玉盛清さん


 

「川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会」の玉盛です。



韓国の日本軍「慰安婦」被害者の李玉善(イ・オクソン)さんが、511日の午後、亡くなられました。98歳でした。


敬愛するイ・オクソンさんのことをこの場でお話させていただき、心からの追悼とその意志を受けつぐ決意とさせていただきます。



イ・オクソンさんは、川崎に2回来て話をされています。


1回目は、20年前の200510月で、「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・消せない記憶 神奈川実行委員会」主催の集会に参加されています。


2回目は201910月でした。


この時は、当初ナヌムの家で共同生活を送るハルモニたちを描いたドキュメンタリー映画「まわり道」の上映会と池田恵理子さんの講演だけを行う集会を予定していました。その時、イ・オクソンさんが川崎に来る予定はなかったのです。しかし上映会の直前に急きょ、来られることになったのです。



それは、当時、あいちトリエンナーレでの「平和の少女像」の展示が、相次ぐ脅迫で中止に追い込まれ、「慰安婦」の歴史を否定する名古屋市・河村市長(当時)の発言をハルモニが知って、強く来日を希望されたからです。 


当時92歳と高齢だったハルモニは、介助者に車いすを押してもらい、看護師同伴で川崎に来られました。


韓国からの一行をお迎えした日、私はオクソンさんの車いすを押して、みんなで休憩しながら歓談するひと時を過ごしました。


オクソンさんはアイスクリームがお好きで、注文したアイスを美味しそうに食べ、和んでいました。そんな愛らしい、母のようなハルモニの姿が今も懐かしく思い出され、悲しみがこみ上げてきます。

 

さて、翌日の集会で、オクソンさんは、満場の参加者に向かって、辛い体験を話されました。




李玉善さん


「私たちは『慰安婦』ではない。日本人が勝手に名付けたもので、強制的に軍人の相手をさせられた強制労働の被害者だ」 と、怒りをもって訴えました。 


1942年7月、朝鮮半島東南部の蔚山(ウルサン)で2人組の男から両脇を摑まれ、有無を言わせずトラックに押し込められ、中国の慰安所へ連れて行かれたのです。


ハルモニは、時折苦しそうな表情を浮かべながら、「1日で40人、50人の相手をさせられ、耐えられずに自ら命を絶つ人もいた。拒否すれば軍人に刀で刺し殺された。慰安所は実際には死刑場のような所だった」と証言しました。


自らも激しく殴られたため目が悪くなり、片耳が聞こえなくなり、歯が抜け落ち、体もひどく痛んだそうです。

 

上映会に先立つ記者会見では「安倍晋三に会いたい一心で来た。謝罪を直接求める。皆さんの力で会えるよう取りはからってほしい」と呼び掛け、「強制的な状況に置かれていたのだから謝罪と賠償を求めるのは当然。日本政府が強制したのではないと言い張るのは耐えられない」と語りました。


 当時、歴史否定の発言が各地の首長から相次いでいました。


「平和の少女像」を巡っては、悲劇を繰り返さないように願って作られたものであるにもかかわらず、当時の河村たかし名古屋市長が「日本人の心を踏みにじる」と敵対視し、松井一郎大阪市長は「慰安婦の問題というのは完全なデマ」と発言、神奈川県・黒岩祐治知事も「事実を歪曲(わいきょく)したような政治的メッセージ」と曲解を重ねました。



 そのため、私たちは神奈川県庁に出向き、抗議の記者会見を行いました。


こうした日本での事実を歪曲する動きに対して、オクソンさんは怒りをもって発信したのです。


「少女像は私たち自身だ。歴史を記憶するための像になぜ反対するのか」「自らやった悪いことをなかったと言い、私たちの身に起こったこともなかったと言う。許されないことだ」と語気を強め、「その結果が今の日韓の対立だ。歴史に向き合わずに政治的、経済的圧力をかけている」と断じました。



 記者会見を含め約1時間の証言の最後に、ハルモニは「日本政府は私たちが死ぬのを待っているとしか思えないが、死んでも問題はなくならない。次の世代が解明してくれる」と結びました。


 イ・オクソンさんのあの時の魂の叫びと、毅然とした姿が忘れられません。 


 日本軍「慰安婦」とされ、ともに苦難を分かち合った仲間たちが次々に世を去り、その無念の思いを背負って、92歳というご高齢にもかかわらず、来日を決意したイ・オクソンさんの、尊厳をかけた訴えに心が震える思いでした。


 時期はコロナ禍直前でしたから、今思えば本当に奇跡のような来日でした。


 このようにして、託されたハルモニの思いを受けとめ、これからも日本社会に訴えていくことを心に誓ったのです。



その後、202118日、ナヌムの家のハルモニたち12人が原告となり、日本政府を相手に訴えた裁判で、原告勝訴の歴史的な判決が出ました。オクソンさんはこの裁判の原告でした。この判決の内容を聞いて、オクソンさんは即座に次のように答えました。



「自分が本当に欲しいのはカネではなく、きちんとした謝罪だ。それは日本が強制的に自分をイアンフとしたことを認めたうえでの謝罪という意味だ」。「首相が国会で口先だけで申し訳なかったといってもねぇ。 国として本気で謝罪する気があるんだったら公式謝罪を表す文書を作って、日本政府の代表が直接私に手渡してほしい。謝罪というのは相手の顔を見ながらするものでしょ?」 (週刊「金曜日」2021326日号より)



 この判決に続き、20231123日には、イ・ヨンスさんたちが日本政府を訴えた訴訟の判決がソウル高裁で出され、日本政府に「慰安婦」被害者一人当たり2億ウオンの賠償金を支払うよう命じる原告勝訴の判決が出ました。



 そして今年(2025)425日、被害者遺族が日本政府に損害賠償を求めていた裁判でも、韓国中部チョンジュ(清州)の地方裁判所は原告側の訴えを認め、日本政府に賠償を命じる判決を言い渡しました。



 粘り強くオクソンさんたちや遺族が日本政府を訴えている裁判で、原告勝訴が相次いでいるにもかかわらず、「主権国家は他国の裁判に服さない」とする、いまでは古くなった国際法上の「主権免除」の原則を盾に、日本政府は裁判にも出席していません。


日本政府のきちんとした謝罪を受けることなく、オクソンさんは亡くなってしまいましたが、私たちはその思いをつなぐバトンをうけて、これからも解決に向けて行動していきます。