●ヌライ二さん亡くなる

とても悲しいお知らせが届きました。 

先日みなさんにお配りした全国行動ニュースで、お変わりなくすごしておられるとお知らせしたヌライニさんが10月27日に亡くなられたと連絡がありました。 

現地のオートバイタクシーのムリヤントさんから、鈴木さんに10月24日に電話があったのですが出ることができず、その時すでに自宅で寝込まれていたようです。その後、ムリヤントさんとのお話では「胃が痛い」とよく言っておられたということで、ヌライニさんは27日に自宅で亡くなられました。


おひとりで暮らしておられたので誰かが側にいてくれたかは分かりませんが、ムリヤントさんは、時折り鈴木さんに様子を伝えてくれていました。


ヌライニさんの近所には親戚がいるので、たぶん彼らが最期を看取り、埋葬されたのだということです。


鈴木さんが11月の下旬にスラウェシ島を訪問されるので、お墓参りには行き詳しいことを報告してくれ予定です。 



●ヌライ二さんの被害

2019年に訪問したときヌライニさんにお会いし、被害のことを聞きましたが、ヌライニさんは辛い過去を持ちながらも逞しく自分の人生を生きた方という印象です。


親と畑仕事をしていた時に日本兵に拉致されました。

当時12歳でした。連れていかれた当時まだ初潮がなく、胸も膨らんでいない幼い少女でした。日本軍は深い渓谷の山の斜面にトーチカを作るため、昼間は谷底の川から重い砂を運ぶ作業を1日3回もヌライニさんたち少女にさせ、夜には3〜4人の日本兵に強姦されるという日々でした。食事は1日1回ほどでヌライニさんは着の身着のままそこで10ヶ月を過ごしました。日本軍が撤収して、ひとつかみの塩だけを受け取りヌライニさんは解放されました。家に帰ると両親が優しく迎えてくれましたが、帰ってきた3日後にお父さんが亡くなってしまったそうです。 


その後、読み書きができたヌライニさんは小学校で教えるようになりました。医者と結婚しましたがその後別れて子供もいません。それからは代筆の仕事、ミシンを使って仕立ての仕事をしていましたが、25歳でマレーシアに渡りアブラヤシ農園のゲストハウスの管理を20年間任されました。お母さんの病気のためにマレーシアから帰国しお母さんが亡くなった後は一人で生活しておられました。 



ヌライニさんが心安らかに旅立たれたことを心からお祈りいたします。 




●チンダさん、胆石の手術



チンダさん


最後に、パレパレにお住まいのチンダさんへの支援金を送る「支援プロジェクト」に、カンパをくださったみなさん、本当にありがとうございます。みなさんのカンパでこのプロジェクトも続けることができています。 

 

 

先日、チンダさんの近況をお知らせした時は、少し笑顔も見せてくれていましたが、10月8日に現地支援者のヌールさんから激痛に苦しむチンダさんの動画が送られてきました。入院して検査したところ、胆石とわかり11日に手術して胆のうごと摘出しました。手術代は保険で賄えるようですが、薬代がかかるということで1万円を緊急カンパとして送らせてもらいました。チンダさんの一日も早い回復をお祈りしています。


況がわかったら、みなさんにおしらせさせていただきます。