先の9月28日、ベルリンの市民団体らの努力により公共敷地に建てられた「平和の少女像」は、私たち同様に戦争と分断の痛みを経験したベルリン市民に、平和のメッセージを交わす連帯の場、歴史の教訓を継承する教育の場となっている。



しかし、日本政府や右翼、保守メディアは、少女像を歓迎する雰囲気が消えもしないうちに撤去を要求する攻撃を加えることで、逆に、私たちの連帯が求められていることを告げている。



除幕式の直後、日本の加藤勝信官房長官は「日本政府の従来の立場と両立できない」とし、「日本政府は様々な関係者と接触して従来の立場を説明するなど、引き続き少女像撤去のために努力する」と発言しており、茂木敏光日本外相は10月6日、日本外務省での記者会見で「東西分裂で一つのベルリンが生まれ、こうした共存の都市ベルリンに少女像が置かれるのは適切ではない」と述べた。日本の歴史否定団体「なでしこアクション」は、ホームページを通じて、ベルリン「平和の少女像」の建立を推進した地元団体とベルリン市役所や区役所の連絡先に対して、電子メールや電話の攻撃を組織している。



日本政府と右翼団体が国際社会において日本軍性奴隷制の歴史を否定し、問題がすでに解決されたかのような組織的ロビー活動を展開していることは、周知の事実である。

日本政府は、日本軍性奴隷制問題解決運動を沈黙させようと試みた2015韓日合意の時のように、日本軍性奴隷制の歴史を消すことに執着して国庫を支出している。

2019年の「ニュースタパ」の取材によると、日本政府は1990年代から金学順(キム・ハクスン)さんの公開証言、米国下院における決議案の発議および採択、グレンデールの「平和の少女像」建立、関連の展示会開催など、日本軍「慰安婦」問題のイシューにことごとく対応し、対米ロビーのための法律会社、広報会社との契約金だけで、少なくとも1,100万ドル(約130億ウォン)を支給した。

日本外務省は、日本軍「慰安婦」問題が1965年の日韓協定や2015日韓合意などですでに解決済みであるとして、日本軍性奴隷制問題の解決を求める韓国が国際法違反を犯していると主張する英語資料を作成し、海外博物館や政府などに流布している。右翼団体は、国連人権理事会をはじめとする国際機関や各種メディアを通じて、日本軍性奴隷制問題の解決を促した国連人権理事会と特別報告官らの報告書をこき下ろし、国際社会の声を否定している。日本の右翼団体「歴史の真実を求める世界連合会」は、第40回国連人権理事会への書面提出で、国連特別報告官クマラスワミ報告書を貶し、日本軍「慰安婦」問題を否定している。



「東西分裂から生まれた共存の都市」ベルリンと、戦後75年が過ぎた今でも南北に引き裂かれている朝鮮半島は、戦争と分断の痛みが世代を経て生きている場所だ。

日本の茂木敏光外相は、ベルリンに平和の少女像があるのは不適切だと主張するが、むしろ帝国主義の暴力と分断を経験したベルリンだからこそ、「平和の少女像」が伝える平和と女性人権の意味をかみしめることができるのである。

日本政府は敗戦後、南北分裂と葛藤構造の下で、戦争犯罪と帝国主義に対する責任を回避し、不当な経済的利益を得ただけに、ベルリンに建てられた「平和の少女像」の意味に向き合うべきであろう。



2019年7月24日、正義連とともに、日本軍性奴隷制問題と女性人権問題を解決するための<ポッタリ展>および記者会見の参加者一同は記者会見をひらき、日本政府による、米国、オーストラリア、ドイツ、フィリピンでの「平和の少女像」建設妨害、戦時性的暴力生存者への支援・連帯であるナビ基金活動の妨害、人権活動家への弾圧を糾弾した。正義連は、日本政府と右翼団体の攻撃に屈することなく、世界市民と国内外で連帯する諸団体とともに、日本軍性奴隷制問題解決を妨害する企みを記録し、歴史の真実と正義のための声を知らせていくものである。 


2020年10月7日  日本軍性奴隷問題解決のための正義記憶連帯



<添付資料>


「平和の少女像」および日本軍「慰安婦」被害者追悼碑の建立などに対する妨害活動の概要


1)米国グレンデール市「平和の少女像」

2013年7月30日、日本軍「慰安婦」被害者金福童(キム・ボクトン)さんが直接参加する中、グレンデール市「慰安婦」被害者メモリアルデーに合わせ、海外で初めて建てられた「平和の少女像」。


