強制連行は本当に無かったのか?
嘘とは「黒いカラスを白いカラスだ」という事です。
詭弁とは、その「白いカラス」という嘘を正当化するために使う弁法のことです。
今、日本には嘘と詭弁が蔓延しています。
そしてもっとも、嘘と詭弁が数多く使われているのが、「慰安婦」問題です。
ここでは「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という日本政府の嘘と詭弁を追及します。
1. 安倍政権の「強制連行は無かった」という閣議決定について教えてください
正確には「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という内容です。詳しく見てみましょう。
2007年3月、民主党の辻元議員が「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」などの安倍首相の発言を問いただしました。質問第一一〇号です。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a166110.pdf/$File/a166110.pdf
これに安倍政権が答えたのが、問題の閣議決定です。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b166110.pdf/$File/b166110.pdf
そこで辻元議員は次に質問第一六八号を出しています。オランダ政府が公表した「旧オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春」などの個別具体的な強制売春・強制連行の証拠をあげてこれについての日本政府の認識を問うたものです。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a166168.pdf/$File/a166168.pdf
対する安倍政権の答えが、答弁第一六八号です。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b166168.pdf/$File/b166168.pdf
つまり安倍首相たちは、「強制性を裏付ける証拠はなかった」という安倍首相の発言を擁護するため「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と閣議決定したが、次に具体的に強制売春・強制連行の証拠などを突き付けられると、今度は「政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話のとおりである」と逃げたわけです。
そこで、その平成5年8月4日の内閣官房長官談話には何が書かれていたかというと、「募集において官憲による甘言・強圧もあった」と書かれていました。その部分を抜き出してみます。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」
「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」
つまり、「募集において官憲による甘言強圧もあった」と述べている。安倍政権は、強制連行の資料を具体的に提示されると、この通りであると答えたのでした。
一方では「強制連行を直接示すような証拠はない」と言いながら、問い詰められると今度は「いや官憲による甘言・強圧があったという昔の談話の通りです」と答えている。まるでスタンダードが存在せず、その場しのぎの子供の言い逃れです。こういうのを人は詭弁と呼んでいます。
しかし、詭弁はこれだけではなかったのです。
2. 狭義の強制とはどういう意味ですか?
安倍首相のいう「狭義の強制連行」は「業者ではなく官憲が強引に連れて行く」ことでしょうけど、実際のところどんな定義なのかはよく分からない言葉です。連行時の強制を強制連行と呼び、その強制連行のさらに一部の連行形態を切り取ってそれを「狭義の強制連行」と呼んでいるわけですが、このような切り取り方が適切とも思われません。また安倍首相はしばしば「強制連行」と「強制性」という言葉を混同させて使っていますが、これも概念定義の混乱を招いています。
「狭義の強制連行」という言葉は元々は歴史家・秦郁彦氏の著作から生まれた言葉です。
ここで押さえておかなければならないのは、秦氏が「狭義の強制連行」を書いたのは歴史学会に提出した学術論文ではなく、商業誌のエッセイか評論のような著作だったということです。学術用語・用法ではないのです。
この「狭義の強制連行」を安倍首相がどんな風に使っているのか?について調べてみましょう。
安倍首相の「狭義の強制連行」は、上記秦論説の受け売りであり、2007年には強制連行に関する考えを説明してこう述べています。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/166/0014/16603050014003.pdf
ここできちんと理解しておくべきことは、「狭義の強制連行」あるいは「狭義の強制性」という言葉は学術用語ではなく、定義さえはっきりしない言葉なのだということです。
安倍首相の答弁
またこの時の質疑で小川議員の「じゃ、どういう強制があったんですかと聞いているわけですよ」という質問に答えて「もう既にそれは河野談話に書いてあるとおりであります。」と答えていることも押さえておかなければなりません。河野談話に書いてある強制の記述を「そのとおりだ」と認めているわけです。
そうすると広義も狭義もひっくるめて、ただ「強制連行はあったか?」と質問された場合、「あった」という事になります。なぜならこの「強制連行」という言葉の中には、広義の概念も狭義の概念も含まれているからです。
だから「強制連行はあったのですか?」と問われた場合、「強制連行はあった」と答えるのが正しい。それが普通の論理展開だと思います。
ところが、安倍政権はなぜかこれを逆にしてしまいました。「狭義の強制連行は無かった」という答弁が「強制連行は無かった」に変化して行きました。元々安倍首相は「強制連行」と「強制性」の意味の違いを押さえずに混同して話す人ですし、さらに「狭義の強制連行」とただの「強制連行」を都合よく混同するなど朝飯前だったのでしょう。
ところが安倍政権が答弁書で「(河野談話までに政府が見つけた資料では)強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」と答えたこの狭義の強制連行でさえ、河野談話の時にすでに資料が出ていました。それが「バタビア軍法会議記録」です。そしてこれを質問したのが赤嶺政賢議員です。
2) 狭義の強制連行さえ、河野談話の時にすでに資料があった
2013年6月18日、安倍政権は赤嶺政賢議員の質問に答えて、河野談話の際に政府が発見した資料の中に「バタビア軍法会議記録」が含まれていることを認めました。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b183102.pdf/$File/b183102.pdf
この「バタビア臨時軍法会議」の記録には、収容所のオランダ人女性らを「売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」と書かれています。広義どころか狭義の強制連行さえ資料があり、それが河野談話の時にはすでに政府に収集されていたのです。
このような資料があったことが判明した以上、当然これまでの安倍首相の主張を変更し、慰安婦の(狭義の)強制連行を示す資料はあったとしなければならない。
ところが驚いたことに安倍政権は、資料の存在は認めたにも関わらず、強制連行は完全に否定したのです。それがどういう論理かはまったく分かりません。この答えに不満足な赤嶺政賢議員は再び問い正しますが、10月25日に安倍政権はまたもや強制連行否定を閣議決定したのです。
何が起こっているのかまったく分かりません。ともかく資料に書かれていても、そんな資料は無かったことになってしまったらしい。さらに辻元議員が質問した際には、(オランダ政府が提示したインドネシアなどの事例について)「政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話のとおりである」と答え、オランダ政府が問い糺した時にも「河野談話を継承している」と答えています。ところが、赤嶺議員が質問すると同じバタビア裁判の記録について、今度は「強制連行の証拠はない」と答えたわけです。嘘と詭弁が二重三重に複合しています。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a185007.pdf/$File/a185007.pdf
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b185007.pdf/$File/b185007.pdf
資料はあったが、強制連行は認めないというので、安倍政権が強制連行資料を資料として認めるのはどういう場合なのか? 赤嶺議員はそれを疑問に思い、同年12月4日に強制連行の概念定義について質問します。安倍首相の言う「人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまった」ケースは、「二〇〇七年答弁書」の言う「軍や官憲によるいわゆる強制連行」にあたるのか?と尋ねています。これに対して安倍内閣はまたもや辻元議員への答えを引用して、「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」として木で鼻をくくったような答えをしています。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a185120.pdf/$File/a185120.pdf
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b185120.pdf/$File/b185120.pdf
3) 「定義が変わった」とは?
