今日は 中国山西省で、日本軍によって性暴力被害を受けた被害者のおひとり、高銀娥(こう・ぎんが)さんのことをお話したいと思います。



高銀娥さん


自宅前の高銀娥さん




私たちは、被害を受けたおばあさんたちを 尊敬をこめて大娘・ダーニャンと呼んでいます。


 高銀娥さんは、1925年生まれ、数えで15歳の時に結婚して、南社というところに住んでいました。

 1937年7月7日、皆さんよくご存じの盧溝橋事件を契機に、日本軍は中国侵略を全面的に展開していき、高銀娥さんたちの住む山西省・盂県にも侵入していきました。

俗にいう三光作戦 「殺しつくし、奪いつくし、焼き尽くす」ということが、中国全土で繰り広げられました。とりわけ山西省においては、八路軍の抗日根拠地があったこともあり、殺し、奪い、焼く、が徹底して行われ、村そのものを無人にするという無人区作戦も行われました。


 そして女性たちに対しては、拉致・連行して 長期間 監禁して 強姦・輪姦するという性暴力犯罪が頻発したのです。




日本軍は1941年 旧暦の4月4日、突然南社村を襲い、村人30人を殺し、高銀娥さんら女性と子供たち50人を日本軍の拠点のある河東村に連行しました。この事件は南社惨案と呼ばれています。惨案というのは 虐殺事件のことです。



この南社惨案の2日前の4月2日には、日本軍は南社の近くの村、西煙鎮を襲い、西煙惨案を引き起こしました。そこでは 被害女性で裁判の原告のひとり、趙潤梅さんが、自宅で強姦され、養父母は重症を負い、河東村の日本軍の拠点に連行されて、連日の強姦・輪姦の被害にあっています。




高銀娥さんは、日本軍が村に侵入してきた時、姑に家財道具などを隠すように言われて、逃げ遅れて捕まりました、ほかの女性や子供と一緒に牛車に乗せられ河東村に連れていかれたのです。


そして、高さんは 捕まったその日から数人の日本兵に強姦されました。


みんなが監禁されている部屋から、一人だけ 上の部屋に行くよう呼び出され、そこで数人の日本兵に連日輪姦されました。高銀娥さんは 怖くて怖くて、日本兵の顔など見ることもできなかったと言っています。



一緒に捕まった村人たちは、家族が身代金を日本軍にわたして解放されるのですが、高さんの家は貧しかったので、身代金を工面するのに時間がかかり、土地を売ったお金200銀元と卵を一かご渡して、やっと解放されることになりますが、その間15日くらい日本兵から連日強姦・輪姦を受けました。



ようやく家に戻ってからも出血が止まりませんでしたが、お金は解放のために使いつくしたため、医者にかかることもできませんでした。そして、子供ができないからと夫に責められ、離婚させられました。再婚しましたが、その夫からも離縁され、3度目の夫と暮らしていました。



日本政府に、謝罪と賠償を求める裁判は1998年10月に東京地裁に提起されました。翌年の1999年9月の意見陳述には、高銀娥さんは、万愛花さん、趙存妮さんと共に来日されました。


高銀娥さんは車酔いがひどく、住んでいる村から 省都の太原に出てくるだけでも大変なことなのに、そこから北京へ、さらに北京から飛行機で東京へと来日の苦労も大変なものでした。


成田からの都心までの間にも車酔いで吐いてしまい、差し歯をなくしてしまうということもありました。それでも、万さん、趙さんと共にしっかりと 意見陳述をされました。


来日可能な原告の本人尋問が実現し高銀娥さんの本人尋問は2001年5月に実現しました。楊喜何さんの娘・李愛芳さんと一緒に来日されました。


本番は 疲労と緊張で固い表情でしたが、「日本軍につかまり、性暴力を受けたときの苦しかったこと、子供ができない身体にされたこと、その後もずっと苦しみをつづけてきたこと、 ・・・生きているうちに公正な判決をしてほしい」としっかりと証言されました。

 


地裁の判決は、2003年4月、原告の被害事実を全面的に認めて、司法的・立法的な解決は可能という付言もつきましたが敗訴になりました。そして 2005年11月 最高裁で敗訴が確定しています。

裁判は敗訴しましたが、私たちはその後も 毎年春と夏 山西省を訪問し、大娘たちをお見舞いして娘さんたちとも交流を深めてきました。



高銀娥さんのお住まいは、黒石窰(こくせきよう)という村で、ほかの大娘たちの村からも離れた、ちょっと不便な場所にありますが、私たちが訪問するたび、大きな鍋で鶏の卵をたくさんゆでて待っていてくれました。「黒石窰のたまご」の味は忘れられません。そしてふくよかな白いお顔と笑顔。コスモスの咲き乱れる丘の上から私たちに手を振って見送ってくれた情景はいまでも目に浮かびます。



そんな高銀娥さんでしたが、2008年1月 突然の訃報がはいりました。夫の李正義さんと一緒に、暖房に使っていた石炭による一酸化中毒で亡くなったのです。高銀娥さんは83歳、夫の李正義さんは90歳でした。


何年も前から、いつ死んでも安心なように二人分の棺を用意して部屋に置いてありましたが、仲の良かった3番目の夫と共に棺に収まって、埋葬されています。


私たちは 高銀娥さん、万愛花さんたち10人の大娘たちの思いを忘れず、しっかり伝え、これからも解決に向け頑張っていきたいと思います。


(山西省・明らかにする会 田巻恵子)