ガザの子どもたちのこと、ウクライナでのレイプ、1937年の南京レイプ、そして現在の武器輸出、戦争への道に走る日本の現状を『死んだ男の残したものは』の歌とともに、思いを語った。




〈歌〉死んだ子どもの残したものは  ねじれた脚と乾いた涙

他には何も残さなかった 思い出ひとつ残さなかった

 

今、ガザでは、瓦礫の中で、灰色の粉塵にまみれた子供が血を流しながら泣いています。


4500人超の子どもが、この1か月余りの間に死んだと国連の人権機関が報告しています。

また、「イスラエル軍の救急車や病院への攻撃によって10分間に1人の子どもが死んでいる」と、1110日に国連の会合でWHO世界保健機関の事務局長が述べました。

さらに、昨日の新聞報道によると、ガザ北部のすべての病院は機能できなくなり、電源が切れて保育器の中の新生児も死んでいます。

 

 

〈歌〉死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった 着物一枚残さなかった

戦争や紛争が起きると、今も昔も、兵士による女性への性暴力が頻発し

ます。

ウクライナでは、ロシア兵によるウクライナ女性へのレイプが多発しています。

この歌が作られた1960年代のベトナム戦争でも、参戦した兵士によるベトナム人女性への性暴力が発生しました。韓国では、日本軍「慰安婦」問題の解決に取り組む女性たちが、1999年から自国の兵士がこの戦争でベトナム人女性に対して行った性暴力を告発し、被害者を支援する運動を行っています。

旧日本軍でも、193712月の南京攻略の時に、日本人兵士によって多数の中国人女性が強姦され、殺されました。このことによって抗日感情が高まることを恐れた日本軍は、この後、本格的に、アジアや太平洋諸島に慰安所を作っていきました。

 

114日、岸田首相は日本の首相として初めてフィリピンの国会議会で演説し、中国をにらんで、フィリピンと日本の軍事協力を強化すると述べました。

また、10月にフィリピンに防空レーダー1基を輸出したことを、防衛省が112日に明らかにしました。日本から国産の完成品の武器が輸出されたのは、戦後、これが初めてです。


岸田首相の演説当日、軍事協力の強化に反対してフィリピン女性たちが記者会見を開きましたが、その席で、93歳のエステリータ・ディさんが小柄な体を震わせて訴えました。


「私は、1994年、14歳の時に、パナイ島のタリサイ町の市場の前で日本軍に捕まって、慰安婦にさせられました。私の身に起こった苦しくつらい体験が、今の若い女性たちに再び起こらないように、私はすべての戦争に反対します。」

 

 

〈歌〉死んだ兵士の残したものは 壊れた銃とゆがんだ地球 

   他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった

 

今、日本政府は、中国による台湾有事に備えるとして、沖縄の島々に自衛隊基地を増強し、ミサイルを配備しています。

武力で平和は作れるのでしょうか

 


※歌「死んだ兵士の残したものは」

  谷川俊太郎 作詞、 武満徹 作曲 から抜粋