第一次安倍内閣の2007年3月8日、民主党の辻元清美議員は質問書で次のように問いただしました。
「「定義が変わったことを前提に」と安倍首相は発言しているが、何の定義が、いつ、どこで、どのように変わった事実があるのか。変わった理由は何か。具体的に明らかにされたい」
「安倍首相は、どのような資料があれば、「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か」
これに対する安倍内閣の答えは「・・軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」でした。
これではまったく答えになっていません。「定義はどう変わったのか?」「どんな資料があれば強制連行の証拠になるのか?」と聞かれて「記述は見当たらなかった」と答えたのです。聞かれた事に答えていないのです。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a166110.pdf/$File/a166110.pdf
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b166110.pdf/$File/b166110.pdf
それと同じやり方を赤嶺議員の質問書に対してもしています。「強制連行を示す資料はなかった」というので、じゃあ「強制連行にあたるのはどんな場合か?を聞かれたら、再び「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と言い張ったのです。同義反復しており、不誠実すぎる答え方です。後の安保法制などの答弁に見られたような不誠実な答え方を慰安婦問題ではかなり古くから使っていました。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a185120.pdf/$File/a185120.pdf
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b185120.pdf/$File/b185120.pdf
私たちは安倍内閣に最低限の誠意を求めたいと思っています。アメリカや韓国の大統領に謝罪をパフォーマンスすればよいわけではありません。質問への答えを誤魔化したり、書かれているものを無視したり、問われた内容とまったく関係ないことを答えることにどんな誠意があるのでしょうか。「歴史家にまかせる」と言い逃れしながら歴史事実に関する閣議決定をすることにどんな誠意があるのでしょうか。我が国の首相として自分の信じている事、または信じたい事は置いておいて、都合が悪くても事実は事実として認める度量が欲しいものです。
3. 狭義の強制連行の資料にはどんなものがありますか?
「狭義の強制連行」が「官憲により、暴力や脅迫によって強制的に連行されること」であるなら、そのような狭義の強制連行を示す事例は今日までの歴史研究の中で多く発見されています。
●まず、インドネシアのスマラン事件は有名であり、1992年ころからすでに知られています。しかしスマラン事件だけではなく、1994年の『オランダ政府報告書』によればブレラやマゲラン、フロレス、マランなどおよそ8つの凶悪な強制連行・強制売春事件がありました。
http://www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf
http://tkajimura.blogspot.jp/2015/02/blog-post_11.html
こうした事件の中には、慰安所を造る権限のある、あるいは慰安所を造るように命じられた職業軍人が首謀者となり、日本軍がその地方を治めさせていた州長官や憲兵隊が動いて現地の女性を強制的に集めたものもあります。特徴の一つはしばしば犯罪を取り締まるはずの憲兵が実行犯であることです。『オランダ政府報告書』は、「少なくとも64人が強制売春の犠牲者」としていましたが、これが当時起こった事件の氷山の一角にすぎなかった事は、2014年3月7日、関東学院大学教授の林博史氏の公表した「三警事件」(バタビア25号)資料からも明らかです。この資料ではバリ島の海軍特別警察隊長だった人物が、敗戦直後、軍の資金を使ってもみ消し工作をしたことを語っています。
https://docs.google.com/document/d/1j5SxcCVa_pA-k_lCkG_YYiEmyFJ8YnI6xpKiNlOcS0U/pub
これらの事件に対して「特異な軍紀違反の例であった」という意見があります。しかしもしこれらが軍紀違反であるなら、首謀者たちは日本軍の軍事裁判で裁かれていたはずです。しかし最初に起こったブレラ以降の全ての事件でまったく裁かれておらず、それどころか首謀者は出世さえしています。罰しないからこそ、その後も同じような凶悪な事件が何度も繰り返されてしまったのです。
●東京裁判の記録を見るとボルネオ島ポンティアナックでは、婦人を「強制収容」し、海軍特別警察隊が「街で婦人を捉えて」慰安所に入れています。
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#02
また元住友殖産の社員だった井関常夫さんが『西ボルネオ住民虐殺事件-検証「ポンテアナ事件」』というこのポンティアナックの事件を裏付ける話を書いています。
●東京裁判資料では他に中国の桂林の事例もあり、検察側の証拠書類には「工場の設立を宣伝し四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して妓女として獣のごとき軍隊の淫楽に供した」と書かれており、判決文には「工場を設立するという口実で彼等は女工を募集した」「日本軍隊のために醜業を強制した」と事実認定されています。
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#03
●米軍がグァムで行った裁判でもグァム女性を集める際に「意思に反してかつ同意なしに売春目的で不法に連行した」として有罪になっています。
●日本の慰安婦裁判では8件の裁判で35人について拉致または拉致に近い連行が事実認定されています。
安倍首相は、2006年10月6日志位和夫議員の質疑で「これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか」と述べています。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/165/0018/16510060018003.pdf
「今にいたっても」と述べていますが、これがまったくの虚偽であることは明らかです。
そして安倍首相の言う官憲による狭義の強制連行でさえ、これだけの数があるわけです。
日本政府はこうしたことを全て無視して「強制連行の証拠はない」と述べているのです。
4. 歴史学者の見解は?
