市民メデイア ミンドウルレ(たんぽぽの意) 2026.03.05 



2018年にフィリピン・サンペドロ市に設置するや日本政府が圧力
・少女像の建立を望んでいた現地市長、結局撤去
8年間倉庫にあった少女像を『金福童(キム・ポットン)の希望』が引き取り
31節にソウル・文来洞(ムルレドン)で意義深い帰還歓迎行事
・世界各地の少女像の受難国内極右もさまざまな攻撃
・政府・国会は厳正に対処すべき「みんなで少女像の守護者」
 



필리핀에서 8년 만에 돌아와 2026년 3월 1일 서울 영등포구 문래동 2가 아트필드 갤러리 앞에 다시 설치된 평화의 소녀상

8年ぶりにフィリピンから帰国した平和の少女像.ソウル・永登浦区文来洞2番地アートフィールドギャラリー前




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1革命107周年に当たって李在明(イ・ジェミョン)大統領夫妻は31日記念式典に出席し、その後シンガポールとフィリピンとの首脳会談のため国を離れました。韓国民の一員として、韓国政府の外交が元の地位を回復していることを嬉しく思いました。



しかし李在明大統領のフィリピンでの活動の映像を見ていると、気づいたら大統領に訊ねていました。「大統領、平和の少女像は日本軍の『慰安婦』の犠牲者たちの痛ましい歴史を記念するために建てられました。しかし日本政府の圧力のためにわずか一日で撤去されたことをご存知ですか?



そうでした。

20181228日、2015年の韓日合意3周年にあたり、フィリピンのサンペドロ市に平和の少女像が建立されました。この平和の像は、2017年に忠清北道(チェチョン)市を訪れたフィリピン・サンペドロ市のカタキス市長の要望によるもので、金曙炅(キム・ソギョン)と金運成(キム・ウンソン)作家から寄贈されました。当時の除幕式の際、韓国からは堤川市長を含む金曙炅と金運成作家が出席し、堤川市民も建設を祝い、平和の少女像の意義がフィリピンで広く知られることを願いました。



しかし平和の像が建てられるや否や、日本政府はその撤去を強く求めました。平和の少女像を自らの意志で建立したサンペドロ市長は、わずか二日で少女像を撤去せざるを得なかったのです。それ以降、平和の少女像は市長の倉庫に保管されました。



これは初めてではありません。

2017128日の世界人権デーを前に、マニラで市民がフィリピンの被害者マリア・ロサ・ヘンソン(Maria Rosa Henson)さんの記念碑(注1)を建立しました。これはフィリピンで「慰安婦」の記念碑が建立された初めてのケースでした。しかしこの時も駐フィリピン日本大使館は直ちに抗議しました。結局フィリピンの犠牲者たちを具現化したこの記念碑も、20184月末に突然撤去されました。



それが日本政府でした。自分たちの過ちを認定して謝罪し、もっとアジア諸国と親密な関係を築くことができるのに、その道を避けて日本軍性奴隷被害者たちに対する2次、3次加害を、歴史を消すことで繰り返しているのです。



2018년 12월 28일 필리핀 산페드로시에 세워졌던 평화의 소녀상. 김서경 작가

20181228平和の少女像はフィリピン・サンペドロ市に建立された。写真:金曙炅



〔平和の少女像が座る場所を探して〕


しかし諦めることはできませんでした。金福童の希望は、日本軍「慰安婦」の被害者である人権・平和活動家の金福童の意志を実現するために活動している非営利団体で、フィリピンにおける日本軍「慰安婦」問題の解決に取り組むリラ・ピリピ-ナと連絡を取り、倉庫から平和の少女像を解放し、マニラ市民と安全な場所で平和について語り合うことを望みました。


韓国で日本軍「慰安婦」問題解決運動が始まった1980年代後半、そして韓国挺身隊問題協議会(挺対協)が設立された1990年代後半、だフィリピンに日本軍「慰安婦」問題に取組む活動や被害申立てはありませんでした(*注2)

挺対協活動が始まって1991814日に金学順(キム・ハクスン)ハルモニによる被害告発の記者会見があり、19928月にはソウルで日本軍「慰安婦」問題解決に関する初のアジア連帯会議が開催されました。

