日本、ドイツの区長にまで少女像撤去ロビー…区長も驚く
キム・ソジン記者 世界を変える市民メディア ミンドゥレ(タンポポ)
日本、ドイツの区長にまで少女像撤去ロビー…区長も驚く
「平和の少女像」は最初からこのような「運命」にあったのだろうか。
昨年2020年、紆余曲折を経て建てられたドイツ・ベルリンの少女像が撤去の危機に直面している。
最近、キリスト教民主同盟所属のカイ・ウェグナーベルリン市長が日本を訪れ、上川陽子外相に少女像の「撤去方針」を示唆したからだ。ベルリン少女像の設置と永久設置の先頭に立ったコリア協議会の韓静和(ハン・ジョンファ)代表は2日、ソウル市麻浦区の市民メディア「ミンドゥレ」で記者と会い、「少女像とは生まれながらの縁があるようだ」と話した。韓代表の言葉のように、少女像には歴史の痛みを知らしめるという生来の運命、縁、あるいは宿命があったのだろうか。
6/2ソウル・ミンドゥレ編集局でインタビューを受ける韓静和ベルリン・コリア協議会韓静香和代表
市民が守ってきたベルリンの少女像
ヨーロッパで初めて「公共の敷地」に建てられたベルリンの少女像は、最初から現在を予見するかのように、その運命は波乱万丈だった。
世界日本軍「慰安婦」メモリアル・デーである2020年8月14日に建てようとしたが、それすらも思い通りにならなかった。「金学順(キム・ハクスン)ハルモニが初めて証言した日(8月14日)なので、その日に除幕式をしようと思ったのですが、その年の7月から9月まで道路工事をすることになりました」。韓代表は当時の状況をこう振り返った。道路工事のために少女像の除幕式はやむなく延期され、その年の9月28日に初めて市民に披露されました。しかし、除幕式が遅れたことで、少女像は予想外の事態を迎えることになった。
「除幕式が8月14日だったらどうだったでしょうか」。まるで運命のように、9月28日の少女像除幕式直後、日本の外務大臣とドイツ外務大臣の会談が伝えられた。10月1日、日本の右派メディア「産経」は、茂木敏充外相がパリでドイツのハイコーマス外務大臣と会い、ベルリンの少女像の撤去を要求すると報じた。茂木外相は実際にドイツ側に少女像は日本の立場に反するとして撤去を要請した。これまで日本政府の水面下でのロビー活動はあったが、日本政府高官が少女像について直接言及したのは異例と受け取られた。
2020.9.28 独ベルリン・ミッテ区で平和の少女像除幕式開催
その後、ベルリン市政府はミッテ区役所に圧力をかけ、区役所は少女像が建てられてから10日目に撤去命令を出した。「日本外務大臣とドイツ外務大臣が会談した後、10月7日、(ミッテ区)道路・緑地庁の部長たちがメールや手紙ではなく、直接撤去命令書を持ってきたのです。(ドイツには高校生時代から住んでいますが)そのような事例は初めて経験しました」彼らが伝えた公文書には「少女像がドイツと日本の関係を困難にし、ベルリン市にいる100カ国からの移民に不和を起こした」という趣旨の内容が含まれていた。そして、7日以内に少女像を撤去しなければ2500ユーロの罰金を払わなければならないという内容も付け加えた。1.5トン(t)の少女像を設置するのも大変なことなのに、撤去なんて絶対に受け入れられなかった。
幸い、ドイツの市民社会の反応は日本の思いとは正反対だった。
韓代表は知人の紹介で弁護士の助けを借りてベルリン行政裁判所に仮処分申請書を提出し、撤去を阻止、わずか2日間で市民1万2000人の反対署名を得た。その間、ドイツのマスコミも関心を持って報道し、著名な教授から一般市民まで多くの人が区長に抗議の手紙を送った。「後日、ミッテ区長が面談の際に冗談のように『本当に様々なところからメールが届いた。北極からも届いたことだろう』と話していたほどです」。
この件で、ベルリン内でも少女像がアジアだけでなく、人類普遍の問題であることを認識するもう一つのきっかけとなった。