吉見義明教授や林博史教授、金富子教授、永井和教授など「慰安婦」問題を研究して来た歴史学者は言うまでもなく、ほとんどの歴史学者は「慰安婦の強制連行があったこと」を認めています。
歴史学者全体としては2015年5月25日には、日本の16の歴史団体が声明を出し(その後賛同は20団体に増えている)、「日本軍『慰安婦』強制連行の事実が揺るがない」「性奴隷状態だった」と指摘しています。
この16団体の中には、歴史学研究会、日本史研究会など会員数が数千人規模の大きな団体も含まれ、全ての会員を合計すると1万人を超えています。
ただしここで言う強制連行の定義は政府の言う「狭義の強制連行」からスライドした「強制連行」の定義とは異なっています。こう述べています。
それから歴史学者では秦郁彦さんが強制連行を否定するような言動をとる事もありますが、これも安倍首相と同様に、広義の強制連行は否定しておらず、またインドネシアなどの例は認めているので、厳密な意味での「強制連行否定論者」とは言えません。そもそも秦さんには、同僚の歴史学者に査読を受けたような「強制連行を否定」する学術論文がまったく存在していません。エッセイのような著作物かあるいは週刊誌や産経新聞のコメントなどで、否定ともとれるような主張をするだけなので、歴史学会ではほとんど支持されていないのが実情です。
「慰安婦問題の真相は歴史家たちの研究に任せなければならない」と、安倍首相は国会で何度か述べていますが、その歴史学者たちは「強制連行は証明されていない」とか「強制連行の資料はない」などという意見ではありません。安倍内閣は不確かな知識で歴史認識や歴史教育に口を出してないで、歴史家にまかせるべきです。
「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明
http://www.torekiken.org/trk/blog/oshirase/20150525.html
5. なぜ、政府はこれらの「強制連行」の証拠を無視するのですか?
無視したいから無視している……としか考えられません。
2016年2月16日に開かれた女子差別撤廃委員会で日本政府はこう述べました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000136254.pdf
日本政府が本格的な調査をしたのは、1993年8月の河野談話までのわずか2年間足らずの間です。つまりもう23年も前の話でしかないうえに、ごく短期間の調査結果なのです。その短期間に調査した中には「軍や官憲による「強制連行」は確認できなかった」と述べているのですから、誠意が乏しいと批判されるのも当然です。其の上政府は民間の調査・研究をまったく無視しています。河野談話以降の23年間に民間では研究者やNGOにより資料の発掘、調査、研究が進められており、すでに述べたような強制連行を示す資料も多数発見されています。こうした成果を踏まえて2014年に「アジア連帯会議」は、日本政府に対して河野談話以降に民間が発掘した資料529点を政府所収資料に加えるように申し入れましたが、政府はそのほとんどを無視しており、政府資料に加えようとしていないのが実情です。http://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/list/m-all-list.html
これは明白に河野談話の精神に反しています。
河野談話は「政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい」と述べているからです。
ここでいう資料というのは全て元々政府が所有している公文なので、アジア歴史資料センターのサイトや国立公文書館などで閲覧することができます。つまり政府は自分で資料を持っているにも関わらず、それを「慰安婦」資料として認めていないという事なのです。
たとえ認めたくないとしても、政府は「民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい」(『河野談話』 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html)という約束をまず実行すべきです。
6. 朝鮮半島や台湾での強制連行は?
まだ「慰安婦」問題が現在のように問題として認識されていなかった時代、1971年に『週刊アサヒ芸能』に掲載された菊丸さんという日本人「慰安婦」女性の話によると、菊丸さんが戦地に行くために乗った船に釜山で韓国人女性が多数乗船し、「志願ではなかったようで、アイゴアイゴと泣いていました」と言います。
https://docs.google.com/document/d/1lTq6oiv31BgmTZ1KKwOhDO9mm5NZcYp4dMKAL0oCcJw/pub
こうした話を聞いた時、これが「自発的であった」などと思う人がいるでしょうか?
志願ではないから、兵士の性処理をさせられるために船にのせられた事を知らされて泣いている。「慰安婦」たちが泣いていた情景を伝えているのは菊丸さんだけではありません。
「自発的商行為」などというのはあまりに不見識だと言えるでしょう。
https://docs.google.com/document/d/1c-VthZ28h24-Wh6-56M6RFYpf94HT0f8QSvpYuiubiU/pub
https://docs.google.com/document/d/1IQfBA7iVqa5ym_27zE8fHtMm4eMCd-IQLJs3lKVhE5g/pub
https://docs.google.com/document/d/1iUjOFSVmAamTYzEJjcT0p45jQsMv-ANuLqFdTbv5QAg/pub
https://docs.google.com/document/d/1Vf5a22dy_RJn39dc4s3V65OlPIFOIAgKHPEKENzYzTU/pub
安倍首相が、「業者による広義の強制連行」を認めていたことは、すでに述べました。業者が強制的に連れて行ったことは認めているわけです。
では業者が勝手に慰安婦集めに乗り出したのでしょうか? そんなわけがありません。
業者に依頼・命令をし、便宜を謀りながら、女性を集めさせたのは日本軍でした。
女性を集めるように依頼・命令したのは軍であり、また公務旅行の証明書を与えるなどの便宜をはかり、業者に集めさせました。
https://docs.google.com/document/d/1qvtiYTXSgLQUKe8edV9s5YQTWbhNjqqXPG8knOJvA1Q/pub
慰安所の建物を各地に建設し、慰安婦を輸送したのも軍であり、慰安所を使用したのは主に将兵・軍属でした。すると責任はどこにあるのか?
