【特派員の視線】「ベルリンは東京ではない」…少女像をめぐるドイツ式政治とは
<聯合入ニュース2020-11-26>
しっかりした地域政治・政党政治文化…上部組織・同党首に反旗
来月1日、永久設置決議案の審議を控え、ベルリン市民が冷たい風の中でデモ
(ベルリン=聯合ニュース)イ・グァンビン特派員=ベルリンは東京、他の都市とは違った。
「平和の少女像」をめぐる「ベルリンモデル」にはドイツ式地域中心の政治文化、市民社会文化がそのまま盛り込まれている。
ベルリン市民社会が、モアビート地域の街角に設置された少女像撤去命令に反対する世論を形成すると、地域政界が反応した。
そして、堅固な代議制民主主義システムの中で、地域議会の解決策模索につながる構造が作動している。
もちろん、政治過程に介入する外部要素であるロビーと外交も働いている。 日本政府関係者らは、ドイツ連邦政府側に少女像撤去を要求した。
日本側のロビーはベルリン市にも広がった。 少女像の管轄地域であるミッテ区庁ももちろんだ。
しかし、少女像設置許可や撤去問題は、あくまでも「地域政治」の役目だ。 それも区単位だ。
特に「ベルリンモデル」では政党の下部地域単位から上部地域単位の意見を黙殺する姿も見せた。
政党構造が垂直的でないドイツ政治の断面だ。
また、地域団体長が同党所属だとして支持せずに反対意見を出す姿も見られた。
市民社会の世論形成にはドイツメディアの役割も大きかった。 過去を反省せずに覆おうとするこれまでの日本の試みを今回の事件を通じて証明した。
第2次世界大戦当時、インドネシアに滞在したドイツ女性たちも日本軍の性奴隷になったという事実がドイツ社会で初めて浮上した。 日本のロビーで始まったことが、日本にとっては藪蛇になった。
ナチス・ドイツが女性に対して行った戦時性的暴力問題も取り上げられた。 少女像をめぐる議論がドイツの恥ずかしい過去史の一つを振り返ってみる機会になったのだ。
◇同党の自治体首長や党組織に「間違いは間違い」
ドイツは内閣制であり連邦制国家だ。 議会中心であり、地域政治が強い。
中央党の有力政治家の多くが青少年、青年時代から党員として加入し、地域政治を経験した後、中央政治の舞台に進出した。
欧州連合(EU)執行委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエン、アンネグレート・クランプ=カレンバウアーキリスト教民主党代表兼国防長官がそうだ。
社会民主党の首相候補に早くから決まったオラフ・ショルツ財務長官も高校生の時から党員として活動し、地域政治を行った。
ドイツでは、地域議員の自律性が強く、地域議会内でも対話による協議や妥協の文化が根づいている。
少女像撤去命令を下したミッテ区庁のシュテファン・フォン・ダッセル区長は緑の党所属だが、緑の党所属区議員はミッテ区議会の「設置期限(1年)尊重決議案」に賛成票を投じた。
緑の党議員らは、市民社会の反発が起きると、いち早く芸術の自由が他国の政治的意志に制約を受けてはならないという立場を示した。
同じ党の議員が背を向けたことは、ダッセル区長にかなりの打撃となった。
社会民主党の区議員らは、社会民主党が連立政権の主軸であるベルリン市に反旗を翻した。
先月25日付日刊tazによると、ベルリン市社会民主党所属高位関係者は先月12日、ダッセル区長に送った文書で「少女像と碑文の設置の許可撤回を命令したミッテ区庁の決定を明確に歓迎する」と感謝の意を表した。
ベルリン市の立場が日本側の論理に傾いたことをうかがわせる。
しかし、ミッテ区の社会民主党支部は碑文修正の条件を掲げたが、撤去命令に反対した。 「設置期限尊重決議案」に賛成したのは言うまでもない。
「設置期限尊重決議案」を出した政党がミッテ区議会で最も小さな海賊党という点も注目すべき点だ。
◇連邦議会の仲裁努力も方向が見当違い。
少女像の設置や撤去命令を巡る議論は、連邦下院でも関心を集めた。
日本の議員が乗り出したのも作用したのだろう。
ドイツ議員親善の会事務総長の木内実衆議院議員はすべてのミッテ区議員に映像メッセージを送り「少女像の本当の目標は日本に反対する政治的かつ否定的なキャンペーンを繰り広げること」とし「芸術作品ではなく虚偽事実に基づいた感情的操作の道具」と主張した。
連邦下院議員はドイツ式の仲裁を試みたが、方向を誤ってもいた。
先月、撤去命令に対する市民社会の反発が激しい時、連邦下院緑色党のある議員が当時のチョン・ボムグ駐独韓国大使に、「韓日大使館間の仲裁テーブルを設けるから、一緒に議論してみよう」と非公式に提案したという。
事実上、日本軍「慰安婦」被害者問題を反日民族主義から始まった韓日間の外交紛争事案だとドイツを説得してきた日本側の論理が投影された提案だった。
これを受け入れたなら、その瞬間、日本の罠にかかることになるだろう。
特に少女像の設置を戦争被害女性に対する普遍的人権問題とし、ドイツ当局を説得してきた市民社会の努力にも冷水を浴びせたことだろう。
もちろん、当時、チョン大使はこれを断ったという。
25日、寒い中、ベルリン・ジェンダルメンマルクト広場で少女像を守る集会に参加した市民ら[ベルリン=聯合ニュース]
◇少女像の運命決定会議を前にベルリン代表が広場でデモ
少女像の運命はまだはっきりしない。
公式に撤去命令が留保された状態だ。
ただし、設置期限の1年間維持される可能性は大きくなった。ミッテ区議会の設置期限を守るという決議案の採択で、ミッテ区庁の撤去命令は効力を失うことになった。
今は碑文を修正するかどうか、永久設置するかどうかなどが残っている。
ミッテ区議会は来月1日、左派党が提出した少女像永久設置決議案を審議する。
現在、ミッテ区庁は碑文に戦争被害女性に対する普遍的な内容を追加する案を検討している。
ダッセル庁長は先月13日、撤去命令の留保を決定し、「少女像の設置を主管した現地の市民団体『コリア協議会(Korea Verband)』と日本側の利益を公正にする折衷案を講じる」と述べた。
この地点でも、市民社会の地域議会説得の努力、日本側のロビーなど様々な要素が働き、結果が出るものとみられる。
ベルリン市民たちは25日夕方、ミッテ地域でベルリンの最も代表的な広場の一つであるジェンダルメンマルクトでデモを行った。
永久設置決議案審議を控え、市民社会の念願を伝え、少女像設置の正当性を論理的に伝えたのだ。
100人余りの参加者たちが少女像を連想させながら椅子に座った。 コリア協議会、全国組織の極右反対市民団体であるOmas gegen Rechts(極右に反対するおばあちゃん)、全世界の性暴力生存者のための現地市民団体であるメディカ・モンディアルの会員と市民が参加した。
ベルリン少女像の存置問題をめぐり、今後の過程も険しいだろうが、ドイツ式の対話と討論文化は確固たる正当性を持った少女像側に近そうだ。
ビイラント・ワーグナーシュピーゲル誌元アジア特派員は先月31日付日刊tazの寄稿文で「ベルリンは東京ではない」とし「ミッテ区の記念碑をめぐる論争で役立つことはただ透明性だ。 記念碑を無理やり片づける代わりに、民主的な権利を持つ国にふさわしく、公開的に討論することが、今取るべき機会だ」と述べた。
(訳:Kitamura Megumi)