2020.10.13 ベルリンで開催された平和の少女像撤去反対デモ
学校まで足を運ぶ日本の執拗なロビー活動
しかし、市民の力で守り抜いたにもかかわらず、少女像はこれまでずっと存続の脅威にさらされてきた。ミッテ区は長い努力の末、2022年9月にベルリンの少女像の設置を2年延長したが、あくまで永久的な設置ではない。韓代表は少女像の立ち位置についてこう語る。「道路・緑地庁の公文書には、何かが決まるまでという前提の『容認』という言葉が書かれています。庇護申請者と同じで、庇護申請が許可されないと強制的に追放されるんです。少女像の運命はまるで亡命者のようです」その不安の隙間に日本政府が入り込んできた。
今回のベルリン市長の少女像撤去示唆も、日本政府の「意図」が多分にあるというのが韓代表の考えだ。「ミッテ区庁で2年間ずっと動きがなかったのです。おそらくベルリン市長の日本訪問が決まったのが2月中旬か下旬頃だったと推測されます。なぜなら、その時、突然日本政府が非常に多くの活動をしたからです。新聞記者も何の理由もなくやってきて私たちにインタビューをしました」。ベルリン市長の少女像撤去の言及はずっと前から計画していたのではないかという疑惑だ。
最近の日本の執拗なロビー活動は、この疑念を確信に変えた。去る2022年、オラフ・ショルツドイツ首相が日本を訪問した際、岸田文雄首相はシュルツ首相に少女像の撤去を要求した。シュルツ首相は、地方自治体の権限なので、連邦政府が介入するのは難しいと一線を引いた。
ドイツは韓国や日本と異なり、自治政府の権限が強いため、中央政府が勝手に口出しできないということを理解できなかったハプニングだった。そのためか、日本のロビー活動は今や小さな区役所単位まで手を伸ばしている。「ミッテ区の区議会議員も区長も、外国(日本)大使館の職員が来たのは初めてだと言う」と韓代表は伝えた。
2023年6月19日国連が定めた紛争地における性暴力撤廃の日に少女像前でコリア協議会とベルリン女たちの会主催で開催された集会
それだけではない。韓国外務省が「民間レベルで行われる活動に韓日政府が関与することは望ましくない」と無責任に目を背ける一方で、日本政府はドイツ内の博物館や学校まで浸透してロビー活動を展開している。これにより、ベルリン市から支援される少女像関連活動予算も打ち切られる危機に陥った。少女像の維持自体にも費用がかかるのに、さらに圧力をかけることになる。
最近、日本政府と日本大使館の執拗な妨害により、韓代表はドイツの中学校で教えてきた戦時中の性暴力の問題も教えられなくなった。日本大使館がベルリン市の学校監督官に抗議し、校長まで訪ねてきて、学校が大騒ぎになったそうだ。校長が『韓国が日本を悪者にしようとしているので、(コリア協議会との)協力を中止する』というメールを送ってきたのですが、その時のことを考えると今でも涙が出ます」。
「映画を見て『内容は何ですか』と聞くと、韓国語も話せない学生が『金学順』と言うんです。でも、金学順ハルモニを思い起こしながら話しをする時、本当に私がこの仕事をするやりがいを感じました。授業で性奴隷とされた女性やアフガニスタンの紛争の専門家も招待しました。校長先生は以前、『あなたがやっていることはとても良いことで、素晴らしいことだ』と言ってくださったのに、そのように授業をキャンセルされると胸が痛みます」。
韓国前政権は日本政府に対し、謝罪と反省に逆行すると批判していましたが、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権はそれすらも無視しています。「(少女像が建てられて)4年という時間が経ち、日本があれだけ多くのことをやっているにもかかわらず、すべてのことを自分たちで考えてやれと言います。 私たちだけに任せられるものではありませんよね。