この時期、アジア女性人権評議会(AWHRC)という団体が参加し、アジア連帯会議で韓国での運動について学習し、フィリピンで被害申告の電話を開設しました。それがきっかけとなって同年にフィリピンでもマリア・ロサ・へンソンさんが初めて被害者であることを告白して活動を始めました。それ以来、韓国とフィリピンの被害者、活動団体は日本政府に対して賠償請求の訴訟も進めるなど積極的に日本軍「慰安婦」問題解決のための活動をしてきました。

 


そしてフィリピンに日本軍の「慰安婦」問題を解決のための団体が設立され、1995年に日本のアジア女性国民基金が設立され、法的賠償はできなかったが、民間募金による慰労金を支給するという方針を明らかにし、フィリピンでは償い金atonement moneyを受け取りながら活動するロラズ・カンパ二エラという団体がつくられ、日本政府のアジア女性基金による償い金に反対して最後まで闘う団体がリラ・ピリピーナとして活動を続けました。リラ・ピリピーナは現在も日本政府に対して日本軍「慰安婦」問題の解決を求め続けており、被害者と女性たちが共に活動しています(*注3)



リラ・ピリピーナはサンペドロ市の平和の少女像とフィリピン少女像の再建のため、マニラの自治体と面談するなど四方に手を尽くして適切な場所を探し回るなどの努力をしました。しかし日本政府の外交力が強いフィリピンでは簡単なことではありませんでした。

このように8年を過ごし、金福童の希望は少女像の作家たちと相談を重ねながら、フィリピン平和の少女像を金福童ハルモニの傍に落ち着かせることを決めました。この決定の以降、韓国に平和の少女像が戻ってくるまで、本当に沢山の人たちの心が寄せられました。

 


セブランス病院労働組合が輸送費用の一部を負担しました。フィリピン現地から韓国の金福童の希望へ平和の少女像を運ぶのを専門とするHライン海運・海事労働組合の(クォン)ギフン委員長が大きく援けてくれました。このようにして平和の少女像は空を飛んでフィリピンから韓国ソウルの永登浦区文来洞へと帰ってきました。

 


2026년 3월 1일 서울 영등포구 문래동 2가 아트필드 갤러리 앞에서 '필리핀에서 8년 만에 돌아온 평화의 소녀상' 환영 제막식이 열리고 있다

31日、文来洞2街アートフィールドギャラリー前『フィリピンから8年ぶりに戻った平和の少女像』歓迎除幕式



2026년 3월 1일 서울 영등포구 문래동 2가 아트필드 갤러리 앞에서 열린 '필리핀에서 8년 만에 돌아온 평화의 소녀상' 환영 제막식에서 윤미향 김복동평화센터 공동대표가 개회사를 하고 있다.

31日、金福童平和センターの尹美香共同代表の歓迎除幕式での開会挨拶




31107周年、8年ぶりに迎えられた希望〕


2026
31日午前11時、ついに金福童の希望はソウル永登浦区門来洞2街アートフィールドギャラリー前に「8年ぶりにフィリピンから帰還した平和の少女像」を設置し、歓迎の除幕式を行いました。



歓迎式と除幕式には、ソウル教員組合(ソウル教員組合)(チャン)デジン主席副委員長、水原市民新聞CEOの金三石(キム・サムソク)氏、水原で活動するメディアのニュースピークのCEO李ミヌ氏、京畿道高陽市で活動する「青い猫」の(チェ)シンミョン氏、そして「共にキャンドル」のメンバーたちが出席しました。さらに文来洞のフライスペースの(ソン)ビョンムン社長、アートフィールドギャラリーの李ジョンヒョン館長、李ジョンホン氏(李ジョンホンのタトンの著者)、ベルリン平和の少女像への連帯を掲げた漫画家の李ジョンホン、李ユンジョン、金ミンジョン歌手、そしてソン・グク歌手なども出席しました。



特に『日本軍「慰安婦」問題をめざす北海道の会』の権龍夫(クォン・ヨンブ)・金和美(キム・ファミ)夫妻も出席してその意義を高めました。


まず参加者全員が吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニと大学生たちが歌っていた「岩のように(パウィチョロム)」を力強く歌い、キャンドルの灯りのようにチョ・ウンジョン会員と金福童の希望の韓ギョンア常任運営委員が力強く文来洞のギャラリー路地を通る市民たちが平和の少女像の歓迎除幕式に参加できるよう道を開きました。



