ドイツ・ベルリンのミッテ区に建立されていた「平和の碑」(平和の少女像「アリ」が、ドイツ時間の1017日(金)午前7時、ミッテ区役所によって突然撤去されました。


この時期のドイツの朝7時はまだ真っ暗です。そのような中、数日前から撤去が予告されていたため、支援者たちが交代でアリを守っていました。この時にもアリを守るために出ていた市民3人が見守る中、30人近い警官が来てアリを撤去して持ち去ってしまったということです。これを見届けた市民の1人は「アリが誘拐されたように感じた」と言っています。


 ではなぜベルリンのミッテ区はこのような暴挙に出たのでしょうか。間違いなく、日本政府の圧力によるものだと、この間にあった出来事のすべてが語っています。



 平和の少女像アリは、今から5年前の2020928日にヨーロッパで初めて公共の敷地に建てられまし。その直後から、日本政府は公に遺憾の意を示し、撤去を求め続けました。


まず設置翌日の929日、当時の加藤勝信官房長官が定例の記者会見で、「わが国政府の立場やこれまでの取り組みとは相いれない、極めて残念なことだ」「政府としては撤去に向けてさまざまな関係者にアプローチし、わが国の立場を説明するなど引き続き働きかけを行っていきたい」と語っています。


また、当時の茂木敏充外相は欧州歴訪中のフランスからドイツのマース外相にテレビ電話をかけて、「東西分裂から一つのベルリンが誕生した。さまざまな人が行きかう共存の都市がベルリンだ。そのようなベルリンにあのような像が置かれるのは適切ではない」と、「平和の少女像」の撤去を求めました。


 「あのような像」とはいったい何を言わんとするのでしょうか。他国の地に建てられた碑に対して「我が国の立場と相いれない」という、理由にならない理由をかかげて露骨に撤去を求めることについて、皆さんはどう思いますか。



 このような政府をあげての露骨な介入と、現地での執拗なロビーが並行して行われた結果、設置からわずか10日後の108日、ミッテ区が設置団体であるドイツのコリア協議会に対して撤去を命じるという事態になりました。設置からわずか10日の変転でした。


ところが日本政府の露骨な言動が却ってドイツ国内、そして世界各国の市民やメディアの批判を呼びました。日本政府の振る舞いが、撤去に反対する大規模な運動を呼び起こしてしまったのです。この運動、世論に押されて、ミッテ区は撤去命令を再び保留することになります。そして2022年には設置期間が2年延長されましたこの時には、シュテファニー・レムリンガーさんが新しいミッテ区長に当選して、「私は少女像を非常に大切に考えている」と述べ、「ベルリン少女像の設置許可をさらに2年延長することを公式に決定した」と語りました。



 ところがこの2022年に日本を訪問したドイツのショルツ首相に対して岸田首相がまたもやミッテ区の平和の少女像アリ撤去のため協力してほしいと要請します。これに対してショルツ首相は区庁に権限があるから連邦政府が介入することはできないと返答し、相手にしませんでしたが、首脳会談で平和の碑の話を持ち出すほど日本政府が碑の撤去に必死であったことが分かります。



 そして再び設置期間が切れる2年後の20245月、ベルリンと東京の姉妹都市締結30周年を迎えて東京を訪問したカイ・ヴェーグナー市長が上川陽子外相と会談した際に「女性に対する暴力に反対する記念物には賛成だが、一方的な表現があってはならない」とし、「変化をつくることが重要だ」と発言したことがドイツで報道されました。


そしてベルリン市は「管轄区庁と連邦政府を含むすべての関係者と対話しており、この対話に駐ドイツ日本大使にも入ってもらう」と発表しました。

日本の外相が何も言わないのにベルリン市長側から突然ミッテ区というベルリン市の中の小さな区に建てられた碑の話を持ち出すはずがありません。ドイツからの報道では、上川陽子外相の発言については触れられていませんが、当然ながら会談の場で日本側がアリについて「一方的な表現」の碑だなどと言ったために、ベルリン市長がこのように応答したわけです。



 その後、日本のロビー活動はベルリン市のミッテ区に直接的、集中的におこなわれ、ミッテ区の区議会議員たち「こんな小さな区にまで外国(日本)大使館の職員が訪ねてきたのは初めてだ」と驚いているという話が伝わってくるほどでした。



 そのような中で、2年前に延長された設置期限である2024928日が迫ってきました。2年前に設置延長を決めたときには「私は少女像を非常に大切に考えている」と明確に発言したミッテ区のレムリンガー区長が、今度はさまざまな理由をあげて撤去を命じました。たった2年の間に、区長がなぜこれほどまでに変化したのか。これまでの経緯、日本政府のなりふり構わない圧力を考えれば、もうお分かりだと思います。



 これに対して設置団体であるコリア協議会は撤去を差し止める行政訴訟を起こし、ベルリンの行政裁判所は「具体的な説明もなく、外交的な軋轢を理由に芸術の自由を制限することはできない」として、すくなくとも「2025928日までは存置させなければならない」という判決を出しました。