建立直後の2014年2月、日系極右団体「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」は、少女像の撤去を求める裁判を起こした。彼らは少女像撤去の提訴の理由として、「歴史的に検証されていない日本軍『慰安婦』を題材にモニュメントを作ったことは、連邦政府の外交権を侵害する行為」だと主張した。日本政府は上告審の進行過程で、「グレンデールの少女像は、米国と日本が交渉により確立した外交方針を妨害する逸脱行為」という意見書を提出し、国連と米議会、各州政府などに対して、少女像の撤去を正当化するためのロビー活動を行った。


2017年3月、米国最高裁判所は、少女像の建設撤去の要求を棄却した。これに対し、菅義偉官房長官(当時)は米最高裁の判決直後に、「グレンデール市が連邦政府の外交遂行を侵害したかが論点であっただけに、慰安婦に関するものではない」と主張し、「政府の立場と相反する慰安婦象の設置の動きは非常に遺憾なこと」と述べた。


2019年1月に訪韓したグレンデールのザーレ・シナンヤン市長は、メディアとのインタビューの中で少女像について「日本政府はもちろん極右団体などから圧迫を受け、今も続く何千枚もの電子メールを受けている」とし、「日本政府から直接的な圧迫はなかったが、間接的な他の形の圧迫を加えているのは事実」であると明らかにした。



2) 米国デトロイト「平和の少女像」

2014年8月、デトロイト北西部に位置するサウスフィールドミシガン韓民文化会館に「平和の少女像」が設置された。2011年から3年余りにわたって建立運動が取り組まれていた。


当初、建てる敷地として予定されていた場所はサウスフィールド市立図書館であったが、2013年4月に突然、市立図書館側から少女像の建立に対する立場が変更されたことを通知してきたので、市立図書館長との面談を進めた。


面談の中で市立図書館長は「デトロイト駐在の日本総領事館や企業家たちから少女像の建立に抗議があり、日韓の間で『慰安婦』問題に対する政治的意見の相違が多いということを知った」と図書館側の立場を説明する。

2013年初め、サウスフィールドに駐在する6人の日本経済人が図書館施設を見学し、日本総領事は日本企業家と市立図書館長夫妻を夕食に招待するなど、積極的なロビー活動を展開したことが確認されている。



3) オーストラリア・シドニー「平和の少女像」 

シドニー「平和の少女像」実践推進委員会の努力によって海外で4番目に建立された少女像。日本軍「慰安婦」被害者の吉元玉(キル・ウォノク)さんと被害者ヤン・ルフ・オヘルネさんの娘さんなどが出席した中、2016年8月、オーストラリア・シドニーのアシュフィールド教会に設置された。


2016年12月、正体が明確にはわかりにくい日本人民間団体である「豪州―日本コミュニティネットワーク(ACJN)」は、「平和の少女像が人種的憎悪と分裂を助長する」として、子どもを含めた日本人を人種差別やいじめから保護しなければならないという名目で、人種差別反対法の18C条項を適用してオーストラリア人権委員会に陳情を提出した。


この条項の内容は「人種と肌色あるいは国や民族を理由に、他の人を不快にしたり侮辱する表現、また、羞恥心を与えたり、脅威的な表現」を犯罪行為と規定している。


当該日本団体は当時、少女像の反対運動を続けるとして、2万豪州ドル(約1,730万ウォン)を目標とするオンライン募金運動まで進めた。


しかし、オーストラリア人権委員会は、日本の団体の陳情内容は人権委員会が扱う事柄ではないと判断して、その陳情を棄却した。



4) ドイツ・レーゲンスブルク「平和の少女像」 

ドイツ南部バイエルン州レーゲンスブルク近くのヴィセント「ネパール・ヒマラヤ パビルリヨン公園」に、日本軍「慰安婦」被害者の安点順(アン・ジョムスン)さんが出席した中、2017年3月に欧州初の少女像として設置された。 


当初、当該少女像は、2016年9月に友好都市である韓国水原市と共同してフライブルク市に設置される予定だったが、日本政府の激しい抗議により取りやめとなり、けっきょく地域を変え、個人の私有地である当公園に建てられた。


しかし、建設直後、駐独日本大使は電話で少女像の撤去を求め、その後は直接公園の理事長を訪れて撤去を働きかけたが、理事長は「日本が十分な謝罪と補償を行ったら、少女像を公園に建てておく必要はない」という立場を明らかにした。 