満州事変が始まると朝鮮半島は戦争のための兵站基地として、食糧や地下資源を供出しました。そして、日中戦争が長期化する中、大日本帝国は朝鮮・台湾の物的資源のみならず、人的資源まで戦争に使おうとしました。大日本帝国は1938年に国家総動員法を制定し、「戦時二際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効二発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スル」(同法第一 条)という体制をつくりあげ、この国家総動員体制のもと、戦時動員に乗り出しました。
朝鮮半島での労務動員は、『朝鮮労働者内地供出に関する件』で、「(特に陸軍から熱烈な)約30万人を朝鮮より供出せらりたき要求」が出ており、昭和16年度の移入要領によれば、労務者の供出は職業紹介所による募集から総督府の斡旋に移行していきます。
太平洋戦争が勃発するころ、労務調整令が公布、施行されましたが、「186号通牒」ではその認可した事業の中に、「酌婦、女給」が入っておりその認可標準として 「●の要求により慰安所的必要なる場合に厚生省に稟伺して承認を受けたる場合の当該業務への雇入のみ認可す」と書かれています。つまり、慰安婦の徴集も「聖戦遂行」のための業種として管理されていたのです。
https://docs.google.com/document/d/12jMgECyqlUx8PCt9aqSqpS7f7dV4kFBTXsXXDjKRIP8/pub
河野談話までの調査資料の一つとして1992年、台湾の婦援会が名乗り出た元慰安婦の聞きとり調査をして日本政府に送付した資料があります。これによると13名の内、7名が基地内にあった軍直接経営の慰安所に徴用され、そのほぼ全員が騙されて連れて行かれたと述べています。さらに役所に酌婦として選別されたと証言された方もおられ、慰安婦の動員が役人によって直接なされた例もあったようです。
なるほど命令書のような形で直接に強制連行を命じた文書は発見されていません。しかしこのような文書は最初から造られるわけがない。例えば、公文に「○○道の○○の14歳の娘を騙して(脅して)連れて来い」というような命令書があるわけがないでしょう。もし文書があるとすれば「何人が必要」「何人を送れ」などの意思を伝達する文書になるはずです。そのような文書はすでに複数発見されています。
しばしば「(直接の)命令書が見つかっていないから」という言い方で否定される慰安婦強制連行ですが、命令文書を残さなかったから無かった、などという理屈は成立しません。特に大日本帝国が広範に証拠隠滅を謀ったことが分かっているのですからなおさらです。
敗戦直後、日本政府は戦争犯罪の証拠になる事を恐れて大量の証拠文献を焼却しました。結果、今ある資料は、たまたま燃やされなかったごく少量の資料にすぎません。しかし、もし全ての資料が今日残っていたとしても、このような命令書の類は無かったでしょう。
日本政府は2016年の2月16日に開かれた女子差別撤廃委員会で「・・・右調査とは、関係省庁における関連文書の調査、米国国立公文書館等での文献調査、更には軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等である。当該調査を通じて得られた、日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲による「強制連行」は確認できなかった。」と主張しました。「聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等」も入っていますが、すると挺対協(韓国)や婦援会(台湾)の証言集に書かれている強制連行の証言は全て嘘だと結論したという事になります。もしそのような結論を政府が出しているのだとしたら、政府はその理由(分析結果)をきちんと説明する必要があります。すでに述べたように多くの歴史学者が慰安婦の強制連行を認めていますが、もしそれが、誰か歴史学者の説であるなら、その論文を提示しなければなりません。
2016年2月16日女子差別撤廃委員会
第7回及び第8回報告審査に関する女子差別撤廃委員会からの質問事項に対する回答
最後に、最も重要なことを言っておきたいと思います。
それは、日本軍「慰安婦」問題の本質は「連行の方法」にはない、ということです。安倍政権が「強制連行があったか否か」が本質的な問題であるかのように問題のすりかえをしているため、ここでは、それすらも反論できるということを示してきました。しかし、それは本質的な問題ではありません。「河野談話」も「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と、慰安所における強制性について述べています。どのような方法で連れて行かれたとしても、女性たちは皆、軍が立案・設置、管理・統制した慰安所で、日本軍の戦争遂行の道具として扱われたことが、重大な人権侵害であったとして国際的な批判を浴びてきたのです。強制連行があったかどうかで国の責任を問えるかどうかが決まるかのような議論は、今や日本国内でしか通用しない極めて狭い、おかしな議論だということを知ってもらいたいと思います。
詭弁とは、その「白いカラス」という嘘を正当化するために使う弁法のことです。
今、日本には嘘と詭弁が蔓延しています。
そしてもっとも、嘘と詭弁が数多く使われているのが、「慰安婦」問題です。
ここでは「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という日本政府の嘘と詭弁を追及します。
正確には「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という内容です。詳しく見てみましょう。
2007年3月、民主党の辻元議員が「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」などの安倍首相の発言を問いただしました。質問第一一〇号です。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a166110.pdf/$File/a166110.pdf
これに安倍政権が答えたのが、問題の閣議決定です。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b166110.pdf/$File/b166110.pdf
お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。・・・(略)・・・この「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という答弁は様々な証拠を無視したものでしかありませんでした。
そこで辻元議員は次に質問第一六八号を出しています。オランダ政府が公表した「旧オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春」などの個別具体的な強制売春・強制連行の証拠をあげてこれについての日本政府の認識を問うたものです。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a166168.pdf/$File/a166168.pdf
対する安倍政権の答えが、答弁第一六八号です。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b166168.pdf/$File/b166168.pdf
オランダ出身の慰安婦を含め、慰安婦問題に関する政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話のとおりである。と答えています。
つまり安倍首相たちは、「強制性を裏付ける証拠はなかった」という安倍首相の発言を擁護するため「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と閣議決定したが、次に具体的に強制売春・強制連行の証拠などを突き付けられると、今度は「政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話のとおりである」と逃げたわけです。
そこで、その平成5年8月4日の内閣官房長官談話には何が書かれていたかというと、「募集において官憲による甘言・強圧もあった」と書かれていました。その部分を抜き出してみます。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
・・・(略)・・・慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。・・・(略)・・・なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。ここが重要ですから下線部をみてください。
「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」
「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」
つまり、「募集において官憲による甘言強圧もあった」と述べている。安倍政権は、強制連行の資料を具体的に提示されると、この通りであると答えたのでした。
一方では「強制連行を直接示すような証拠はない」と言いながら、問い詰められると今度は「いや官憲による甘言・強圧があったという昔の談話の通りです」と答えている。まるでスタンダードが存在せず、その場しのぎの子供の言い逃れです。こういうのを人は詭弁と呼んでいます。
しかし、詭弁はこれだけではなかったのです。
2. 狭義の強制とはどういう意味ですか?
