2021年6月から7月にかけて日本の各地でそれぞれの実行委員会による「表現の不自由展」が企画されました。各地の企画は大きな困難に遭遇し、私たちの社会に波紋を投げかけました。


 東京では6月26日から7月4日まで閑静な住宅街の一角にある民間のギャラリーで開催予定でした。しかしネット右翼が拡声器をもって差別発言を繰り返しただけでなくギャラリーや住民のプライバシーを侵害する動画中継も行い、街宣車が狭い路上をふさいで大音量を垂れ流したにもかかわらず警察がほとんど放置したために、ギャラリーや周辺の住民が大きな被害をこうむり延期を余儀なくされました。


 名古屋では「私たちの『表現の不自由展・その後』」が7月6日から名古屋市民ギャラリー栄で開催されましたが、8日に会場に「爆発物」が送られたために4日の会期を残して中止に追い込まれてしまいました。「爆発物」が何であったのか、本当に会場を閉鎖しなければならない状況だったのか、施設管理者と名古屋市から主催者に対して未だにまともな説明はありません。


 大阪では「表現の不自由展かんさい」が7月16日から18日まで開催されましたが、6月25日にエルおおさかから約70件の抗議電話・メールを理由に会場使用許可を取り消しされ、裁判を闘わざるを得ませんでした。裁判では「憲法で保障された表現の自由の一環として開催が保障されるべきものだ」と完全勝利を勝ち取ったものの、期間中エルおおさか前の路上ではレイシストによる差別街宣が常時行われ、爆竹の入った封筒が送り付けられてくるなどの暴力にさらされました。


京都では7月23、24日に〈平和の少女像〉が展示される予定でしたが、主催者の中で、妨害によってイベント全体の成功が危ぶまれるのでは等の危惧が出て折り合いがつかず、別会場を探さざるをえなくなりました。結局、展示をやり遂げようとする人たちが、24日だけシンポジウムとセットの展示をしましたが、ほぼ非公開の状態でせざるを得ませんでした。


 表現の不自由展は、これまで公権力等によって表現をすることを阻まれた作品たちを展示するアートイベントです。とりわけ、日本軍「慰安婦」問題と天皇制(昭和天皇の戦争責任)をテーマにした作品が攻撃の的となっています。


私たちはこのような日本社会の状況を激しく憂慮します。

 日本軍「慰安婦」被害者が名乗り出て30年。この間、被害者たちは声を挙げ続け、世界中では日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度であったということはすでに周知の事実となっています。そして2000年の女性国際戦犯法廷では、慰安所の設置、管理などについて「知っていたか、もしくは知るべきであった」として、昭和天皇の戦争責任を断罪しました。


30年間、雨の日も雪の日も毎週水曜日に日本大使館前に立ち続けた日本軍「慰安婦」被害者を記憶するための〈平和の少女像〉を公権力等が拒絶するということは、彼女たちを記憶することすら許さないということです。被害者たちの存在すら許さないということです。


日本政府は海外に建てられた〈平和の少女像〉を撤去させるために、陰に陽に妨害を繰り広げています。教科書の記述にみられるように、子どもたちが「永く記憶にとどめ」ることさえも妨げるのに必死です。


しかし〈平和の少女像〉こそ、過去の日本軍性奴隷制度の歴史と、30年間被害者たちの声に応えようとせず傷つけ続けてきた歴史を持つ私たちの日本社会が必要とするメモリアル・モニュメントです。私たちの人権感覚と民主主義を実現するために、そして私たち自身が彼女たちを記憶し、未来を生きるためにも、〈平和の少女像〉に出会いたいのです。


2021年の夏、表現の不自由展をめぐって起こった妨害の数々を、私たちは許容しません。そして表現の不自由展はいまもまだ闘いのさなかにあり、私たちは表現の不自由を強いられた作品たちを擁護する闘いに最大限の共感と賛辞を送ります。


私たち自身が、〈平和の少女像〉と出会い、出会い直すために。



2021年9月12日

日本軍「慰安婦」問題解決全国行動