また、日本政府はドイツ・バイエルン州とレーゲンスブルク市に問題提起を行い、その後、正体不明の電話やメールが一日に数十通ずつ、州と市政府に送られている状況であった。特にその過程で、日本大使は2015年合意文を持参して理事長を圧迫し、理事長所有の建物に入居している日本の民間企業までが乗り出して、少女像の撤去を働きかけた。

 

結局、折衷案として理事長は「平和の少女像」の意味と歴史を記した碑文を取り除くことを決定し、取り除かれた碑文は現在まで再び設置することは実現されていない。



5) 米国ソールズベリー大学「平和の少女像」

2017年10月、米国メリーランド州ソールズベリー大学に設置が予定され、日本軍「慰安婦」被害者吉元玉(キル・ウォンオク)さんが除幕式への出席と証言活動のため直接該当大学を訪問したが、ソールズベリー大学は「平和の少女像」建立が無期限延期されたことを通報した。


当該大学への「平和の少女像」の建立は、「ワシントン平和の少女像建立推進委員会」が推進し、米国の首都圏地域における最初の設置という意味もあって、外部からの妨害を懸念して秘密裏に進められていた。また、同年9月中旬まで、大学総長は少女像の設置を約束していたにもかかわらず、突然の無期限延期の通知があったことから、推進委員会は他の様々な地域での経験から日本政府の圧力があったものと推定している。



6) ドイツ・ラーベンスブルク「小さな平和の少女像」の撤去

ドイツ・ラーベンスブルクに位置する政治犯収容所博物館のインフォメーションセンターには、正義連がドイツでのキャンペーンの際に伝達した「小さな平和の少女像」が展示されており、2017年5月、正義連が日本軍「慰安婦」被害者吉元玉(キル・ウォンオク)さんと共に、ISISの性奴隷被害女性との懇談会、ナビ基金の伝達、証言集会、映画「アポロジー」の上映会などを開催し、調査活動のために訪れた際も展示されていることを確認している。

しかし同年11月頃、ドイツ日本領事館側から小さな平和の少女像の展示を問題視して撤去を迫り、同年末には撤去されている。



7)  フィリピンの追悼碑の撤去 

フィリピンの場合、フィリピンの日本軍「慰安婦」被害者らを称えるために、2017年12月と2018年12月にマニラ市とラグナ州サンペドロにおいて、中国人同胞団体、被害者支援団体、サンペドロ市が追悼碑と「平和の少女像」をそれぞれ建立した。


政府の承認を得て設置されていたマニラ市の追悼碑は、日本政府の圧力により2017年4月真夜中に、排水工事のための一時的な撤去であるとしてマニラ市によって奇襲的に撤去され、現在作家の作業室に保管されている。マニラ市の追悼碑を設置した直後、日本政府は様々なルートを通じてフィリピン政府に抗議の立場を伝えている。


2018年1月、野田聖子総務相はフィリピンのドゥテルテ大統領に直接会って、追悼碑の設置について遺憾の意を伝え、ドゥテルテ大統領は少女像を「確実に処理する」と答え、撤去の事実をフィリピンの日本大使館に事前通知した。関連の女性団体は、日本政府が財政的支援を理由に追悼碑を撤去したことに強く抗議したが、依然として、撤去されたままの状態に置かれている。


サンペドロ市の場合、前職と現職の市長の主導により、修道院によって運営されている憩いの場に2018年12月「平和の少女像」を設置して除幕式を行ったが、在フィリピン日本大使館からの抗議の後、設置2日目にして電撃的に撤去された。


当該施設のシスターは、マスコミとのインタビューの中で、日本大使館が「フィリピンに設置された少女像を含め、各国で取り組まれている少女像の設置は極めて遺憾」との立場を繰り返し明らかにしており、撤去がこれと無関係ではないと語っている。

また、撤去当時、関連説明や告知もないまま行われている。現在、フィリピンのインフラ投資には日本政府の財政が大きく貢献している状況であり、日本政府がそれを根拠に圧迫を加えたと捉えざるを得ない。



8)  米国サンフランシスコの追悼碑の撤去

米国サンフランシスコでは、市議会の決議により、2017年9月にサンフランシスコの多くの市民と共に追悼碑を設置し、米国内の大都市では初めて設置されたという意味がある。


しかし、その後、サンフランシスコと友好都市である大阪市の市長は設置以降、友好都市の取り消しまでほのめかしながら執拗に抗議した。それでも撤去要求が不発に終わると、市議会では追悼碑の撤去を求める決議の採択まで試みられ、「慰安婦追悼碑をなくすことにより、双方の市民が友好的に交流できる環境を用意する意向があるなら、友好 都市関係を持続することに異見がない」と圧迫する内容の抗議書簡を送った。


