[尹美香議員公判参観記] 検察とメディアが仕組んだ冒涜
尹美香議員公判参観記(2022年6月10日第13回公判)
文:チョン・ジユン「違う世界をめざす連帯」実行委員
ニュースピーク 2022.06.13
▲ ソウル西部地裁第303号刑事大法廷前と平和の少女像(水原平和の碑)。 ⓒ チョン・ジユン、イ・ミヌ
【ニュースピーク】6月10日、ソウル西部地方裁判所で開かれた尹美香(ユン・ミヒャン)議員に対する裁判に行ってきた。検察が準詐欺などの容疑をかけてすでに1年となる裁判だ。これまでの裁判過程でどのように検察の無理な起訴が失敗し、真実が明かされているのか、ニュースだけを伝え聞いていたが、昨日は直接傍聴に行った。そして生まれて初めて尹美香議員とも直接会うことになった。これまで遠くから応援しながら、やりきれない思いで見守るだけだった尹議員に直接会うことになったわけだ。
今回の裁判は朝10時に始まり、夕方8時になってようやく終わった。本当に大変で疲れる経験で、このような裁判を1年間やってきた尹美香議員と弁護士たちがどれほど大変だったことか、すごいと思った。裁判を傍聴して政治検事たちの危険な才能をこの目で直接確認することができた。政治検事が組み立てたフレームは、四重の意味で残酷で冒涜的だった。
第1に、「慰安婦」被害者たちと連帯してきた過去数十年間の活動を、「ハルモニたちを利用して虐待し、侮辱し、不正を犯してきた」ことに仕立てたという点で、尹美香議員と正義連活動家たちに対するひどい冒涜だった。
第2に、日本の植民地支配と戦時における性犯罪に対する反省と謝罪を求めてきた歴史的な抵抗を「認知症にかかったまともではないハルモニたちが尹美香と正義連にだまされたもの」にしているという点で「慰安婦」被害者たちに対するとんでもない冒涜だった。
第3に、すべてを捧げて高齢と老病の「慰安婦」被害者たちの世話をしてきた献身を「ハルモニたちをだましてお金を抜き取り資金洗浄してきたもの」にしたてあげたという点で、すでにこの世を去った故人(正義連シェルター「シムト」故孫英美《ソン・ヨンミ》所長)に対する我慢ならない冒涜だった。
第4に、数十年間、反戦平和と女性の人権のためにお互いを信じ、頼りにして闘ってきた2人の同志(尹美香と吉元玉《キル・ウオノク》)の人間関係を断ち切って、互いに対立させるよう図ったという点で許せない非人間的試みだった。
そしてそのためにこの日、この政治検事らは吉元玉さんの養子である牧師とその妻を証人として呼んだ。2020年になって養子として登録したが、実際吉元玉さんと一緒に暮らしたり、保護とお世話を提供したことはない人たちだった。この2人に対する検察の尋問、弁護士の反対尋問、検察の補充審問、裁判長の尋問に一日がかりだった。
ひとまず、2人は、故孫英美所長が数十年にわたってどれほど献身的に吉元玉さんをお世話したのか、決して否定できなかった。「本当に家族のような方で、とてもご苦労をされて、私たちはいつも感謝し、その方の前でいつも申し訳ない罪人だった」と話した。
また、2人は吉元玉さんが尹美香、正義連とともにした活動がどれほど意味のあるものだったのか、また吉元玉さんがその活動にどれほど情熱的だったのかについて否定できなかった。「日本の謝罪を求め、平和と人権のための活動に熱心で幸せそうだった」と話した。
さらに2人は毎週一回ずつ吉元玉さんを訪ねて会い、電話もしながら吉元玉さんの精神状態について何の問題も感じなかったと話した。「精神力がすごい方だったし、一緒に花札をして時間を過ごす時も、ペアをよく合わせてたくさん勝った」
証言を聞きながら、いくつかの疑問が湧いてこざるを得なかった。養子の牧師は吉元玉さんを毎週訪ねて、継続してお金を受け取った。また何かあれば巨額のお金を受け取った。立派な息子が親にお金を渡すのではなく、受け取るというのは常識的ではなかった。それでも牧師は「私は牧会者だからお金に関心がなく、母がくれれば神様の御心だと思った」と話した。
そして、養子とその妻は、結局は政治検事の目的と注文どおり、このような趣旨の陳述をした。
「実は、母親は2014年から認知症だったことがわかった。したがって、正常ではない状況で正義連と尹美香に利用されてきたのだ。尹美香と孫英美が吉元玉に支給された政府の支援金を抜き取ったようだ。毎月300ずつ出るお金がどこに行ったのか。自らお金を管理する能力もない人が、北朝鮮同胞や在日朝鮮学校などに寄付金を出したのも正義連に染まってのことだ」
政治検事たちは自分たちが押収していった数多くの資料と尹美香-孫英美間の私的なメールによるやりとりなどを証拠として提示して、これを裏付けようとした。検察の捜査権、起訴権独占と金融、通信資料に関する広範な押収捜索権がどれほど恐ろしいものか実感できた。そして、吉元玉さんが直接自分の考えを明らかにして活動している、弁護士が提示した各種映像の価値を否定した。「隣で誰かがさせたことを何も考えずに読んだもの」という論理だった。
ところが、政治検事のこのようなフレームアップと2人の陳述は自らひどい論理矛盾を起こしていた。なぜなら、その証言が正しければ、吉元玉さんが子どもたちの家族に与えた巨額のお金、2020年に子どもたちを正式家族関係に登録したこと、2021年に子どもたち夫婦と共に「尹美香にだまされた」と民事訴訟を提起したこと、いずれも「認知症にかかって正常でない状態でした行動」になるからだ。特にここ数年間、認知症症状がさらにひどくなったことが明らかだからだ。
