〈報告〉戦時性暴力問題連絡協議会 第98回水曜行動in新宿 月間報告:池田恵理子 (2026年5月20日)
● 憲法、沖縄、男女平等・・・などの記念日が続いた5月
ご通行中のみなさん、こんにちは。
私は、この1カ月間に「慰安婦」問題に関わった動きを報告いたしますが、5月には重要な記念日がいくつもあり、記念行事が行われました。
79年前の1947年5月3日には日本国憲法が施行されました。54年前の1972年5月15日は沖縄が日本に「復帰」した日です。そして1985年の5月17日には男女雇用機会均等法が成立しました。あれからの歳月を経て、今の日本はどうなっているでしょうか。
憲法のことでいいますと、高市政権の下では憲法改悪の怖れが強まっています。昨日も国会議事堂前では1万人の市民が集まって、「憲法を変えたい首相はいらない!」「沖縄にこそ憲法を!」という声で盛り上がりました。このところ全国各地で、「戦争への道」を進んではならないという市民の抗議行動が広がっています。私たちもこうした訴えを続けていかなければなりません。
「慰安婦」問題でも、「もう解決済みだ」「『慰安婦』被害者などいなかった」などと言い張る政府の下で、私たちは抗議の声をあげ続けています。
女性への差別・人権問題は山積みされており、女性への性暴力はいまだになくならず、深刻な状況です。
ジェンダー平等に関しては、日本は先進国の中では最下位にあります。4月30日には大阪地検トップの検事正からの性被害を訴えた女性検事が辞表を提出しました。被害者への誹謗中傷に耐えられなくなったからだといいます。日本にある米軍基地の7割が集中する沖縄では、米兵による性暴力が相変わらず横行しています。こうした日常の性暴力や戦時性暴力をなくしていくためには、政治も社会も私たち自身も力を尽くして取り組んでいかなければならない問題ですが、実際には「慰安婦」問題を含めて、日本政府は何をしてきたのでしょうか。心細いかぎりです。
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韓国での5・18民主化運動記念日
これをお隣りの韓国と比べてみましょう。
韓国でも5月には大きな記念日があります。
5月18日は1980年の「5.18民主化運動」光州事件の追悼記念日です。これは軍事独裁政権の下、軍隊が市民に対して行った弾圧に抗して民衆が立ち上がった日で、様々な記念集会がありました。この記念式典で李在明大統領が、5・18光州事件について語っている声明の翻訳が手に入りました。非常に興味深いので、その一部を読ませていただきます。
「尊敬する国民の皆さま、光州市民、全羅南道民の皆さま、そしてこの尊い場を共にしてくださっている5・18民主化運動功労者、ご遺族の皆さま」と呼びかけ、「国家暴力による深い傷痕を乗り越え、共生と統合の精神によって育まれてきた46回目の五月を迎えました。」と始まっています。
「隠そうとするほど真実はより鮮明となり、覆い隠そうとするほど五月精神はさらに広く、さらに遠くへと広がっていきました。そしてついに五月は、真実と正義の側に立とうとする数多くの良心によって蘇りました。そのようによみがえった五月の英霊たちが、2024年12月3日の夜、今日を生きる者たちを救いました。」
「奮然と立ち上がり戒厳軍に立ち向かった1980年5月の光州市民たちのように、2024年の偉大な大韓民国民もまた、武装した戒厳軍を素手で食い止めました。」
「凄惨な暴力の前でも最後まで人間の尊厳を守り抜いた5・18精神のゆるぎない土台の上に、我が大韓民国は民主主義と繁栄への道を歩んでくることができたのです。」
「自然に訪れる民主主義もなければ、自然に守られる民主主義もありません。」
「今日の大韓民国を救った1980年の光州が、これからも大韓民国の未来を絶えず救い続けられるよう、国民主権政府は5・18を絶えず記録し、記憶し、補償し、礼遇してまいります。」
自国の民主化のシンボルになっている記念日についての言葉を聴いていると、日本ではまずありえないなぁ、すごいなぁ・・・と思い、もう少し5・18事件について深く知りたいと思いました(参考:下段に韓国大統領のスピーチをあげています)。
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女性への性暴力と「慰安婦」問題
韓国で長年「慰安婦」問題に取り組んできた市民団体「正義連」(元「挺対協」)が、先日も日本政府批判の声明を出しました。その中には、韓国の右派と日本の極右団体とのつながりがあることがわかってきて、たいへん忌々しい状況だということが告発されています。