この日の行事の司会となった筆者は開会辞で「金福童ハルモニが14歳の時に慶尚南道梁山から日本軍『慰安婦』として強制連行され、日本の下関、台湾、中国広東、香港、マレーシア、インドネシアのジャワ島、スマトラ島、シンガポールで日本軍性奴隷にされた」、「戦争が終わってからも家に帰れずに日本軍第10陸軍病院へ連行されて看護労働を強要され、日本兵たちに輸血まで強制させられ、強制連行から8年後の22歳になって家に帰れた」と述べました。

続けて「今日からこの文来洞で顔を合わす平和の少女像は、フィリピンに建てられた翌日に撤去され、倉庫に残され、8年ぶりに私たちの元へ戻ってきた」と紹介し、8年ぶりに逢った平和の少女像が文来洞で若者たちと希望を語り、平和と人権のために力強く羽ばたくことを望んでいると述べました。



北海道から来た権龍夫氏は挨拶で、自らを『日本軍の「慰安婦」問題解決をめざす北海道の会』のメンバーであると紹介し、植民地時代に北海道で強制労働に従事した父親の長男であると述べました。彼は「日本や世界の状況は良くないが、8年ぶりに今日帰国し、悲しげな表情で平和の像が目の前に立っているのを見ると、日本に戻り日本政府の圧力で再び像が破壊されるのを防ぐために一層努力する決意を固めた」と述べました。



少女像の作者であり、金福童の希望の共同代表でもある金曙炅作家は誰よりも感慨深いようで、「2018年にフィリピンで除幕したが一日で撤去された平和の少女像を胸に抱いた」と言い、「私たちが記憶する偉大な女性たち、金学順、金福童を始めとする日本軍『慰安婦』犠牲の証人たちは、31日の精神を受け継ぎ、自らが被害者ではなく、誇りを持って世界に出て普遍的な人権活動家として復活しました。この偉大な歴史の旅路が、青春と芸術の街である文来洞で今後も続くことを願っている」と述べました。



挨拶と連帯発言の後、参加者全員が平和の少女像を覆う白い布に繋がれた紐を持ち、「金福童は平和だ!」と叫びながら幕を引きました。そうしたら白い布覆いの中の平和の少女像が8年ぶりに出会った市民たちを見つめ、平和と希望に満ちた微笑みを浮かべているようでした。



この除幕式の最後の発言で感動を与えてくれた文来洞ギャラリー横丁の保護者であるフライスペースの(ソン)ビョンムン代表は、「私たちがこれらの問題にもう少し注意を払えば、フィリピンに建てられた平和の少女像が撤去されて韓国に戻されることはなかっただろう」と参加者たちに関心と連帯を再度訴え、今回のフィリピン平和の少女像帰還に協力ができて有り難い気持ちだと伝えました。



2026년 3월 1일 서울 영등포구 문래동 2가 아트필드 갤러리 앞에서 '필리핀에서 8년 만에 돌아온 평화의 소녀상' 환영 제막식이 열리고 있다

永登浦区文来洞2街アートフィールドギャラリー前『フィリピンから8年ぶりに戻った平和の少女像』歓迎除幕式


필리핀에서 8년 만에 돌아와 2026년 3월 1일 서울 영등포구 문래동 2가 아트필드 갤러리 앞에 다시 설치된 평화의 소녀상

ソウル永登浦区文来洞2街アートフィールドギャラリー前に再設置された平和の少女像(26.3.1)

 

 


〔平和の少女像の隣の空席に座る私たち連帯が希望である〕


世界各地にある平和の少女像は今日も侮辱を受けているでしょう。日本政府は平和の少女像の撤去のために外交力を尽くしており、日本の極右や韓国の極右集団は日本政府の歴史否定と責任回避に同調し、日本軍性奴隷制の被害者に対する名誉毀損を繰り返しています。また国内外の少女像を撤去せよとあらゆる凶悪な行為で侮辱し攻撃しています。


これに対して大韓民国国会は立法によって役割を果たし、李在明大統領は強い語調で日本軍「慰安婦」被害者の人権と名誉を傷つけている者たちに対して批判の声を上げています。しかし被害者に対する二次加害は止まっていません。

私たちはどうすれば良いのでしょう?