安倍首相のいう「狭義の強制連行」は「業者ではなく官憲が強引に連れて行く」ことでしょうけど、実際のところどんな定義なのかはよく分からない言葉です。連行時の強制を強制連行と呼び、その強制連行のさらに一部の連行形態を切り取ってそれを「狭義の強制連行」と呼んでいるわけですが、このような切り取り方が適切とも思われません。また安倍首相はしばしば「強制連行」と「強制性」という言葉を混同させて使っていますが、これも概念定義の混乱を招いています。
「狭義の強制連行」という言葉は元々は歴史家・秦郁彦氏の著作から生まれた言葉です。
ここで押さえておかなければならないのは、秦氏が「狭義の強制連行」を書いたのは歴史学会に提出した学術論文ではなく、商業誌のエッセイか評論のような著作だったということです。学術用語・用法ではないのです。
『諸君!』1992年―9月号いわば秦氏の造語と言えるでしょう。
「官憲の職権を発動した「慰安婦狩」ないし「ひとさらい」的連行(かりに狭義の強制連行とよぶことにする)を示唆する公式資料は見当たらないというのである。」
この「狭義の強制連行」を安倍首相がどんな風に使っているのか?について調べてみましょう。
安倍首相の「狭義の強制連行」は、上記秦論説の受け売りであり、2007年には強制連行に関する考えを説明してこう述べています。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/166/0014/16603050014003.pdf
『ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。』(2007年3月5日参議院予算委員会、小川敏夫議員質疑)ここでは強制連行と言わず強制性と言っています。「家に押し入った」などという表現は定義にはなりませんが、この手の表現は何度か使っています。また「官憲が人さらいのように」連れて行くという秦氏と同じことを述べています。
ここできちんと理解しておくべきことは、「狭義の強制連行」あるいは「狭義の強制性」という言葉は学術用語ではなく、定義さえはっきりしない言葉なのだということです。
1) 広義の強制連行は認めている
安倍首相の答弁
いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。(2006年10月6日 志位和夫議員質疑における安倍首相の答弁)http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/165/0018/16510060018003.pdf
・・・(略)・・・御本人が進んでそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また、間に入った業者が事実上強制をしていたというケースもあったということでございます。そういう意味において、広義の解釈においての強制性があったということではないでしょうか。(2007年3月5日 小川敏夫議員質疑における安倍首相の答弁)間に入った業者の強制は認めているわけです。「業者が事実上強制をしていたというケースもあった」が「広義の強制だ」と言っており、その広義の強制はあったのだと首相自らが認めているのです。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/166/0014/16603050014003.pdf
またこの時の質疑で小川議員の「じゃ、どういう強制があったんですかと聞いているわけですよ」という質問に答えて「もう既にそれは河野談話に書いてあるとおりであります。」と答えていることも押さえておかなければなりません。河野談話に書いてある強制の記述を「そのとおりだ」と認めているわけです。
そうすると広義も狭義もひっくるめて、ただ「強制連行はあったか?」と質問された場合、「あった」という事になります。なぜならこの「強制連行」という言葉の中には、広義の概念も狭義の概念も含まれているからです。
だから「強制連行はあったのですか?」と問われた場合、「強制連行はあった」と答えるのが正しい。それが普通の論理展開だと思います。
ところが、安倍政権はなぜかこれを逆にしてしまいました。「狭義の強制連行は無かった」という答弁が「強制連行は無かった」に変化して行きました。元々安倍首相は「強制連行」と「強制性」の意味の違いを押さえずに混同して話す人ですし、さらに「狭義の強制連行」とただの「強制連行」を都合よく混同するなど朝飯前だったのでしょう。
ところが安倍政権が答弁書で「(河野談話までに政府が見つけた資料では)強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」と答えたこの狭義の強制連行でさえ、河野談話の時にすでに資料が出ていました。それが「バタビア軍法会議記録」です。そしてこれを質問したのが赤嶺政賢議員です。
2) 狭義の強制連行さえ、河野談話の時にすでに資料があった
2013年6月18日、安倍政権は赤嶺政賢議員の質問に答えて、河野談話の際に政府が発見した資料の中に「バタビア軍法会議記録」が含まれていることを認めました。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b183102.pdf/$File/b183102.pdf
この「バタビア臨時軍法会議」の記録には、収容所のオランダ人女性らを「売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」と書かれています。広義どころか狭義の強制連行さえ資料があり、それが河野談話の時にはすでに政府に収集されていたのです。
このような資料があったことが判明した以上、当然これまでの安倍首相の主張を変更し、慰安婦の(狭義の)強制連行を示す資料はあったとしなければならない。
ところが驚いたことに安倍政権は、資料の存在は認めたにも関わらず、強制連行は完全に否定したのです。それがどういう論理かはまったく分かりません。この答えに不満足な赤嶺政賢議員は再び問い正しますが、10月25日に安倍政権はまたもや強制連行否定を閣議決定したのです。
何が起こっているのかまったく分かりません。ともかく資料に書かれていても、そんな資料は無かったことになってしまったらしい。さらに辻元議員が質問した際には、(オランダ政府が提示したインドネシアなどの事例について)「政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話のとおりである」と答え、オランダ政府が問い糺した時にも「河野談話を継承している」と答えています。ところが、赤嶺議員が質問すると同じバタビア裁判の記録について、今度は「強制連行の証拠はない」と答えたわけです。嘘と詭弁が二重三重に複合しています。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a185007.pdf/$File/a185007.pdf
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b185007.pdf/$File/b185007.pdf
資料はあったが、強制連行は認めないというので、安倍政権が強制連行資料を資料として認めるのはどういう場合なのか? 赤嶺議員はそれを疑問に思い、同年12月4日に強制連行の概念定義について質問します。安倍首相の言う「人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまった」ケースは、「二〇〇七年答弁書」の言う「軍や官憲によるいわゆる強制連行」にあたるのか?と尋ねています。これに対して安倍内閣はまたもや辻元議員への答えを引用して、「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」として木で鼻をくくったような答えをしています。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a185120.pdf/$File/a185120.pdf
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b185120.pdf/$File/b185120.pdf
3) 「定義が変わった」とは?
