吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニ
2019年7月、日本軍「慰安婦」問題・関西ネット10周年記念行事で)


 


吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニは1928年に平安北道の華川で生まれました。生まれてすぐ家族は平壌市の普通江の近くに移り住み、そこで幼少期を過ごしました。

 


父親が刑務所に行くことになったのですが、ある日、満州に行けば工場に就職してお金を稼げるという話を聞き、父を連れもどすために家族に話すこともできないまま満州に向かいました。平壌駅で他の何人かの女性と一緒に電車に乗せられ、到着したのは工場ではなく、満州の日本軍の戦場でした。そこでハルモニは恐ろしい性奴隷生活を余儀なくされました。

 


十八歳になった時、解放されて仁川港に戻りましたが、何も持っていなかったので、家に帰るためにお金を稼ぎました。しかし、すぐに南北が分断され、永遠に故郷に帰ることができなくなりました。

 


ハルモニは1998年、政府に日本軍「慰安婦」被害者として登録し、日本軍性奴隷制問題の正義の解決を求めて積極的に活動されました。毎週欠かすことなく水曜デモに参加し、国連人権理事会とILO総会に参加し、オーストラリア、カナダ、アメリカ、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツなど世界各地を回って日本軍性奴隷制問題を知らせ、戦時性暴力被害者たちの人権回復のための活動をしました。

 


ハルモニは、「私が日本政府に要求するのは、お腹が空いたからご飯をくれと言うわけでも、服を着せてと言うのでもありません。私が日本政府に求めているのは、歴史の真実を正直に認めること、その真実に基づいて公式謝罪、法的賠償をせよということであって、お金を求めているのではありません」とおっしゃいました。

 


日本軍性奴隷制問題解決運動をして、統一されたら故郷にいる家族に会いたいという願いを抱いて生きてきたハルモニ、歌ですべての苦しみを忘れられると言いながら歌をうたっていたハルモニは、日本政府の真の謝罪を受けることなく2025216日に亡くなられました。

 


吉元玉ハルモニのご冥福をお祈りします。

苦しみのない世界で安らかにお眠りください。

 


2025216

日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯


(訳 方清子)