〈報告〉戦時性暴力問題連絡協議会 第89回 水曜行動 in 新宿(2025.7.16) サバイバーを記憶するー中国山西省・楊喜何さん(川見公子)
日本軍が支配する村で、自宅に押し入られ日本兵にレイプされ続けた楊喜何さん!ー中国山西省の日本軍性暴力被害者・楊喜何さん(1919年-1999年)の被害と人生
私たちは中国山西省盂県に住む日本軍性暴力被害者10名の裁判を支援した団体です。本日は原告のひとり、楊喜何さんの被害と人生について話します。
楊喜何(Yang Xihe)さんは私が現地での聞き取りの場でお会いした初めての女性でした。1998年、27年前のことですが、当時の楊さんの声、姿、様子が今も目に焼き付いています。
88年前の1937年7月7日におきた盧溝橋事件をきっかけに、日本軍は中国への侵略戦争を拡大していきました。中国の都市・農村の住民は甚大な被害を受け、中国人民の抗日も闘われることになりましたが、日本軍は占領支配を維持するため、報復は残虐を極めました。
このような中で、日本軍の性暴力は、大規模に、組織的に、残忍に、女性たちに襲いかかったのです。それは、「敵」の女とみなしたものへの人間性を失った性暴力であったといえます。
地下資源の宝庫であり、戦略上の要地でもあった山西省盂県は、日本軍と抗日軍の激戦地となった地域でした。
標高1,000メートルを超える荒涼とした黄土大地に貧しい村々が点在します。1940年の百団大戦に敗れて撤退を余儀なくされた日本軍は、皇軍の威信をかけて再侵攻し、盂県西部に3つの拠点を築きました。その一つが河東村という楊喜何さんの実家がある当時の人口300人ほどの小さな村でした。
村を支配した日本軍は村人を使って、小高い山に兵舎と砲台を築きます。村の中には日本軍に協力する中国人部隊である警備隊の拠点を築きます。村を歩いて直ぐに気がつきますが、楊喜何さんの実家は警備隊砲台のすぐ近く、目と鼻の先の距離にありました。
1942年の旧暦10月に長女を出産し、その40日後に、慣習に従って楊喜何さんは実家に帰っていたところ、突然二人の日本兵がやってきて、両親に暴行を働き、彼女を強姦したのです。兵士は銃と小刀を持ち、脅し、暴行し、家族を萎縮させる。そして一人の兵士が見張り、一人が強姦したといいます。
婚家に帰っても日本兵の暴行から家族を守るために実家に行かざるを得なかったと。まさに奴隷です。被害は日本軍がこの村から撤退するまで一年近く続きました。民家に押し入って食料や物を奪い、家族に暴行して脅し女性をレイプすると言う犯罪が抗日軍と対峙する前線の日本軍支配の村では常態化していたのです。それを軍は放置しました。この責任はどこにありますか!
これはwam、アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館が作成した慰安所マップです。日本軍が侵攻・侵略したアジア各地にどれだけ多くの慰安所が設置されていたかが一目で分かります。この慰安所マップには、日本軍が管理した大都市の慰安所、前線の日本軍支配の村で民家を接収し女性を提供させて作った強姦所は入っていますが、楊喜何さんのように自宅で長期に亘り性暴力を繰り返された被害や日本軍の討伐作戦で繰り広げられた戦場強姦は含まれません。こうした、日本軍の多様な性暴力があったことを私たちは忘れてはならないと思います。
楊喜何さんは被害を夫にも打ち明けられなかったといいます。しかし、人生の晩年になって「今、何も言わないでいれば何もなかったことになる。それは事実ではない。裁判をしたい」と病魔に犯された体にもかかわらず、太原のホテルまでやってきて証言したのです。
付き添った娘の李愛芳さんは「自分の兄姉も反対している。今さら恥の上塗りをしなくても」と、当初は反対していましたが、側で母の苦しい胸の内を聞き、母の強い意思を受けて、母が悪いのではない、被害者であることを認めさせ、日本政府に謝罪して欲しいと心境が変わっていきました。
楊喜何さんはこの翌日体調を崩し病院に直行という事態になりました。無念にもその5ヶ月後(提訴2ヶ月余)の1999年1月に亡くなりました。肝臓癌でした。楊さんの証言を直接聞いた私は彼女の死を知って遺書を託されたように感じたのでした。付き添ってきた娘の李愛芳さんは、その後母の遺志を継いで裁判を承継し、東京高裁で陳述しました。
日本での裁判は敗訴しましたが、原告の女性たちは自分の代で解決しなければ、子子孫孫まで闘うとの決意を遺しました。その意思を継いで、昨年4月には山西省高級法院に、被害女性の遺族18名が日本政府に謝罪と賠償を求めて裁判を提起しています。
家父長制の下で、蹂躙された性被害を自らの恥、村の恥と蔑まれてきた女性たちの苦しみ。そこから人間としての尊厳の回復を求めて、中国の農村から孤立を恐れず立ち上がった女性たち。
その闘いは、今日も世界各地に繰り返される戦争と性暴力に立ち向かう人びとを勇気づけています。見えてこなかった戦争の罪悪の底深さを再認識し、軍隊による性暴力を繰り返してはならないと訴えていきましょう。
(山西省・明らかにする会)