女性への性暴力問題では、韓国で2004年に性売買防止法を作りました。日本には売春防止法はありますが、買春する側をどう罰するかについてはまだ解決の糸口が見えていません。韓国では買春業者や買春する男性への処罰、被害にあった女性の保護についての法案を作っています。
韓国には240人の「慰安婦」被害者がいましたが、4月22日に一人のハルモニが亡くなりました。この方は匿名なのでお名前が分かりませんが、すでに235名が亡くなり、生存者の平均年齢は95.8歳で、時間との競争になっています。
こういう中で日本政府や右派の人々は「被害者が全員亡くなれば『慰安婦』問題はなくなる」と思っているかもしれませんが、決してそんなことはありません。被害者の娘さんや息子さんたちの世代が立ち上がって、この闘いを継承して頑張っています。このような国家犯罪に対して民衆の闘いが引き継がれていくということは、これまでの様々な国の歴史をみていく限り明らかです。
被害女性が亡くなられていくのは本当に残念で、お一人でも生存している間にこの問題の解決を・・・少なくても日本政府が事実を認めて謝罪と賠償、そして継承していくことを約束するところまで辿り着きたいです。しかし、被害者が一人もいなくなってしまっても、私たちはやり続けていくしかないし、その思いを若い世代にも引き継いでいきます。
これは韓国やアジアの国々にだけでなく、日本国内でも同じです。
キボタネの若者たちのことはこれまでにもお話ししてきましたが、5月9日にはキボタネの若者たちの報告会に参加しました。フィリピンの被害女性=ロラのナルシサ・クラベリアさんはかなりの高齢ですがお元気で、「最後まで諦めないで、がんばるんだよ」と若者たちに言い続けているのです。それを聴いていて私も嬉しくなって、元気になりました。
インドネシアの被害女性の病状報告もあり、オランダのオヘルネさんの映像や記録を若い人たちが集めていますので、これからも報告できると思います。
まだまだ先は長いかもしれませんが、「慰安婦」問題は男女平等や女性の人権問題だけではなく、かつての日本の侵略戦争の責任、植民地支配責任、差別問題などと深くかかわっています。私たちはこの問題をやり続けてまいります。
ご通行中の皆さま、いま配っている緑色のチラシを受け取って お読みください。関心を持たれた方は、私たちにお声をかけていただければ・・・と願っています。ありがとうございました。
翻訳は宋君哲さん。ご本人の許可を得て掲載いたします。
尊敬する国民の皆様、光州市民・全羅南道民の皆様、
そして、この尊い場をともにしてくださっている5・18民主化運動功労者、ご遺族の皆様。
国家暴力による深い傷痕を乗り越え、共生と統合の精神によって育まれてきた、46回目の五月を迎えました。
46年前、新軍部勢力は独裁の軍靴で民主化の春を無残に踏みにじり、国民を守れと我々国民が与えた銃剣によって、主権者たる国民を無慈悲に虐殺しました。
残虐な蛮行を隠蔽するため真実を封じ込めていた非道な独裁政権のために、多くの犠牲者たちは目を閉じることもできず、遺族と被害者たちは慟哭の歳月を耐え抜かなければなりませんでした。
しかし、その漆黒の闇の中でも、ついには光を求めて顔を上げる春の花のように、より良い世界を願う光州の熱望は決してくじけませんでした。隠そうとするほど真実はより鮮明となり、覆い隠そうとするほど五月精神はさらに広く、さらに遠くへと広がっていきました。そしてついに五月は、真実と正義の側に立とうとする数多くの良心によって蘇りました。
そのようによみがえった五月の英霊たちが、2024年12月3日の夜、今日を生きる者たちを救いました。
生きる者が死者の呼びかけに応え、先に去っていった人々が、絶望の前に立つ現在を再び立ち上がらせたのです。奮然と立ち上がり戒厳軍に立ち向かった1980年5月の光州市民たちのように、2024年の偉大な大韓国民もまた、武装した戒厳軍を素手で食い止めました。
1980年5月、不義の権力が撤退したその束の間の空間で、光州が全力を振り絞って咲かせた「大同世界」は、2024年12月、その苛酷な冬の夜に、互いの体温で民主主義を守り抜く「光の革命」として復活しました。この場を借りて、民主主義のため喜んで自らを投げ出した五月民主英霊たちの高貴な魂の前に頭を垂れ、限りない尊敬と深い哀悼の意を表します。尽きることのない涙で時代の灯火を照らしてこられた功労者とご遺族の皆様にも、心からの敬意と慰労の言葉を申し上げます。凄惨な暴力の前でも最後まで人間の尊厳を守り抜いた5・18精神の揺るぎない土台の上に、我が大韓民国は民主主義と繁栄への道を歩んでくることができたのです。皆様がいてくださったからこそ、曲折に満ちた現代史の岐路ごとに、我々の民主主義は崩れず、再び立ち上がることができました。その崇高な精神と、その犠牲、献身を決して忘れません。