 再びの928日です。2025年、つまり今年の928日を前にして、ミッテ区は再び撤去命令を出します。そしてコリア協議会も、再び差し止め訴訟を起こしました。しかし今度は、ベルリンの行政裁判所がミッテ区側の言い分を認めました。なぜか。この間にミッテ区が「公共空間における芸術の特例使用に関する行政慣行」というものの規定を厳格化したからです。これ以上、アリがその場にいられないように後付けで規定を改定して、その規定に則って撤去命令を出したために、裁判所も今度はこの規定に則っての命令であれば理があると判断したのです。



 そもそもこの「公共空間における芸術の特例使用」はまず一年間認可され、さらに1年の延長が可能とされていたものですが、実際には数々の例外ケースがあり、何点もの作品が認可後10年以上も継続設置されています。そのような措置がこれまでは区の裁量で可能だったのです。設置から5年の間に、ミッテ区議会では平和の碑アリの永久設置決議が何度も可決されて、市民の大きな支持を得てきました。ですから従来の規定によれば、充分に存置が可能なものだったと言えます。


にもかかわらず、当初、多くの市民と共にこの碑を支持していたレムリンガー区長が、規定を変えてまで強硬な撤去に動いた背景に何があるのか。何度も繰り返しますが、日本の圧力以外にはありません。

ベルリン市長がこれに呼応したことも、大きく作用したのでしょう。私たち日本の市民はこの点を踏まえ、責任を深く認識しなければなりません。

 


改めてこの碑の名称について考えます。

当初、コリア協議会は「平和の碑」の名称でこの碑を建てました。戦時下で塗炭の苦しみを経験した日本軍「慰安婦」サバイバーたちが、名乗り出て闘う中で、自分のような被害者を二度と生んではならないと、平和を訴える運動家になっていったことを称え、その精神を引き継ぐために建てられた碑だからです。



 その意味が、現地で深く受け止められたのです。そして受け止められただけでなく、現地の歴史と社会の中で、その意味が変化発展していきました。それは何と言っても「アリ」という愛称が付けられたことに現れています。アリは「勇気ある女性」を意味するアルメニア語だそうです。アルメニア虐殺のサバイバーで勇気を奮って声をあげた女性に対し、尊敬を込めてアリと呼ぶのだそうです。ベルリン・ミッテ区の人々は「平和の碑」を「アリ」と呼びました。ミッテ区は住民の半数以上が移民または移民由来の人々で占められた、まさに移民の街です。中にはアルメニア系住民もいます。そのような人々に平和の日は「アリ」と呼ばれて愛されてきました。


平和の碑アリは、戦時性暴力の被害を乗り越えて平和を訴えた女性たちの勇気の象徴として、現地で支持と理解の輪を広げてきたのです。また、東洋人の姿をした少女の像は、この移民の街で、人種差別に反対する象徴として大切にされ、人々は平和の碑の周辺で人種差別に反対する集会を持ったりもしてきました。

 


また、アリの存在はドイツ国防軍の性暴力をドイツ市民に広く知らせる役割もしてきました。設置団体であるコリア協議会が、アリを訪れる人々に、ナチスドイツにも同様の施設があったことを知らせる運動をしてきたからです。平和の碑は、決して日本を非難する碑ではないことが、このことからも分かります。あらゆる戦時下性暴力に反対し、戦争と性暴力のない平和な社会を記念して建てられた碑だからこそ、現地の人々から普遍的なその意義と価値を認められてアリの愛称で大切にされてきたのです。 ライプツィヒ大学のドロテア・ ムラデノヴァさんは「ベルリンの少女像は『日韓の対立』とはかけ離れた独自のものになっている」と言い、「建てられる場所ごとに新しい意味合いが追加されることが平和の少女像が持つ魅力だ」と語っています。



 このような意味が全く理解できない日本政府は、「我が国の立場と相いれない」などという恥ずかしい言辞を繰り返すばかりです。


ドイツ駐在日本大使館は『神奈川新聞』の取材に対して「像は、『慰安婦』問題への取り組みを含め、戦後日本の平和国家としての歩みと(2015年の)日韓間の合意を一切無視し、日本を永続的に非難する象徴のようなもの」だと、撤去を求める理由を述べました


「日本を永続的に非難する象徴」、何という倒錯した「被害意識」なのでしょうか。このような勘違いな被害意識を持っている限り、日本は世界から尊敬される国にはなれません。


 ドイツは戦後、ナチスの犯罪を正面から認め、それを記憶・継承することで平和を守っていく意思を何度も繰り返し表明し、被害者への謝罪と補償を重ねてきたことで、世界から尊敬を集めてきた国です。


そのドイツで日本政府が行ってきたこの恥ずかしい取り組みを、私たちはまず知ること、そして記憶することに加え、是正させることが必要です。


日本政府を変えることができるのは、日本の市民だけです。これは日本の市民に、課せられた責務です。まずはこのような日本政府の恥ずかしい行動を広く知らせてください。そして政府を正すための行動を共にとっていただけるようお願いします。