を拉致し性奴隷となることを強要した。

平和の少女像は「慰安婦」とよばれた女性たちの苦難を記念するものである。

また1991年8月14日に沈黙を破った金学順さんと、それに続くサバイバーたちを讃え、このような惨禍が世界中で二度と繰り返されないことを求めるものである。


韓国の「正義記憶連帯」寄贈  ベルリンの「コリア協議会」建立

2020年8月14日



平和の少女像の意味

この像の服装は第2次世界大戦終結以前のものです。

バッサリと切られた髪は少女や若い女性に対する暴力的な拉致を示しています。

握りこぶしと爪先立ちしている踵は、彼女たちが帰国後も味わった恥と孤立の生活と、辱めを受けても決してあきらめなかった強い意志を表わしています。

肩に止まった鳥は平和と自由、そして生者と死者との絆を意味しています。

床の石の板にモザイクで埋め込まれた影は、老いた女性の姿になっています。

それは、正義を待ち望みながら過ぎ去った長い時間を強調しています。

白い蝶は、再生と、責任者からの真実の謝罪を望んでいることの象徴です。

空の椅子は、そこに少女と隣りあって座って被害者たちの思いを感じるように私たちを招いています。 

そこには、このことを忘れません、そして平和な世界をめざして行動しますという次世代のすべての者たちからの約束が込められています。

平和の少女像が初めて建てられたのは、2011年、韓国ソウルの日本大使館前でした。1992年からここで続けられてきた日本軍性奴隷制問題解決のための水曜デモの1000回を記念して建てられました。

デザインは、金セギュンと金ウンソンという二人の作家と韓国の「日本軍性奴隷制問題解決のための正義と記憶連帯」によるものです。











「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」仮訳