尊敬する国民の皆様、12月3日の内乱は、いまだ終わっていない五月の問いでした。
自然に訪れる民主主義もなければ、自然に守られる民主主義もありません。民主主義を完成させる力は、ただ主権者の切実な熱望と実践からのみ生まれるということを、私たちは再び骨身にしみて現場で確認しました。今日の大韓民国を救った1980年の光州が、これからも大韓民国の未来を絶えず救い続けられるよう、国民主権政府は5・18を絶えず記録し、記憶し、補償し、礼遇してまいります。
五月英霊と国民の皆様の前で、そのための三つの誓いと約束を申し上げます。
第一に、5・18精神が必ず憲法前文に収録されるよう最善を尽くします。
4・19革命と釜馬抗争、そして5・18民主化運動は、6月抗争を経て、ろうそく革命、そして光の革命へと受け継がれてきました。
国民主権を証明した原動力であり、大韓民国現代史の誇りである「五月精神」が、我々の社会により強固に根を下ろせるよう、5・18民主化運動の民主理念を大韓民国憲法に堂々と刻まなければなりません。
政治的利害関係を超えた、すべての政治勢力による国民への継続的な約束であっただけに、与野党の超党派的な協力と決断を切にお願いいたします。
光州市民、全羅南道民を超え、大韓国民の皆様の変わらぬ支持と声援もお願いいたします。
第二に、本日正式に開館するこの全羅南道庁を、世界市民がともに学び、記憶するK-民主主義の生きた聖地として築き上げます。全羅南道庁は、不法な国家暴力に立ち向かった最後の市民抗争の地でした。壁面の至る所に刻まれた銃弾の痕跡が、あの日の惨状と市民軍の勇敢な勇気を、無言のうちに証言しているではありませんか。ユネスコ世界記録遺産登録、そして「少年が来る」を通じて、五月の光州は今や、世界市民がともに記憶する人類普遍の価値へと生まれ変わっています。全羅南道庁に深く刻まれた犠牲と連帯の精神が、大韓民国共和政の誇りであり、未来世代の価値として継承されるよう、政府が積極的に支援してまいります。
第三に、ただ一人の犠牲者も取り残さないよう、「5・18民主有功者職権登録制度」を整備いたします。
ここへ来る前に訪れた「国立5・18民主墓地」には、戒厳軍の銃弾に倒れた故・梁昌根烈士が眠っておられました。踏みにじられた祖国の正義に、誰よりも胸を痛めたであろうその五月の少年は、登録申請を代行する直系家族がいないという理由で、今なお5・18民主有功者として完全には認められていません。
これからは、政府が国家暴力犠牲者お一人おひとりの家族となります。不屈の闘志で民主主義と祖国を守り抜いた方々が、一人として孤独に取り残されないよう、国家が最後まで責任を果たします。
尊敬する国民の皆様、成長潜在力の低下と不平等の深刻化、国際秩序の激変、地方消滅など、多方面に積み重なった複合危機が、我が大韓民国の現在と未来を同時に脅かしています。
国民とともに激しい荒波のただ中を進んでおりますが、私は光州が歩んできたその道のりの中に、大韓民国の未来への希望を見ています。
銃剣を前面に押し立てた独裁権力の残酷な弾圧の中でも、1980年五月の光州は、ともに生きる喜びを分かち合い、錦南路には愛と連帯の波が打ち寄せていたではありませんか。孤独のただ中でも互いの傷をいたわり、絶望のただ中でも互いを支え合い、最後のぬくもりを集めて希望の種を芽吹かせました。
市民たちが作り上げた共存と配慮、平和の広場の中で、光州は真の民主共和国の姿を示しました。
その輝かしい5・18精神は、歴史の曲がり角ごとに我が大韓民国を新たな変化と希望の道へ導き、今また、光州と全羅南道の統合という新たな挑戦へとつながっています。
光州と全羅南道がともに取り合った手が、共生と共存の新たな道標としてそびえ立ち、均衡発展という希望の歴史を書き直していくものと信じます。だからこそ、五月の記憶と5・18精神は、過去の遺産ではありません。不義に断固として立ち向かう勇気であり、危機をともに乗り越える連帯であり、より良い明日へ向かう希望の名なのです。国民主権政府は、5・18精神を忠実に受け継ぎ、光州があれほど切実に夢見た「国民が主人である国」に向かって、力強く進んでまいります。それこそが、「生きる者」の責任を果たし、五月英霊たちの崇高な犠牲を無駄にしない道であると信じます。
五月の光州が残した自由と平等、統合の力によって、今の危機を乗り越え、さらに栄光に満ち、さらに輝かしい未来を受け継がせることができるよう、全力を尽くしてまいります。ありがとうございました。
2026年5月18日
大韓民国大統領
