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ファナリア・ガラン・ガルシア(愛称:ロラ・ナリン)は9月3日金曜日にお亡くなりになったそうです。



写真:「『慰安婦』戦時性暴力の実態Ⅱ」(290頁、VAWW-Net JAPANより)


フィリピンの、当時マラヤ・ロラズの支援をしていた岡野文彦さんによると

1944年11月23日のマパニケの集団レイプ事件の被害者で当時13才でしたから、1931年生まれであると思います。

とても小柄なロラで、非常に記憶がしっかりとしていて、いつも明確で一貫した証言をしていました。マパニケの集団レイプ事件は被害者数が多く、証言もたくさん得られたのですが、内容のブレ幅も大きく、明らかに事実とは考えにくいような証言も混じっていました。


そんな中でロラ・ナリンの証言は終始一貫していて、明らかに自分の記憶のみを根拠にしていることが感じられ、マパニケ事件の全体像を考える時に軸になる証言のひとつでした。


マパニケを訪問していた時に、たまたまロラ・ナリンの孫娘に会う機会がありました。当時大学生で16か17才と言っていたと思いますが、とても幼く見えて驚いた記憶があります。その祖母が13才の頃に遭った被害ですから、当時のロラ・ナリンはほとんど見た目は子どもだったのではないかと思いました。」。



バウネットが出版した法廷シリーズのⅡ
「『慰安婦』戦時性暴力の実態II」の290頁にロラ・ナリンのことが載っています」。


※「慰安婦戦時性暴力の実態Ⅱ」290頁のロラ・ナリンのことば(1998年)

「私たちが自分たちの体験を語っていくのは、歷史の中で同じ事を繰り返さないためです。わたしの子どもたちは、わたしが語る事で辛い思いをしていますが、若い世代の人たちが同じ経験をしないために、わたしは語り続けます。
わたしは、この国・日本政府に対して正義を求めたいと思います。
日本が他の国に対してやったことを認めるように要求します。
日本政府が罪を犯した人たちを処分することを求めます。

もし、わたしが体験したことと同じことを日本の人たちが経験したら、日本政府はどうするでしょうか?わたしたちと同じように補償を求めないでしょうか?」
(1998年12月8日、東京・武蔵野公会堂におけるアジア・フォーラム’98・シンポジウム/聞き取り・斉藤由美子)





参考新聞記事:マラヤ・ロラズ支援グループによるロラの聞き取りの様子。
      1999年12月9日朝日新聞 本田雅和記者
(提供:岡野文彦氏)



マパニケ村の集団レイプの被害者たちの証言ビデオ
(日本語はありません。英語での訳になります)




The RODERICK HALL COLLECTION

 on world war Ⅱ in the philippines


https://fhl.omeka.net/items/show/1005?fbclid=IwAR0v9UNRIxc8IY8oBWz65T2j3daCDD31Yjf0t2OjyVVGapouupirl5Y0ZLo