第一次安倍内閣の2007年3月8日、民主党の辻元清美議員は質問書で次のように問いただしました。
「「定義が変わったことを前提に」と安倍首相は発言しているが、何の定義が、いつ、どこで、どのように変わった事実があるのか。変わった理由は何か。具体的に明らかにされたい」
「安倍首相は、どのような資料があれば、「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か」
これに対する安倍内閣の答えは「・・軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」でした。
これではまったく答えになっていません。「定義はどう変わったのか?」「どんな資料があれば強制連行の証拠になるのか?」と聞かれて「記述は見当たらなかった」と答えたのです。聞かれた事に答えていないのです。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a166110.pdf/$File/a166110.pdf
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b166110.pdf/$File/b166110.pdf
それと同じやり方を赤嶺議員の質問書に対してもしています。「強制連行を示す資料はなかった」というので、じゃあ「強制連行にあたるのはどんな場合か?を聞かれたら、再び「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と言い張ったのです。同義反復しており、不誠実すぎる答え方です。後の安保法制などの答弁に見られたような不誠実な答え方を慰安婦問題ではかなり古くから使っていました。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a185120.pdf/$File/a185120.pdf
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b185120.pdf/$File/b185120.pdf
私たちは安倍内閣に最低限の誠意を求めたいと思っています。アメリカや韓国の大統領に謝罪をパフォーマンスすればよいわけではありません。質問への答えを誤魔化したり、書かれているものを無視したり、問われた内容とまったく関係ないことを答えることにどんな誠意があるのでしょうか。「歴史家にまかせる」と言い逃れしながら歴史事実に関する閣議決定をすることにどんな誠意があるのでしょうか。我が国の首相として自分の信じている事、または信じたい事は置いておいて、都合が悪くても事実は事実として認める度量が欲しいものです。
3. 狭義の強制連行の資料にはどんなものがありますか?
「狭義の強制連行」が「官憲により、暴力や脅迫によって強制的に連行されること」であるなら、そのような狭義の強制連行を示す事例は今日までの歴史研究の中で多く発見されています。
http://www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf
http://tkajimura.blogspot.jp/2015/02/blog-post_11.html
こうした事件の中には、慰安所を造る権限のある、あるいは慰安所を造るように命じられた職業軍人が首謀者となり、日本軍がその地方を治めさせていた州長官や憲兵隊が動いて現地の女性を強制的に集めたものもあります。特徴の一つはしばしば犯罪を取り締まるはずの憲兵が実行犯であることです。『オランダ政府報告書』は、「少なくとも64人が強制売春の犠牲者」としていましたが、これが当時起こった事件の氷山の一角にすぎなかった事は、2014年3月7日、関東学院大学教授の林博史氏の公表した「三警事件」(バタビア25号)資料からも明らかです。この資料ではバリ島の海軍特別警察隊長だった人物が、敗戦直後、軍の資金を使ってもみ消し工作をしたことを語っています。
https://docs.google.com/document/d/1j5SxcCVa_pA-k_lCkG_YYiEmyFJ8YnI6xpKiNlOcS0U/pub
これらの事件に対して「特異な軍紀違反の例であった」という意見があります。しかしもしこれらが軍紀違反であるなら、首謀者たちは日本軍の軍事裁判で裁かれていたはずです。しかし最初に起こったブレラ以降の全ての事件でまったく裁かれておらず、それどころか首謀者は出世さえしています。罰しないからこそ、その後も同じような凶悪な事件が何度も繰り返されてしまったのです。
●東京裁判の記録を見るとボルネオ島ポンティアナックでは、婦人を「強制収容」し、海軍特別警察隊が「街で婦人を捉えて」慰安所に入れています。
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#02
また元住友殖産の社員だった井関常夫さんが『西ボルネオ住民虐殺事件-検証「ポンテアナ事件」』というこのポンティアナックの事件を裏付ける話を書いています。
●東京裁判資料では他に中国の桂林の事例もあり、検察側の証拠書類には「工場の設立を宣伝し四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して妓女として獣のごとき軍隊の淫楽に供した」と書かれており、判決文には「工場を設立するという口実で彼等は女工を募集した」「日本軍隊のために醜業を強制した」と事実認定されています。
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#03
●米軍がグァムで行った裁判でもグァム女性を集める際に「意思に反してかつ同意なしに売春目的で不法に連行した」として有罪になっています。
●日本の慰安婦裁判では8件の裁判で35人について拉致または拉致に近い連行が事実認定されています。
安倍首相は、2006年10月6日志位和夫議員の質疑で「これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか」と述べています。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/165/0018/16510060018003.pdf
「今にいたっても」と述べていますが、これがまったくの虚偽であることは明らかです。
そして安倍首相の言う官憲による狭義の強制連行でさえ、これだけの数があるわけです。
日本政府はこうしたことを全て無視して「強制連行の証拠はない」と述べているのです。
4. 歴史学者の見解は?
