〈ベルリン・ミッテ区〉撤去命令を阻止したベルリンの少女像・・・終わっていない物語 平和の少女像を守る人々(1)
日本政府が世界各地の日本軍「慰安婦」記念碑や少女像の撤去を求め、あるいは設置の動きを監視し、外交的に圧力をかけるという厳しい状況下で2020年9月28日、ドイツのベルリン・ミッテ区の公共の場に「平和の少女像」が設置されたというニュースは驚きと喝采を持って迎えられました。しかし、日本政府は翌日には官房長官会見で撤去を働きかけるとし、実際茂木外相がドイツのマース外相との電話会談で撤去を要請し、ミッテ区が少女像の撤去命令を出しました。これに対して市民やメディアが立ち上がって抗議、ミッテ区議会各党もこれに対抗して同年12月には永久設置案が決議されました。
設置までの経緯やその後の経過、ドイツ市民らの連帯した闘いについてはこれまでに韓国の報道をもとに翻訳、HPでお知らせしてきました。
今回の「オーマイ・ニュース」による連載記事は、コリア協議会・韓静和(ハン・ジョンファ)代表の取材を通してあらためて少女像設置に至る過程を振り返り、少女像を守ろうと懸命に行動する人々の姿とその思いを伝えるものです。
2017年に設置を決めて以降、日本政府の執拗な妨害を乗り越え、またドイツ社会で戦時性暴力問題を通じて平和と女性の人権について地域住民と共に考えていこうと努力を積み重ねてきたことで、今や少女像は地域住民に守られ、十分にその役割を果たしていると言えます。しかし、日本政府や極右勢力らによる執拗で悪質な妨害は現在も進行中であり、それによってミッテ区の公務員らが日々疲弊し、苦しめられている中で、決して安心できる状況ではないのです。
みなさまが引き続きベルリン・ミッテ区の少女像に関心を持って、日本政府の動きにも注視してくださるよう、よろしくお願いします(by日本軍「慰安婦」問題解決全国行動)。
オーマイ・ニュース 2022.1.17(最終更新2022.2.14)
ドイツ国内少女像のゆくえを心配している人が多い。永久存続決定が出されたというのにこの真冬の厳しい寒さ、コロナ渦の中でなぜデモを継続することかといぶかしがったりもする(ドイツのコロナ感染状況は韓国とは比較できないほど深刻だ) 。結論から言ってみれば、少女像はまだ安心できない。
設置許可は1年だけ延びて(2023年9月28日まで)、担当公務員たちとの神経戦は進行中であり、政治家たちを説得するためのロビー活動やミッテ区への対応のための研究は続いている。
日本側の圧力と攻撃はより一層精巧だった。コリア協議会と関連する機関や学校、都市に連絡をして事業を邪魔し、極右勢力は日本に対するヘイトメッセージでぎっしり埋まった荒らし(悪リプライ性)Eメールを韓国人の名前を使って担当公務員たちと政治家たちにばら撒くなど攻撃はますます巧妙になっている。
実際、2020年にベルリンに平和の少女像がやってきた後、コリア協議会にとって平穏な日はなかった。ドイツで、それも公共の敷地に造形物を設置するにはどれくらい至難の過程を経なければならないのか、想像もつかないだろう。
許可を出す官庁の立場では造形物設置後、誰かが着実に造形物の管理をしてくれるのかどうかが重要だ。それでコリア協議会は2018年、あえて事務所を移転した。事務所内に日本軍「慰安婦」および戦時性暴力をテーマとする展示空間を準備すれば、建物付近によく似たテーマの造形物を建てるのに助けになると聞いたためだ。
また、造形物設置のためには地域社会の同意が必須というので、移転後万全の準備をした。 狭い事務所空間を分けて日本軍「慰安婦」問題をテーマに小さな展示を始めた。また、多様な地域コミュニティを基盤とする行事に参加してコリア協議会を知らせ始めた。焼き肉も焼いて、韓国ロックバンドと伝統舞踊団も呼んで、共同体菜園にエゴマの葉まで植えて住民たち、地域団体らと親密な関係を積みあげた。
地域社会の同意、展示空間の準備・・・ 少女像設置ための努力
展示空間の初めての展示は日本人写真作家、矢嶋宰の被害生存者の作品とイ・ミレ(kate hers RHEE)作家の美術作品で、オープニングにはミッテ区庁の公務員たちを招請した。そのうちのミッテ区文化環境部所属公務員が数日後私たちを訪ねてきた。これに対し少女像設置の意志があることを説明して展示の意味を知らせた。
公務員は永久設置許可は概して容易ではないため、都市空間芸術委員会(以下芸術委)に申し込むこと、周辺にある隣人たちの同意を得ることが重要だという助言をしてくれた。芸術委を通した造形物設置制度は基本的に1年設置許可を受けた後、何ら問題がなくて、住民たちの反対がなければ引き続き延長申請ができるシステムだ。
その後1年間、文化専門家3人の推薦書まで追加して心血を注いで作成した申込書を提出した。2019年2月19日に提出した申込書が通過したという知らせを聞いたのは3月末だった。芸術作品を対象に申し込む場合、当該区庁の芸術委で通過になっても道路庁と緑地庁の最終許可が必要だ。申請場所に建てることができる条件に合うかどうか検討するためだ。コロナによってはらはらと気をもんでいた7月初めに最終許可がおりた。
整えた文書で整理した13ページの申込書には少女像の芸術的価値、似た主題の銅像との比較、作品の意味と歴史的脈絡に対する説明を込めた。しかし、申込書を出す前日夜、設置後にはまちがいなく日本大使館に苦しめられる公務員たちに申し訳なくて一晩中眠れなかった。
申込書受付終盤に過去における日本政府の少女像関連の行動に対する追加説明を詳細に書き込んだ。この事実を知れば設置許可がおりないこともあるという危険を押し切ったのだ。当時のこの決定がその後少女像存続の正当性を守ってくれるとは思わなかった。
ドイツ側の回答・・・ 「日本がなぜそんなに介入するのか理解できない」
芸術委は私たちの申込書に対して、少女像が普遍的な女性の人権と戦時性暴力に反対する造形物であることをよく明らかにしたといった。また、日本政府がなぜそんなに介入するのか理解できないけれど、ひとまず申請団体がこの記念碑を通じて教育事業をしようとすることが最も重要だと判断して選抜したといった。
申込書通過後、日本政府の攻撃が心配になってミッテ区庁に電話をすると、アルメニア大虐殺を認めないトルコ政府とチベットを抑圧する中国を例にあげて、ミッテ区庁広報課はすでに経験済みだから心配しないでと大声をあげた公務員もいた。
少女像設置予定日は故金学順ハルモニが沈黙を破って初めて日本軍「慰安婦」被害事実を公開証言した<世界日本軍「慰安婦」メモリアル・デー>8月14日だった。時間が迫っていて許可書を受けとってすぐ少女像設置現場に走って行くと、突如道路工事車両一台が止まっていた。
7月27日から9月7日までガスパイプライン整備のために舗装道路を全てはがすというのだ。9月7日までというが、ドイツでの工事はいつ終わるか、占い師にも分からない領域に属する。 (2へ続く)
(訳 方清子)
〈原文〉
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002802721