[特派員レポート]キム・クィス記者 2021.04.17

 



ドレスデン公立博物館に「平和の少女像」設置

日本軍慰安婦被害者の「沈黙を破る」象徴

「非常に遺憾」…駐ドイツ日本大使館、撤去を要求

 

ドレスデン公立博物館に「平和の少女像」が展示された。1年間の展示を予定しているが、日本の撤去ロビが始まった。

 



「平和の少女賞」が博物館に到着しました

 


ドイツ・ザクセン州の首都ドレスデン公立民俗博物館の中庭に、英語とドイツ語の碑文とともに少女像が設置されました。ドレスデン民俗博物館はザクセン州が運営する公立博物館で、ヨーロッパでは公立博物館内に少女像が展示されるのは初めてです。

 



「少女像は沈黙を破った慰安婦被害者の象徴」



少女像は415日から81日まで開催される「言葉にできないー大きな声の沈黙」展の一部として設置されました。

 


展示会は日本軍慰安婦被害問題を正面から凝視しています。ヨーロッパの公立博物館でこのテーマを取り上げたのは初めてのことです。また、ナチスによるユダヤ人虐殺、ドイツ帝国によるアフリカ、ナミビアの民族虐殺、トルコにおけるアルメニア人の集団虐殺、ユーゴスラビアでの戦争犯罪などについても取り上げています。


戦争の残忍さや耐え難く困難な苦しみに言葉を失った犠牲者が、やがて長い沈黙を破り、自らに起こったこと、「真実」を証言し、世界を目覚めさせることが展示のテーマです。

 


長い沈黙を破った被害者、そして証言の象徴となるのは、まさに「平和の少女像」です。

 


来場者は展示会場に入る前に、ブロンズの少女像の前を通り過ぎるでしょう。しかし、展示室に入ると、被害者たちの痛みと希望を追うでしょう。

 


   レメディオス・フィリアスの作品集。

幼い少女が苦しまなければならなかったひと汗ひと汗が表現されている

 


14歳の時に日本軍に慰安婦として連れて行かれたフィリピン人女性レメディオス・フィリアスの刺繍作品にまず出会うでしょう。1942年フィリピンに侵攻した日本軍に連れて行かれたフィリアスが体験した苦しみが描かれたものです。

 


この作品の後方には動画が上映されています。昨年KBSが発掘、報道した「臨月の慰安婦」映像が流れています。植民地の女性であったために経なければならばならなかった苦痛を展示したものです。

 


そのすぐ隣のスクリーンには1991年金学順ハルモニの慰安婦としての最初の証言を報道したその日のKBS9時のニュースレポートも含まれています。戦争が終わっても苦痛の中で生きた被害者らのほぼ半世紀の「沈黙」を破った歴史的事件を表したものです。

 


被害者に強要された「沈黙」が裂けたことによって世の中に亀裂が走りました。世界のいたるところで被害証言は続き、戦時女性に対する深い省察を求める契機となりました。

 

日本軍慰安婦であったことを証言した勇気ある被害者たち


 

これらの展示を探索した後、再び博物館の中庭に出て少女像を見ると入場前とは違う感情を持つことでしょう。

 


造形物であるだけでなく、韓日間の葛藤の要因でもなく、正義と人権、平和を語っているのだということを感じることができるでしょう。

 


「少女像は撤去されるべき」…再び始まった日本のロビー

 

実際、ドレスデンの少女像を取材して最も気になったのは日本の反応、即ち設置反対や撤去要請があったのかどうかということだった。

 


結論から言うと、ベルリン・ミッテクに設置された少女像とよく似た状況が繰り広げられています。展示会の開幕を前後して日本大使館は少女像の展示が遺憾であるとして公式に撤去を要求したとNHKが報じました。加藤勝信官房長官は、ドレスデンの少女像の展示は「日本政府の立場と相容れない、非常に残念だ」とコメントし、少女像を撤去するために関係者と接触していると明らかにしました。

博物館側に確認してみると、「日本から要請がきたのは事実」として、「議論している」と語りました。

 


博物館側が言う「議論している」は博物館側が撤去を念頭に置いた発言ではないものとみられます。直接会ってみると博物館の責任者たちは今回の展示会に大きな意味付けをしていました。1年という期間で展示される少女像ですが継続してこの場にいられるという趣旨の話もしました。

 


昨年KBSによって発掘、報道された「臨月の慰安婦」の映像も展示されています。

 


これについてマリオン・アッカーマン博物館連合総裁は記者会見で、「公共のプラットフォーム(博物館)として、私たちは日本など他の声について、意見を表明する機会を提供したい」と語りました。

 


レオンタイン・マイヤー・ファン・メンシュドレスデン民俗博物館館長も取材に対して同様の言葉を語りました。

 


「私は何か効果的につくられたものを、触発する何かいつも葛藤に満ちて、あなたはそれを耐えなければならず、またそれをコントロールしなければならないと信じています。私たちはそのための対話型の博物館でもあります。私もこの博物館に招かれて、お互いに話し合うことができるようにしたいのです。たとえ立場や態度が違っていても」

 


婉曲な表現ですが、日本に向けたメッセージとして読めます。この展示が気に入らないなら、被害者らの声が聞こえるこの場で論争してみようという意味のようです。

 


しかし、証言に立った被害者が次々とこの世を去っていく中で、彼女たちが契約による「売春婦」だったと主張し続ける日本が、「立場や態度が異なる」慰安婦に対して公開の場で対話」できるのか疑問です。


(訳 方清子)


<原文>

https://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=5164964