〈報告〉戦時性暴力問題連絡協議会 第78回水曜行動in新宿 沖縄での相次ぐ性暴力犯罪と情報隠蔽(山野澄子)
1952年、日本は独立を果たしましたが沖縄はそのまま米軍の占領統治下におかれ、日本国ではありませんでした。琉球政府があり、立法府、裁判所もありました。しかしそんな三権分立は形式だけで、沖縄の生殺与奪はすべて米軍に握られていました。米軍は沖縄の土地を奪い金網で囲い込んだだけでなく、傍若無人の振る舞い、事件事故、強盗殺人、強姦殺人が頻発していました。
特に頻発する、婦女暴行についてはガスボンベほどの大きな爆弾の殻を集落に吊るし、米兵の姿を見るとその鉦を打ち鳴らし、住民に知らせ自衛をしていたと言います。それでも、強姦や強姦殺人による女性たちの被害は尽きることがありませんでした。
さて、日本への施政権返還後、52年が経った今はどうでしょうか。状況は変わったでしょうか。基地がある限り軍隊がいる限り女性への性暴力事件はなくなりません。
7月1日、防衛省への緊急抗議行動に寄せられた抗議文を読み上げます。
いまさら言うまでもなく沖縄は、政治への怒りが充満しています。駐留米軍基地の70%を、国土面積のたった0.6%の沖縄に押し込め、それ故の事件事故には知らんぷり。日本人の圧倒的多数は、政府のその差別的態度に気づいてか気付かずか、見ぬふりを決め込む。
琉大教授の上間陽子さんの裁判傍聴記が沖縄タイムスにのっていました。被告は無罪を主張したそうです。上間さんは、事件が起きた同時刻、私はどこで何をしていたか、を考えながら被告の話を聞いていたと記しています。
そして、
「この国はなぜその事実を私たちに話し、この子のケアチームを立ち上げ、子供を守れなかったという謝罪をしないのか。黙り通し、隠し通し、口先だけの沖縄の負担軽減を述べて濁す。それが暴力への結託でなくて何なのか。私たち沖縄に住む子供や女性はいつまで米兵の獲物にされ続け、この国に見捨てられ続けるのか」。
と結んでいます。
1995年に起きた少女強姦事件は、新聞、テレビでも沖縄の怒りが大きく報道がされ、私たちの茶の間にも沢山のニュースが飛び込んできました。
当時の沖縄県知事・太田昌秀さんは「子供の尊厳を守れなかった」と県民に謝罪しました。皆さんの記憶にもまだ残っているのではないでしょうか。
私は、謝罪すべき主体は、沖縄県知事ではなく日本政府であると思っています。あれからもう29年が経ちます。今、状況は変わったでしょうか。
まるで変わりません。
2016年にも、ジョギング中の20歳の女性が強姦され、遺棄されました。「第二の加害者は日本に住むあなたたちです」とまで言わせています。言わざるを得なかったその心情、私たちはどのように受け止めましょう。厳しい指摘にどうしようもなく、やまとぅで暮らす私は心が痛み胸騒ぎがします。しかし私たちは立ち止まってはなりません。
皆さん、基地に囲まれた生活を強いられ、さらなる軍事基地建設を眼の前で見せつけられる沖縄県民の日常が見えますか。私たちの世代は日本本土から追い立てられ、沖縄にやって来た米軍の基地建設でした。
今は、連なる琉球列島の島々の果てまで日本軍・自衛隊の基地建設です。目の前で進む軍議基地建設にまた心が騒ぐ日常です。
どうぞ、先ほど読み上げた源さんからの呼びかけ、「東京はじめ全国の皆さんと共に声を挙げ続けていきます。」に応えてください。
沖縄の0.1%の他に、99.9%を占める全国の皆さんが先んじて声をだしていくことで、きっと事態は変わります。ともに声を挙げていきましょう。
沖縄・米兵による女性への性犯罪<1945年㋃~2021年12月>第13版)23/4
(沖縄における米軍の犯罪 沖縄人権協会理事/福地ひろ昭/同時時代社/95年第1刷)
戦時性暴力問題連絡協議会 スタンディングアピールにて
山野澄子(27.7.17)