この記事を読む皆さんに提案したいと思います。


第一)日本軍の「慰安婦」の被害者に対する名誉棄損と平和の少女像を攻撃する者を厳しく罰するよう韓国政府へ要求しましょう。


第二)韓国国会で通過した日本軍「慰安婦」被害者法の不足部分が補充されるまで、修正補完などの立法で正義実現に韓国国会が最善を尽くすことを求めましょう。


第三)毎週水曜日の正午に日本大使館近くで、日本軍性奴隷問題の解決を求める水曜デモが開催されます。水曜デモに連帯して日本政府に日本軍性奴隷制問題の正義ある解決を求めましょう。


第四)世界中に建てられた像が撤去されたり、損傷されたり、侮辱されたりしないよう、みんなが少女像の保護者になりましょう。


第五)ミニ少女像を職場や日常生活に拡散し、平和の少女像の意味を世界に伝えましょう。

 


〔再び希望〕


平和の少女像が文来洞のギャラリー通りに建立された翌日、32日は雨が降りました。少女像は雨に打たれていました。その雨の中で、通り過ぎる市民たちの足を止めていました。誰かが少女像に黄色い傘をかけてあげました。三々五々、傘をさして通り過ぎながら、その前で立ち止まり、少女像を見て写真を撮っていく人もいれば、手をそっと握っていく人もいました。日本政府は本当にひどいと批判して通る市民もいました。



平和の少女像は遠くの異国の倉庫での8年間の痛ましい歴史を文来洞で癒し、暖かな平和へ、明日への希望へ歴史を造っていっているのかも知れません。

いまや少女像の隣の空席に一緒に座る被害者たちは私たちの傍にいません。でも私たちがその席に座って被害者たちの人生を追悼すれば良いと思います。さらにこの地に二度と日本軍「慰安婦」のような被害者を生まないために、連帯し共に歩む人々が増えることを望みます。



필리핀에서 8년 만에 돌아와 2026년 3월 1일 서울 영등포구 문래동 2가 아트필드 갤러리 앞에 다시 설치된 평화의 소녀상. 다음날 비가 내리자 누군가 소녀상에 노란 우산을 씌워줬다.

ソウル永登浦区文来洞2街のアートフィールドギャラリー前に再設置された平和の少女像。

翌日の32日、雨、誰かが少女像に黄色い傘をかけてくれた



記事寄稿:尹美香



(*訳注):正確さに欠けると思える部分があるので、下記のように訳注いたします。より正確に次の通りご理解ください。


(注1)マリア・ロサ・ヘンソンさんはフィリピンで一番最初に名乗り出た女性です。しかし、このとき建立された碑は、マリア・ロサ・ヘンソンさんだけを記念したものではないようです。


(注2)本文〔平和の少女像が座る場所を探して〕の3段落目に、「韓国で日本軍「慰安婦」問題解決運動が始まった1980年代後半、そして韓国挺身隊問題協議会(挺対協)が設立された1990年代前半、まだフィリピンに日本軍「慰安婦」問題に取組む活動や被害申立てはありませんでした。」という表現があります。


1990年前半にフィリピンでは『慰安婦』支援運動が始まっていました。1991年にタスクフォースによりラジオで『慰安婦』被害者に名乗り出るように呼びかけが行われ、マリア・ロサ・ヘンソンさんが名乗り出ました。そして支援者とサバイバーが共に活動する団体のリラ・ピリピーナが1994年に結成されました。19934月には日本政府に対して謝罪・賠償を請求する裁判を提起しています。


(注3)女性のためのアジア平和国民基金(以下、アジア女性基金)からの支払われたお金の名称は、韓国では慰労金、フィリピンでは償い金、台湾では慰撫金と称されました。

フィリピンでは、リラ・ピリピーナ、ロラズ・カンパ二エラ、マラヤ・ロラズの3団体があります。アジア女性基金から支給されるお金の受取りに関して、各国の被害者及び被害者団体、さらに日本の支援団体にも混乱と分裂をもたらしました。


アジア女性基金への対応に関して、リラ・ピリピーナは団体としては反対でしたが、ロラ自身が受け取りたいと希望するならそれを尊重してサポートしました。

アジア女性基金の償いプロジェクトの一つであった5年間の医療福祉支援事業のフィリピン政府報告書によると、2001年の調査で、所属を回答した89人の受給者のうち、リラ・ピリピーナ50人、マラヤ・ロラズ1人でしたが、ロラズ・カンパニエラ(結成2000年)のメンバーだと答えた受給者はいませんでした。ただし、結成前、リラ・ピリピーナに所属していた頃にアジア女性基金の償い金を受け取り、その後、ロラズ・カンパニエラのメンバーとなってから、首相の署名入りのお詫びの手紙を返したロラたちがいます。


(訳 権龍夫)