〈報告〉戦時性暴力問題連絡協議会 第78回水曜行動in新宿 月間報告:池田恵理子( 2024年7月17日 )
昨今のニュースではトランプ元大統領銃撃事件とアメリカの大統領選の話題が続いていますが、私たちは昨年末に沖縄で16歳未満の少女が米軍兵士に性暴力を受けた事件を、外務省が沖縄県に伝えず隠蔽していたことに怒りをつのらせています。
同様の事件は昨年から数えると5件にのぼりますが、いずれも政府は沖縄県に知らせなかったといいます。
詳しいことは後ほど山野澄子さんに話していただきますが、私からも一言。この事件が報じられた直後の7月2日、wamやアジア女性資料センター、ふぇみんが緊急に呼びかけて、外務省正門前で抗議のスタンディングを行いました。各地から350人が結集し、沖縄の高里鈴代さんは電話で怒りの声を伝え、かつて米兵から性暴力を受けた被害者も含めて抗議のリレートークがありました。大変な盛り上がりでしたがメディアの取材は東京新聞と朝日新聞くらいで、テレビ局は見当たりませんでした。
そこで私は、1995年9月に発生した沖縄の米兵らによる12歳の少女への強かん事件を思い出しました。
それは北京で国連の世界女性会議が開かれ、日本からは5千人もが参加し、沖縄からも多数の女性たちが集まった時でした。私はNHKのETV特集で3本シリーズの番組を制作するために北京にいましたが、沖縄の女性たちは少女暴行事件を知らされて、急遽飛んで帰りました。私も女性会議の番組を作る傍ら沖縄取材を続け、その番組も放送しました。この時沖縄では8万5千人が結集した県民大会が行われ、沖縄も本土も米軍へ怒りの渦を巻き起こしました。それから30年近く経った今はどうでしょう。米軍基地下の沖縄の問題は放置される一方で、それらの報道は委縮しています。これでは、日本の政治とメディアが「30年で劣化した」と言われても仕方がないのではないでしょうか。
そして数日前に沖縄の「慰安婦」関係者の訃報が届きました。
渡嘉敷島に残留した朝鮮人の「慰安婦」被害者・裴奉奇(ペ・ポンギ)さんを長年支えてきた金賢玉(キム・ヒョンオク)さんが7月14日頃に亡くなられたのです。81歳でした。川田文子さんが『赤瓦の家』で描いた裴さんが1991年に亡くなるまで、金さん夫妻は沖縄朝鮮総連の活動をしながら裴さんの支援を続け、亡くなられた後は裴さんを語り継いでくれました。私も多くを教えられ、お世話になった一人です。引きこもりがちだった裴さんは金さんに励まされて、晩年を生き生きと暮らすことができました。金賢玉さんのご冥福を心からお祈りいたします。
このように「慰安婦」被害者や支援者の訃報が相次いでいますが、日本政府は相変わらず「慰安婦」問題をなかったことにしようと一生懸命です。
日本を「戦争ができる国」にしようという動きも続けています。7月8日、日本政府は自衛隊とフィリピン国軍との協力体制強化のためにフィリピン政府と日比円滑化協定を結び、フィリピン市民からは抗議の声があがっています。
ドイツ・ベルリンに設置された「平和の少女像」の撤去や、6月22日にイタリアで初めて設置された「少女像」の撤去にも力をいれているので、世界各地から日本政府への批判の声が止みません。
国内では、「慰安婦」の否定も含めて、戦前の皇国史観に立つ令和書籍の中学歴史教科書を文科省が検定に合格させてしまったことに、各地では署名活動や抗議行動が広がっています。ご通行中のみなさん、今配っているチラシを是非読んでいただいて、私たちと共に声をあげていきませんか。