今週末は民族の祝日、お正月(旧正月)です。寒い冬の街を抜けて、多くの人々が故郷を訪れ、暖かい家族や旧友の温もりを求めて慌ただしく旅立ち、日常で疲れた心身を癒し、休息をとる時間です。

 


この時、私たちは二度と戻れない道を去った人々を記憶します。わけも分からないままに故郷を離れ、見知らぬ地で酷い苦痛を受け、生死の境を彷徨った人たちを記憶します。ようやく故郷に生還したのに周囲の冷遇と後ろ指のためにまたも死よりも辛い桎梏を受けた人たちを記憶します。 加害者が背負うべき罪悪感をそっくり背負い、自ら恥じて心を閉ざし、記憶を消そうとした女性たちを想起します。ようやくの思いで勇気を出して世界に叫んでも、否定や歪曲、恥知らずな攻撃に再び心が崩壊した女性たちを記憶します。日本軍性奴隷制の被害者ではなく、一人の人間として、一人の女性として人生を元通り生きたいというささやかな願いさえ叶えられず、恨みを抱いて生涯を終えた多くの人々を記憶します。

 



彼らの絶望と悔恨、痛みと怒り、希望と素朴な幸せが毎週水曜日のこの時に響き渡った32年余の間、日本政府は否認、部分的認定、否定の堂々巡りから一歩も前進しませんでした。真相解明と公式謝罪、法的賠償という最も基本的な前提すら無視したまま、「1965年の請求権協定ですべて解決した」、2015年の日韓合意で「最終的不可逆的に終わった」という言葉だけをオウム返しに繰り返し、再び軍事大国化を夢見て軍備拡張に熱を上げています。民主主義の根幹を揺るがし、東アジアの平和を脅かし、歴史的な退行を全方位的に画策しているのです。

 



それでも199112月の金学順(キム・ハクスン)ハルモニから始まった被害当事者の法的闘争は、ついに花を咲かせました。加害国である日本の地で、時には帝国主義、軍国主義の後ろ盾であるアメリカの地で、何度も正義の扉を叩きましたが、すべて却下された女性たちが、これで最後という思いで訴えた大韓民国の法廷で、日本の犯罪事実とそれによる回復不能な被害が認められました。 まさに勇気ある人々の驚異的な成果と言わざるを得ません。

 


それにもかかわらず、日本政府は敵対的な被害国の「問題」として、一切の責任を負わないでいます。猫鼠同處、つまり猫と鼠が慣れあって一蓮托生で悪事を働くで、自ら加害国の代理人を自任してきた尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の行いは実にも哀れです。 「司法府の判断を尊重する」という最低限の取り繕いもなく、被害者たちが死力を尽くして成し遂げた判決を無視で一貫しています。国家間の合意がどうであれ、個人請求権が厳然として生きていることを何度も確認したのに、あらゆる外交的努力を放棄したまま、目を覆い、口を閉ざし、無視を決め込んでいます。このような中、歴史否定勢力の蠢動は天を衝き、被害者と弱者に対するヘイトと攻撃が何の制止もなく行われています。世界中の市民が丹念に築いてきた運動の精神を毀損するための魔女狩りとレッテル貼りが、政府与党の非常対策委員会で喜々として行われています。マスコミは口移しでフェイクを増幅させ、ヘイトを再生産する道具に転落しました。

 


私たちが日本軍性奴隷制問題の本質を求める理由、問題解決のために共に手を組む理由、最後まで真実を記憶し、記録し、継承する理由がここにあります。日本軍性奴隷制問題は終わっていません。 女性の人権が後退し、戦争と紛争にまみれた世界で、数多くの女性と子どもが苦しんでいます。平和と歴史正義、何も解決しないまま時計を30年前、100年前に戻すことはできません。 苦労して勝ち取った勝訴判決を履行するためにも、否、天国の被害者たちはもちろん、これからの未来世代に、今この瞬間が恥ずかしくないためにも、疲れを知らず、屈しないで前進していきます。 遠く険しい道のりですが、歴史正義と平和、女性人権の実現の道を変わらず歩んでいきます。

 


202427

正義記憶連帯 理事長 李娜栄(イ・ナヨン)



(訳 権龍夫)