今年で12回目になる8.14日本軍「慰安婦」メモリア・デーを迎えたこの夏、各地で様々な集会やイベントが行われましたが、東京では「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」が飯田橋で集会を開催しました。各地の取り組みを紹介し、「希望のたね基金」(キボタネ)の若者たちが被害証言の朗読を披露、「山西省・明らかにする会」は中国山西省の被害者遺族たちが日本政府を提訴した報告を行い、ベルリンからのビデオメッセージは日本政府による「平和の少女像」撤去問題を訴えました。

「正義を求める声は世代を超えて」と題する韓国の弁護士・具良鈺 (ク・リャンオク)の基調講演は素晴らしかったので私たちは、「いつか日本にお呼びして、お話ししてもらいたいね」と言いあいました。

 同じく8月14日の11時からは新宿のwamでは、この1年に亡くなった被害女性たちの名前を呼んで思い出を語る追悼の集いを行い、午後には「和解という名の暴力」というシンポジウムで早尾貴紀さんと古橋あやさんが講演しました。

 


また今年は「慰安婦」問題だけでなく、沖縄の米兵による性暴力事件が長く隠蔽されてきたことへの抗議行動や署名運動も盛り上がりました。

9月2日には「ふぇみん」とアジア女性資料センター、wam主催の院内集会で、沖縄の宮城晴美さんが強い怒りを訴えました。この問題では、フィリピンのリラ・ピリピーナも怒りの声明を寄せています。



 8.14集会のタイトルのように、正義を求める声は世代を越え、国境も超えて広がっている・・・と実感しています。中国では山西省の被害者遺族の動きに次いで、8月7には湖南省の遺族たちが日本政府を訴える裁判を起こしました。これは残念なこと却下されてしまいましたが、日本国内では8月14日に「ふぇみゼミ」が支援の声明を出し、署名運動を始めています。「山西省・明らかにする会」でも来週、内閣府へ首相あての要請書を出しに行く予定です。




このように「慰安婦」をめぐる様々な動きがありますが、日本のメディアはタブー視して、あまり取り上げようとしません。今日は毎日新聞が取材にきていますが・・・。



このところの訃報では、お名前やお顔は公表されていませんが、韓国で一人のハルモニが9月7日に亡くなったと知らされました。心からお悔やみ申し上げます。



また70年代のウーマンリブの闘士でリーダーだった田中美津さんが、8月7日に亡くなりました。私は8月13日のお通夜に伺いましたが、学生時代に参加したウーマンリブの集会で、田中さんがガリ版刷りのビラに「男たちの公衆便所・・・慰安婦」と書かれたことに、強烈な印象を受けたことを忘れられません。「慰安婦」という言葉との、初めての出会いでした。ご冥福をお祈りいたします。



 「正義を求める声が世代を超える」ということに関して、もうひとつ。

9月6日に池袋で、くるみざわしんさん作の演劇『あの瞳に透かされる』の公演がありました。2012年に大手カメラ会社・ニコンが主催する「慰安婦」写真展が、右翼の妨害で中止に追い込まれた事件が起こりましたが、この時のニコンの社員の気持ちとその変化を描いた風変わりな劇です。


くるみざわさんは日本人「慰安婦」だった城田すず子さんを一人芝居で描いた劇作家でもあり、彼の話を聴くと、そのこだわりが見えてきます。彼の祖父は戦時中、長野県河野村の村長をしており、村民を満州開拓団に送り出した人でしたが、敗戦の時に村民の多くが集団死してしまいます。そのため自責の念にかられた胡桃澤村長は敗戦の翌年、自殺してしまったのです。くるみざわさんは最近になってこの事実を知って大きな衝撃を受け、世代を超えて「加害責任」にどう向き合い、どう伝えていくのかを模索し始めました。これは大変重要な問題です。



 「慰安婦」被害者も加害の元兵士も高齢となり、多くが亡くなられている現在、その記録と記憶の継承はますます重要になってきました。戦争加害と加害責任については証言や資料が少ないだけに、一層貴重です。私たちもこのような試みを支援し励まして、次世代にこの問題を語り継いでいきたいと思います。