〈正義連〉第1632回 日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモ 週間報告(2024年1月24日)
1月28日は日本軍性奴隷制の被害生存者であり、女性人権・平和運動家である金福童(キム・ボクト)ハルモニが私たちの傍を去って5周忌になります。改めて故人をしのびたいと思います。
幸福の福、児童の童。福を招く子・金福童ハルモニは、人権運動家となり、世界に福を造り、福を分かち合う努力を惜しみませんでした。時間が過ぎても消えなかった痛み、一生消えなかった傷と苦しみ、加害者に対する怒りと恨みを、世の中を良くする心と実践に昇華させました。 自分が受けた被害が繰り返されない世界への希望を捨てず、毎週水曜日に平和路で戦争の惨状を告発し、平和をともに造ろうと言いました。 ハルモニは私たちの勇気であり、力であり、希望でした。
金福童ハルモニは日帝植民地時代、慶尚南道梁山(ヤンサン)に生まれ、中国、香港、マレーシア、インドネシア、シンガポールなどの戦場で日本軍の「慰安婦」として甚大な被害を受けました。
帰国後も癒えない傷を抱えながら、韓国の女性として厳しい人生を歩んで来ました。1992年、長い沈黙の末に被害者申告をした金福童ハルモニは、その後、国連など国際社会の各処で日本軍性奴隷制の真実を伝え、戦時中の性的暴力を普遍的な女性人権問題として認識させるために先頭に立ってきました。
1992年のアジア連帯会議を皮切りに、1993年にオーストリア・ウィーンで開かれた世界人権大会に参加して証言し、2012年からは国連、アメリカ、イギリス、ドイツ、ノルウェー、日本などで海外キャンペーンを行い、正義の叫びを続けました。日本政府の公式謝罪と法的賠償を求め、毎週水曜デモに参加し、「2015日韓合意」に反対し、和解治癒財団の解散のために日本外務省前で1人デモを行いました。 日本の右翼と大阪市長の暴言に怒り、直接大阪市を訪れ、「証拠が生きているのに証拠がないというのはどういうことだ!」と𠮟りつけました。
2012年3月8日の世界女性の日には、自分のような戦時中の性暴力の被害者を助けるという意志を「ナビ(蝶)基金」で実現しました。ナビ基金はベトナム、コンゴ、ウガンダ、パレスチナなどの戦時中の性暴力被害者と子供たちに届き、生きる意志と生存の希望となりました。コンゴの被害者には慰めと連帯のメッセージを送り、ベトナム戦争時に韓国軍によって被害を受けた女性たちの苦痛に共感し、被害者に直接謝罪しました。
金福童さんは生前の最後の瞬間まで、数多くの疎外された人々の手を握り、弱者の尊厳と人権保護のために先頭に立ちました。 在日朝鮮学校の学生を惜しみなく後援し、韓国と日本の自然災害の被害者、米軍基地村の「慰安婦」女性と労働者、世界各地の活動家を応援し、支援しました。
日本軍性奴隷制問題の公正な解決のための私たちの旅が、構造的暴力と差別に立ち向かう多くの人々の正義とつながっていることを全身で示しました。
ハルモニの願いは金福童平和人権賞となり、青年世代の活動家や学生の奨学金となりました。金福童研究支援事業となり、新しい資料の発掘と分析の機会を与えています。体系的な記録と整理、記憶の伝承のためのアーカイブ構築の土台となりました。 ハルモニの粘り強い闘争でついに昨年11月、大韓民国高等裁判所は日本国の反人道的犯罪行為を認め、被害者に法的賠償を命じました。金福童は愛であり、根深い木であり、連帯であり、勝利です。
だから私たちは、金福童ハルモニがもっと恋しくなります。 日本政府と極右歴史否定勢力が日本軍性奴隷制の真実を否定し、被害者を侮辱し、韓国政府が屈辱的な姿勢で加害者の側で歴史正義を破壊している今日、ハルモニに切実に会いたいです。 水曜デモで日本大使館に向かって声を上げていたあの高く響き渡る声、満面の笑みで大学生たちの手を力強く握っていた姿。 そんなハルモニをもう聞くことも、見ることも、触れることもできないという事実が切ない限りです。
孤独で辛く、傷つくたびに、道を失ってどうしようと混乱するたびに、ハルモニのことを思い出して泣き言を言ったり、頼りたくなりますが、私たちはハルモニがもう別の世界にいることを認めなければなりません。 どんな試練にも耐えて立ち上がり、前に進んでいかなければなりません。日本軍「慰安婦」「問題が解決するまで一緒に闘って欲しい」という金福童・人権運動家の言葉を深く刻み、女性人権・平和のためにもっと大きな道を開いていかなければなりません。 それだけが金福童の勇気と精神を継承し、実践する道だからです。 その道に金福童を記憶する多くの良心的な国内外の市民が共に歩むことを固く信じています。
2024年1月24日
正義記憶連帯 理事長 李娜榮(イ・ナヨン)
(訳 権龍夫)