30日午前4時頃、日本軍の「慰安婦」制度の被害者である雷金二さんが、湖南省岳陽市華容県の自宅で亡くなった。享年97歳。上海師範大学中国慰安婦問題研究センターが発表した。

 



 同センター湖南調査チームは昨年5月21日に華容県を調査し、雷さんを訪問した。その口述、家族の補足説明、被害地の実地調査により、同センターは日本軍「慰安婦」制度の被害者であることを確認した。

 



 同センターの調査研究チームは近年、湖南省、海南省、山西省などを調査研究のため何度も訪れている。実地を訪れ、被害者の口述を聞き、県誌を読み、研究文書を作った。同センターの統計によると、中国大陸部で存命中の被害者は現在12人。




「中国網日本語版(チャイナネット)」2022年7月1日




http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2022-07/01/content_78301151.htm







■雷金二さん■


1925年〜2022年6月30日死去、享年97歳、湖南省華容人。


1943年3月8日〜9日、日本軍は湖北省の調弦口、監利、湖南省岳陽の三方から華容に侵攻した。日本軍は華容県侵攻と同時に、城関、南山、沙口、挿旗などに軍事拠点を設立した。


その年の初夏に入る頃、村に日本軍が略奪に現れた際、雷金二の養女(義理の関係の娘)張二英が家の前で遊んでいて、ポケットにちょうど旬だったエンドウを入れていた。幼い張二英を守るため、雷金二さんは不幸にして日本軍に捕らえられ、日本軍の拠点に監禁された。


囚われている間、雷金二さんは日本軍の性暴力にあった。10数日後、雷金二さんの父親が、家財を投げ打って維持会に頼みこみ、雷金二さんを日本軍の手から救い出した。




後年、雷金二さんは子どもに恵まれ、穏やかな人生を送った。彼女が友人に日本軍からの被害を語った際に、そばにいた長男も母親の辛い過去を知った。



2021年5月21日、中国「慰安婦」問題研究センター湖南調査グループが湖南省華容県を訪れ、雷金二さんを訪ねた。雷金二さんの証言と、雷金二さんの息子と養女の補足説明、雷金二さんが被害にあった場所の現地調査から、雷さんが日本軍「慰安婦」制度の被害を受けたサバイバーであると確認された。




雷金二さんの晩年は、穏やかなものだった。雷金二さんと華容地区のもう一人の日本軍「慰安婦」制度被害者は、同母の姉妹である。姉妹が会うことは少なかったが、お互いにとても気にかけており、互いの健康を知ることが慰めとなっていた。2022年6月30日の早朝4時頃、雷金二さんは安らかにこの世をさった。


ご冥福をお祈りいたします。