吉見義明教授や林博史教授、金富子教授、永井和教授など「慰安婦」問題を研究して来た歴史学者は言うまでもなく、ほとんどの歴史学者は「慰安婦の強制連行があったこと」を認めています。
歴史学者全体としては2015年5月25日には、日本の16の歴史団体が声明を出し(その後賛同は20団体に増えている)、「日本軍『慰安婦』強制連行の事実が揺るがない」「性奴隷状態だった」と指摘しています。
この16団体の中には、歴史学研究会、日本史研究会など会員数が数千人規模の大きな団体も含まれ、全ての会員を合計すると1万人を超えています。
ただしここで言う強制連行の定義は政府の言う「狭義の強制連行」からスライドした「強制連行」の定義とは異なっています。こう述べています。
強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(インドネシア・スマラン、中国・山西省で確認、朝鮮半島にも多くの証言が存在)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである。つまり、本人の意思に反するか否かを重視しています。
それから歴史学者では秦郁彦さんが強制連行を否定するような言動をとる事もありますが、これも安倍首相と同様に、広義の強制連行は否定しておらず、またインドネシアなどの例は認めているので、厳密な意味での「強制連行否定論者」とは言えません。そもそも秦さんには、同僚の歴史学者に査読を受けたような「強制連行を否定」する学術論文がまったく存在していません。エッセイのような著作物かあるいは週刊誌や産経新聞のコメントなどで、否定ともとれるような主張をするだけなので、歴史学会ではほとんど支持されていないのが実情です。
「慰安婦問題の真相は歴史家たちの研究に任せなければならない」と、安倍首相は国会で何度か述べていますが、その歴史学者たちは「強制連行は証明されていない」とか「強制連行の資料はない」などという意見ではありません。安倍内閣は不確かな知識で歴史認識や歴史教育に口を出してないで、歴史家にまかせるべきです。
「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明
http://www.torekiken.org/trk/blog/oshirase/20150525.html
5. なぜ、政府はこれらの「強制連行」の証拠を無視するのですか?
無視したいから無視している……としか考えられません。
2016年2月16日に開かれた女子差別撤廃委員会で日本政府はこう述べました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000136254.pdf
右調査とは、関係省庁 における関連文書の調査、米国国立公文書館等での文献調査、更には軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等である。当該調査を通じて得られた、日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲による「強制連行」は確認できなかった。しかし、これが多くの資料を無視した言い分であることはすでにこれまで示した資料により十分理解されると思います。たとえ「23年前の河野談話までの政府の調査と限定」してさえ、「バタビア裁判資料」があり、それ以後を考えれば複数の資料が存在するからです。
日本政府が本格的な調査をしたのは、1993年8月の河野談話までのわずか2年間足らずの間です。つまりもう23年も前の話でしかないうえに、ごく短期間の調査結果なのです。その短期間に調査した中には「軍や官憲による「強制連行」は確認できなかった」と述べているのですから、誠意が乏しいと批判されるのも当然です。其の上政府は民間の調査・研究をまったく無視しています。河野談話以降の23年間に民間では研究者やNGOにより資料の発掘、調査、研究が進められており、すでに述べたような強制連行を示す資料も多数発見されています。こうした成果を踏まえて2014年に「アジア連帯会議」は、日本政府に対して河野談話以降に民間が発掘した資料529点を政府所収資料に加えるように申し入れましたが、政府はそのほとんどを無視しており、政府資料に加えようとしていないのが実情です。http://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/list/m-all-list.html
これは明白に河野談話の精神に反しています。
河野談話は「政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい」と述べているからです。
ここでいう資料というのは全て元々政府が所有している公文なので、アジア歴史資料センターのサイトや国立公文書館などで閲覧することができます。つまり政府は自分で資料を持っているにも関わらず、それを「慰安婦」資料として認めていないという事なのです。
たとえ認めたくないとしても、政府は「民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい」(『河野談話』 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html)という約束をまず実行すべきです。
6. 朝鮮半島や台湾での強制連行は?
まだ「慰安婦」問題が現在のように問題として認識されていなかった時代、1971年に『週刊アサヒ芸能』に掲載された菊丸さんという日本人「慰安婦」女性の話によると、菊丸さんが戦地に行くために乗った船に釜山で韓国人女性が多数乗船し、「志願ではなかったようで、アイゴアイゴと泣いていました」と言います。
https://docs.google.com/document/d/1lTq6oiv31BgmTZ1KKwOhDO9mm5NZcYp4dMKAL0oCcJw/pub
こうした話を聞いた時、これが「自発的であった」などと思う人がいるでしょうか?
志願ではないから、兵士の性処理をさせられるために船にのせられた事を知らされて泣いている。「慰安婦」たちが泣いていた情景を伝えているのは菊丸さんだけではありません。
「自発的商行為」などというのはあまりに不見識だと言えるでしょう。
https://docs.google.com/document/d/1c-VthZ28h24-Wh6-56M6RFYpf94HT0f8QSvpYuiubiU/pub
https://docs.google.com/document/d/1IQfBA7iVqa5ym_27zE8fHtMm4eMCd-IQLJs3lKVhE5g/pub
https://docs.google.com/document/d/1iUjOFSVmAamTYzEJjcT0p45jQsMv-ANuLqFdTbv5QAg/pub
https://docs.google.com/document/d/1Vf5a22dy_RJn39dc4s3V65OlPIFOIAgKHPEKENzYzTU/pub
安倍首相が、「業者による広義の強制連行」を認めていたことは、すでに述べました。業者が強制的に連れて行ったことは認めているわけです。
では業者が勝手に慰安婦集めに乗り出したのでしょうか? そんなわけがありません。
業者に依頼・命令をし、便宜を謀りながら、女性を集めさせたのは日本軍でした。
1937年の終わりころから38年の初めころの様子を伝えた『時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件』という資料によれば、3000人の女性を上海皇軍慰安所に送るために誘拐しようとした男が「軍部ヨリノ命令ニテ」と供述しています。
(http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf アジア女性基金① 内務省史料27-46)
この資料と一緒に出て来た 『皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件』は、「稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ」としてこの女衒集団の一部が朝鮮半島にも向かった様子を伝えています。
(http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf アジア女性基金① 内務省史料27-46)
その少し後の『軍慰安所従業婦等募集に関する件』は、慰安婦を集める周旋業者(女衒)の選定を現地軍に任せ、憲兵や警察と連携して募集するように指示しています。
(http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf アジア女性基金② 内務省史料3-8)
そして南支派遣軍が慰安婦を集めることを依頼し、政府が動いたことを告げているのが『支那渡航婦女に関する件伺』です。この資料では派遣軍が慰安婦となる女性約400名を要求し、業者を選定して集めさせるよう府県知事に指示しています。
(http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf アジア女性基金① 77-86)
つづいて『南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件』では、「本件極秘に左記に依り之を取扱ふこと」や「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること 」と述べて業者の背後で軍や内務省が操っている事を隠そうとしています。このように、軍と内務省が慰安婦を集めていたこと、業者の背後に軍があることは資料によって明らかであり、これらは全てすでに政府資料の中に所収されています。
(http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf アジア女性基金① 87-105)
女性を集めるように依頼・命令したのは軍であり、また公務旅行の証明書を与えるなどの便宜をはかり、業者に集めさせました。
https://docs.google.com/document/d/1qvtiYTXSgLQUKe8edV9s5YQTWbhNjqqXPG8knOJvA1Q/pub
慰安所の建物を各地に建設し、慰安婦を輸送したのも軍であり、慰安所を使用したのは主に将兵・軍属でした。すると責任はどこにあるのか?
