パク・シニョン (23.08.15 )








平和の少女像が建てられたドイツ・カッセル大学、撤去後、直接行ってみた。



ドイツ・カッセル大学少女像の設置と撤去

 

昨年(2022年)78日、ドイツ・カッセル大学に平和の少女像が設置された。学生会の議決で永久設置が決まったのだ。ベルリン住民の主導で設置された平和の少女像に続き、ドイツ内で2つ目の平和の少女像が設置されたことになる。特にドイツの大学キャンパス内に初めて設置されたのは、未来を担う人材の問題意識を垣間見ることができる重要なポイントだ。 

ではドイツでの「平和の少女像」はどのような意味を持つのだろうか。

 


昨年7月、カッセル大学には少女像と共に次のような案内板が設置された。

 


 「戦時中の性的暴力は現在もまだ発生している問題である。平和の少女像は第2次世界大戦中、アジアとヨーロッパの日本軍「慰安婦」被害者を追悼し、戦争犯罪が繰り返されないように闘った彼らの勇気を称えるためのものである」

 


この案内板からも分かるように、カッセル大学に設置された少女像は、単に日韓問題で韓国の味方をするのか、日本の味方をするのかという二者択一の問題ではない。ヨーロッパにも日本軍「慰安婦」被害者が存在するからだ。 

つまりカッセル大学学生会は韓国の味方をするために少女像を設置したのではなく、アジアとヨーロッパを網羅した過去の「慰安婦」被害者の追悼と、このような戦争犯罪が将来繰り返されないようにするための問題意識を持っていたのだ。

 



さらに20222月にロシアがウクライナを侵攻し、多数の戦争犯罪が報告され、特に女性に対する性犯罪も多数発生したことが世界に知られ、驚愕を禁じ得なかった。そのような時期にカッセル大学学生会で決議された少女像の設置が持つ意味、その重みは決して軽くない。

 


20233月、突然、カッセル大学の少女像の撤去に関するニュースが報道された。夜明けに学校側が撤去したのだ。撤去を求める学校側と撤去に反対していた学生会側が対立していた中、学校側が事前通知なしに一方的に撤去に踏み切った。

 



当時ハンギョレ新聞の報道によると、「大学当局は公式ホームページに『2022年にカッセル大学総学生会が学生会館前に建てた平和の少女像に対する大学の許可が一時的に締結され、すでに数ヶ月延長されたが、期限切れになった』とし、所有者であるコリア協議会が少女像を探しにくるまで学校がこれを保管することを明らかにした」という。ハンギョレ新聞はこのニュースを伝え、「日本政府の持続的な撤去圧力を受けてきた大学が電撃的な撤去決定を下したとみられる」と説明した。

 



平和の少女像の空いた場所

 

撤去直後、空間だけが残った場所に学生たちは空の椅子を置いて、抗議文を書いたパネルなどで少女像の代わりをした。撤去から約5ヶ月が経った今はどうだろうか。光復節を2日後に控えた813日、カッセル大学を訪ねた。



ドイツ・カッセル大学に設置された平和の少女像が昨年3月に奇襲撤去された後、約5ヶ月が経った今でも少女像の場所は保存されている。©朴シニョン

 



少女像の座はそのまま維持されており、むしろ少女像の座の後ろに木で仮設壁を追加で設置し、抗議の文言を貼っておいた。少女像の撤去をめぐり、誘拐(kidnapping)という表現を使いながら強く抗議している。

 


そして「少女像を探す」というチラシを貼り付けてある。韓国でも忘れ去られている少女像撤去問題に、ドイツの大学生たちは今もなお抗議している。何が彼らを動かしているのだろうか。



「少女像を探している」というチラシを貼り付けてある。下のQRコードをスキャンすると、少女像を取り戻す署名運動のページにつながる。 パク・シンヨン     

 


「記録」して「記憶」する国、ドイツ


ドイツを旅行していると、特徴的な光景が幾つか目に付く。 それは「記録」と「記憶」の国だということだ。第二次世界大戦によりヨーロッパの多くの地域が破壊され、多くの犠牲者が発生した。 そのため、第二次世界大戦の元凶であるドイツのナチスに関連する象徴は禁止されている。それでもドイツは「記憶」する。

 


ドイツで様々な博物館を訪れていると、共通して見えるものがある。それは、「ナチス」に関連する記録だ。ドイツの豊かな石炭産地としても有名なルール地方、ドイツのエッセンに位置する「ルール博物館」は、ナチスの石炭利用について展示している。

 


私たちには少女像の設置と撤去で有名になったカッセルだが、この地にある「グリム兄弟博物館」では、童話作家であり言語学者であるグリム兄弟について展示し、グリム兄弟が始めたドイツ語辞書の製作がナチス支配下でどのように行われたかを説明している。

 


ハンブルクには、老若男女に人気の「ミニチュア・ワンダーランド」がある。ミニチュアで作られた世界中のさまざまな風景が壮観な中、ドイツの変遷の歴史を扱ったコーナーが目につく。時代ごとにドイツの特徴をミニチュアで再現したもので、ナチスが世界を覆い尽くし、ユダヤ人が連行され、国民を扇動する場面がすべて再現されている。




ユダヤ人が連行される場面:ミニチュア・ワンダーランドで、ナチス支配下に引きずり込まれるユダヤ人を描いた場面 ©朴シニョン

 


ドイツの街を歩いていると、建物に銅板の案内板が貼られているのを見ることができる。案内板には、この建物がナチス時代に何に使われたのか、この場所で何人のユダヤ人が脱出中に死亡したのかなど、様々な情報が記載されている。

 


これらの記録は「ナチス」統治時代を懐かしむわけでもなく、かといって絶対的に卑下するわけでもない。ただ、ナチスによってどんなことが起こったのかを淡々と記録している。記録して記憶することで、二度とそのようなことが起こらないように反省もできるのではないだろうか。

 



「記憶」の国ドイツで行われた「歴史の消去」

 

戦争と直接関係のなさそうな博物館でも、街中の建物でも、「ナチス」にまつわる記録はドイツで簡単に見つけることができる。このように「記憶」するドイツで少女像の撤去という「歴史の消去」が行われたのだ。

 


少女像の撤去は「記憶」し「反省」するドイツの精神に反するものだ。民主的な手続きで学生会が決定したことを学校側が一方的に撤去したのは民主主義に反する行為である。

 


カッセル大学の入り口には一つの造形物が置かれている。



カッセル大学の造形物: 強制労働者と強制収容所に追放された人々を祀る造形物。朴シニョン

     



造形物案内板:カッセル大学の入り口に設置された造形物案内板。朴シニョン

 



案内文には、強制労働者と強制収容所に追放された人々を想起させるという説明がある。表題には「記憶の道」と書かれている。

 

少女像の撤去を通じて「記憶」することを否定した場所に「記憶の道」があるとは、実に皮肉なことだ。




(訳 権龍夫)