実際に撤去が行われない状況を前に、大阪市は友好都市提携の破棄通知の書簡をサンフランシスコ市長に送り、2018年9月までに返信するよう圧力をかけた。

日本からのこのような脅迫が続く中、2018年8月、追悼碑の中の金学順(キム・ハクスン)さんの銅像が緑と白のペイントで毀損される事態も発生した。

しかし、サンフランシスコ市長は「性奴隷の恐怖に耐えられるよう強いられてきたすべての女性が直面した闘いの象徴」とし、撤去の意思がないことを明確にした。



9)  米国議会訪問者センター「平和の少女像」特別展示への妨害活動

2018年3月、日本外務省次官であった杉山晋輔氏が駐米日本大使として赴任した後、米国ニューヨーク韓人会が主催してでワシントンDC米連邦議会訪問者センターで開かれた「平和の少女像」特別展示の行事の許可に困難が来され、結局行事は縮小開催された。


ニューヨーク韓人会は米議会に展示行事の許可を申請し、日本の執拗な妨害により申請4度目になってようやく承認を受け、当初支持を表明して行事に参加することにしていた約10人の議員のうち6人だけが参加した。


展示会を支持していた米国民主党のキャロリン・マロニー下院議員は、実際、事務所に脅迫状が送られてきたり、ニューヨークで発行される日本の新聞にはマロニー議員の写真とともに、このような活動を中断すべきだという否定的な文章が掲載されるなど、議員個人を対象に圧力を行使したことが確認されている。



10)  ドイツ・ドルトムント、教会の日「記憶の包み展」での「平和の少女像」展示への抗議

2019年6月、ドイツのドルトムントでは教会の日を記念する行事が開催され、現地で行事を進行したボーフム・クリスチョンアカデミーは、<日本軍性奴隷制問題と女性人権問題を解決するための包み展>の中で「記憶の包み展」を設けた。それは州政府が運営する炭鉱博物館で、3日間「平和の少女像」や金福童(キム・ボクトン)さんの絵などを含め様々な芸術作品を展示するものだった。当該展示を事後に認知した日本総領事は、炭鉱博物館長に要請して面談した。


面談の過程で日本総領事は「日本政府は20年余り前から謝罪のために努力してきたが、特定のグループによって拒否された。2015年の合意で日本は公式に謝罪しており、生存している被害女性に補償するために財団金を拠出した」と説明し、「8年前から日韓間の状況が悪化し続けたが、その責任は今回の展示会に参加した一部の作家を含む韓国の『極端主義者』たちにある。今回の展示の主催側もまた『韓国の利害のために』全力を傾けたので、一定の責任がある」と主張した。


また、「韓国はアジア太平洋戦争当時、日本の植民地国家として日本とともに戦争に参加したのであり、ともに「慰安婦」も自ら参加したのである」と主張しながら、日本はこの件について終結させたいのだという点を強調した。


続いて「今回の展示は、2011年、ソウル日本大使館前に立てられた少女像の挑発を想起させる」とし、「これまで日本が少女像の建立を阻止したすべての事例をいちいち挙げながら、ドイツで2回、そして世界の他の場所で阻止してきたが、カナダに限っては日本の介入が成功的ではなかった」とも述べた。


炭鉱博物館長は、日本総領事の関心事は「平和の少女像」が炭鉱博物館に永久に設置されることを阻止することにある、と推測している。炭鉱博物館長は「ドイツ人は過去のナチスの歴史に対する責任を認め、その責任感を自主的な記憶の文化に具現した」ことを強調しながら、その後もこうした作業を通じて非常に具体的に想起させる取り組みを絶えることなく発展させていきたいと述べた。



11)  ドイツ・ベルリン「平和の少女像」への撤去要求

除幕式の直後、加藤勝信官房長官は「日本政府の従来の立場と両立できない」とし、「日本政府は様々な関係者と接触して従来の立場を説明するなど、引き続き少女像の撤去のために努力する」と発言し、茂木敏充外相は10月6日、日本外務省記者会見で「東西分裂で一つのベルリンが生まれており、このような共存の都市ベルリンに平和の少女像が置かれるのは適切でない」と発言した。

日本の歴史否定団体「なでしこアクション」はホームページを通じて、ベルリン「平和の少女像」の建設を推進した地元の団体とベルリン市役所や区役所の連絡先に対して電子メールと電話による攻撃を組織している。(10月7日現在)