政治検事と2人は「認知症の症状があるからといって、常に意識がないわけではない」とし、この矛盾から抜け出そうとした。つまり「選択的認知症効果」ということだ。吉元玉さんが反戦平和と人権のためにした活動はすべて「認知症にかかって正常ではない状態でしたこと」で、養子夫妻にお金を与えたり、政治検事のフレームに合わせた行動はすべて「まともになったときにしたこと」というのだ。これはあまりに説得力がなく、裁判長もずっと疑問を投げた。むしろ、養子の牧師の言葉のように「これらすべてが神様の御心」というのがもっともらしく思えた。
それ以外にも、2人の陳述には多くの矛盾があった。養子の牧師は「私はお金に関心がなく、すべては妻に任せている」と話した。しかし妻は「夫が母親から毎回お金を受け取ってくるかどうかは私にはわからなかった」と話した。また妻は「義母の活動を支持してほとんどの記事を読んだ」と話した。しかし、吉元玉さんが運動団体に寄付金を出した記事だけは不思議にどれも見ておらず、知らなかったという。
また2人は、吉元玉さんに現在どれくらいの政府支援金が出ていて、どれくらい支出しているのかと尋ねると、「毎月600程度が受け取るが、高齢と老病のために療養と介護費などがたくさんかかるので残るお金はほとんどない」とした。そう言いながら正義連に対しては「母に毎月出ていた政府支援金はどこに行ったのか」というのだ。
「金福童(キム・ポクドン)さんを覚えているか」という質問に養子牧師が「いつもたばこを吸っていて、部屋に入るとたばこのにおいでいっぱいだったハルモニ」としたのも聞きづらかった。「母と正義連の活動を支持した」という人が金福童ハルモニの活動の意味とその重要性を全く理解できていないように感じられたためだ。
ところが、この日の裁判で最も強く感じたのは、このすべてが政治検察と主流メディアの責任であるという事実の再確認だった。養子夫婦は、自分たちが尹美香、孫英美、正義連を不信に思い、疑うようになったきっかけについて「李容洙(イ・ヨンス)ハルモニの記者会見の時はただそうなのかなと思ったが、それ以降、メディアが何度も毎日のように騒ぎ、検察が家宅捜索して」から考えが変わったと証言した。
その時から、彼らは不安、不審、疑いに満ちた目で尹美香議員と正義連を見つめることになったのだろう。その時から、自らが故孫英美所長に電話するたびにこっそり録音しはじめたと証言した。また、孫英美所長に「これまでのすべての通帳と取引内訳を見せてほしい」と要求したと話した。
そして、養子夫妻は死の直前に孫英美所長が「報道と検察捜査のため非常に辛くて頭が痛くて眠れずに薬を飲んでいると言って、それで支離滅裂で正気ではないように見えた」と証言した。養子夫妻は孫英美所長が自ら命を絶ったことに慌てたはずで、正義連の人々も自然に2人を恨んだことだろう。
だからこそ一層当惑して責任を覆いかぶせるために「孫所長はお金を抜き取って死んだ。その後ろ盾は尹美香だ」といったコメントをオンラインに上げたのだろう。政治検事と主流メディアはそれをまた利用し、葛藤と対立をさらに煽った。結局、2人も検察とマスコミが仕組んだフレームの中で尹美香と正義連を疑うことになり、その政治的効果の中で動いたということだ。
だから「弁明し、泣きながら正義連を非難し」証言する2人もただ哀れに見えて、このすべての事態を引き起こした政治検事たちと族閥、主流メディアに一層怒りが湧いた。そして、一緒になって石を投げたり沈黙していた人々が憎らしかった。自負心とやりがいが挫折感と苦しみに変わり、夢と希望が悪夢と絶望に変わった時に自ら死を選んだ孫英美所長の気持ちが再び痛々しく思い出された。
日本政府が居直る姿勢を見せ、韓国政府が疎かにした中で、「慰安婦」被害者たちが高齢と病苦だけでなく、「慰安婦」被害が生んだ傷やトラウマに苦しみ、様々な肉体的、精神的後遺症を見せてきたことは全く驚くべきことではなかった。正義連は吉元玉さんの短期記憶喪失と認知症症状を隠したことはなかった。
すでに2019年に公開された映画「金福童(キム・ボクトン)」の最後のシーンは吉元玉さんが金福童さんを思い出す場面で終わる。そこで吉元玉さんは金福童さんとの思い出が薄れていくことに苦しむ。「最近時がたつほど思い出せない。物忘れの薬を飲んだのか、まったく思い出せない」
裁判で養子夫婦は、「母は孫英美所長が亡くなったことも分かっていないようだ。いっそその方がいいのかもしれない」と語った。ありうる話だ。あれほど互いに大好きだった相手の悲劇的な死を受け入れるのは苦しいことだから。
しかし、もっと辛いことは吉元玉さんが政治検事たちと主流メディアが仕組んだフレームの中で「私が正気を失った状況で同志と信じていた尹美香に利用された」という「記憶」を持ちながら人生の最後を送り、結局私たちのもとを旅立ってしまうことだ。
より多くの人々が無関心と沈黙と傍観を打ち破って立ち上がらねばならない。
(訳 方清子)
〈原文〉
http://www.newspeak.kr/news/articleView.html?idxno=412548