韓国政府のほうで今は私たちを保護するべき時期ではないかと思います。とても大変です」。
脱植民地主義と人類にとって普遍的な少女像
また、ドイツ国内でも、少女像はもはやアジアの小さな国だけの問題ではなく、人類普遍の問題であるという認識が広がっている。特にドイツ内の脱植民地主義運動とも連動し、その象徴性が高まっている。「ドイツ・ベルリンでは、過去の植民地主義支配時の残滓を取り除く脱植民地主義運動が起きています。植民地支配者の銅像や彼らの名前を冠した通りの名前を変えていますが、少女像が一つの脱植民地主義的な象徴として認識されています」。
ただ、まだドイツ内の多数派には少女像問題は馴染みがない。韓国では、ドイツがホロコースト(第2次世界大戦中にナチスドイツが行ったユダヤ人虐殺)などの過去史清算に努力してきただけに、「慰安婦」問題についても韓国の立場に立つと思うかもしれないが、実際はそうではないというのが韓代表の説明だ。「ドイツ社会では、ホロコーストは自分たちが唯一だと考えていますが、他の犯罪との比較はせず、ドイツ社会ではこれまで植民地支配が何であったのかは取り上げられず、よく分かっていません」
「ドイツ人が誤解しているのが、ドイツ人の論理は、私が自分の過ちを認めれば清算をしなければならないと考えます。(日本は問題を清算していないにもかかわらず)ドイツ人は問題をあまり知らないので、日本政府がここにきて少女像を問題化すれば、これは解決されていない問題であり、日本が認めていない犯罪だから清算していないのだとみて、むしろ韓国を疑います。韓国は問題を清算してお金も渡したのに、引き続きお金をくれと言っている、こう考えるのです。」
そう考えると、少女像の問題は、アジア女性に植民地という二重三重の問題を抱かせる。「ヨーロッパ中心主義のドイツ社会もいまだそうした植民地帝国主義が清算されておらず、人種差別があります。私たちは(ヨーロッパではない)日本も認めていないので、ドイツではなお一層認めてくれないのです。しかし、そうした困難にもかかわらず、韓代表は若い世代に可能性を感じています。彼らを変えることが未来を変えられると考えているからです。
ある日、誠実そうな日本人留学生がベルリンに来て、とても丁寧に私たちの展示を見ていたのです。そして、「私がこの空っぽの椅子に座る資格があるのか」と聞いてきたのです。自分には倫理・道徳上、座る資格がないというのです。とても悲しかったですね。
大人たちが悪いのに、若い学生に何の罪があるのでしょう。だから、その学生に「この椅子は過去と現在と未来を語るものだから、あなたが未来のために私たちと一緒に連帯して解決するという気持ちがあるなら、すぐ隣に座るべきだ」と答えました。
そうしたら、少女像の隣の空の椅子に数分間座っていました。
2024.5.28 韓国国会で尹美香議員と共に記者会見をする韓静和コリア協議会代表
しかし、このようないくつかの変化にもかかわらず困難は依然としてある。ドイツ内にいくつかの少女像が設置されたが、存続は容易ではなかった。ドイツ・カッセル大学総学生会が建てた少女像は撤去されたまま学校の倉庫に置かれており、ドイツ・レーゲンスブルク・ヴィーゼント公園に建てられた少女像は、日本政府の圧力で日本軍「慰安婦」被害者の歴史が刻まれた平和の碑が撤去され、名札もなく放置されている。市民の助けが切実だ。
「日本政府と外交官がいくら頑張っても、私たちが勝つと思います。なぜなら、少女像は本当に市民の募金でドイツまで来たのですから。
数千万人が少女像を支持していると思うと力が湧いてきます。少女像がドイツまで来たことはとても誇らしいことで、歴史に残る話だと思います。 韓国政府が実態を正しく知り、日本の非常識な行為をドイツ政府に知らせることができるように、市民が力を合わせてほしいです」。
(訳 方清子)
〈原 文〉