満州事変が始まると朝鮮半島は戦争のための兵站基地として、食糧や地下資源を供出しました。そして、日中戦争が長期化する中、大日本帝国は朝鮮・台湾の物的資源のみならず、人的資源まで戦争に使おうとしました。大日本帝国は1938年に国家総動員法を制定し、「戦時二際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効二発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スル」(同法第一 条)という体制をつくりあげ、この国家総動員体制のもと、戦時動員に乗り出しました。
朝鮮半島での労務動員は、『朝鮮労働者内地供出に関する件』で、「(特に陸軍から熱烈な)約30万人を朝鮮より供出せらりたき要求」が出ており、昭和16年度の移入要領によれば、労務者の供出は職業紹介所による募集から総督府の斡旋に移行していきます。
太平洋戦争が勃発するころ、労務調整令が公布、施行されましたが、「186号通牒」ではその認可した事業の中に、「酌婦、女給」が入っておりその認可標準として 「●の要求により慰安所的必要なる場合に厚生省に稟伺して承認を受けたる場合の当該業務への雇入のみ認可す」と書かれています。つまり、慰安婦の徴集も「聖戦遂行」のための業種として管理されていたのです。
https://docs.google.com/document/d/12jMgECyqlUx8PCt9aqSqpS7f7dV4kFBTXsXXDjKRIP8/pub
河野談話までの調査資料の一つとして1992年、台湾の婦援会が名乗り出た元慰安婦の聞きとり調査をして日本政府に送付した資料があります。これによると13名の内、7名が基地内にあった軍直接経営の慰安所に徴用され、そのほぼ全員が騙されて連れて行かれたと述べています。さらに役所に酌婦として選別されたと証言された方もおられ、慰安婦の動員が役人によって直接なされた例もあったようです。
なるほど命令書のような形で直接に強制連行を命じた文書は発見されていません。しかしこのような文書は最初から造られるわけがない。例えば、公文に「○○道の○○の14歳の娘を騙して(脅して)連れて来い」というような命令書があるわけがないでしょう。もし文書があるとすれば「何人が必要」「何人を送れ」などの意思を伝達する文書になるはずです。そのような文書はすでに複数発見されています。
しばしば「(直接の)命令書が見つかっていないから」という言い方で否定される慰安婦強制連行ですが、命令文書を残さなかったから無かった、などという理屈は成立しません。特に大日本帝国が広範に証拠隠滅を謀ったことが分かっているのですからなおさらです。
敗戦直後、日本政府は戦争犯罪の証拠になる事を恐れて大量の証拠文献を焼却しました。結果、今ある資料は、たまたま燃やされなかったごく少量の資料にすぎません。しかし、もし全ての資料が今日残っていたとしても、このような命令書の類は無かったでしょう。
日本政府は2016年の2月16日に開かれた女子差別撤廃委員会で「・・・右調査とは、関係省庁における関連文書の調査、米国国立公文書館等での文献調査、更には軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等である。当該調査を通じて得られた、日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲による「強制連行」は確認できなかった。」と主張しました。「聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等」も入っていますが、すると挺対協(韓国)や婦援会(台湾)の証言集に書かれている強制連行の証言は全て嘘だと結論したという事になります。もしそのような結論を政府が出しているのだとしたら、政府はその理由(分析結果)をきちんと説明する必要があります。すでに述べたように多くの歴史学者が慰安婦の強制連行を認めていますが、もしそれが、誰か歴史学者の説であるなら、その論文を提示しなければなりません。
2016年2月16日女子差別撤廃委員会
第7回及び第8回報告審査に関する女子差別撤廃委員会からの質問事項に対する回答
・・・・・(略)・・・・・以上、「強制連行はなかった」論がいかに嘘と詭弁で成り立っているものなのか、ご覧いただきました。
2.以上の経緯を踏まえ、委員会から提起された質問に対しては次のとおり回答する。 (1)「『慰安婦』の強制的連行(forcible removal)を示す証拠はなかったという最近の公式声明」に関する質問について日本政府は、1990年代初頭以降、慰安婦問題が日韓間における政治問題として取り上げ始められた際、事実関係に関する本格的な調査を行った。右調査とは、関係省庁における関連文書の調査、米国国立公文書館等での文献調査、更には軍関係者や慰安所 経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等である。当該調査を通じて得られた、日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわいる「強制連行」(forcible removalとgovernment authorities)は 確認できなかった。
(2)「中国や東ティモールを含む、アジア女性基金の対象外となる国々の『慰安婦』 に対する補償措置を講じ、加害者を訴追する意思があるか」という質問について そのような意思はない。
・・・・・(略)・・・・・
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000136254.pdf
最後に、最も重要なことを言っておきたいと思います。
それは、日本軍「慰安婦」問題の本質は「連行の方法」にはない、ということです。安倍政権が「強制連行があったか否か」が本質的な問題であるかのように問題のすりかえをしているため、ここでは、それすらも反論できるということを示してきました。しかし、それは本質的な問題ではありません。「河野談話」も「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と、慰安所における強制性について述べています。どのような方法で連れて行かれたとしても、女性たちは皆、軍が立案・設置、管理・統制した慰安所で、日本軍の戦争遂行の道具として扱われたことが、重大な人権侵害であったとして国際的な批判を浴びてきたのです。強制連行があったかどうかで国の責任を問えるかどうかが決まるかのような議論は、今や日本国内でしか通用しない極めて狭い、おかしな議論だということを知ってもらいたいと思います。