〈報告〉戦時性暴力問題連絡協議会 第89回 水曜行動 in 新宿(2025.7.16) ーいま、問われていることーベルリンに建つ「平和の少女像」のその後と日本政府(梁澄子)
皆さん
平和の少女像をご存じでしょうか。2011年にソウルにある日本大使館前に最初の平和の碑、平和の少女像が建立されて以来、日本軍「慰安婦」被害者を記憶し、その意思を継いでいくためのモニュメントとして韓国国内だけでなく、アメリカやヨーロッパにも建てられています。
その中でも、ドイツのベルリンに建立された「平和の少女像」は建立以来、日本政府の圧力によってずっと撤去の危機にさらされてきており、最近も動きがあったので今日はそのお話をします。
ベルリン・ミッテ区の「平和の少女像」は2020年9月28日、ヨーロッパで初めて公共の敷地に建てられました。
日本政府は「公共の敷地」に日本軍「慰安婦」に関するモニュメントが建てられることに対し異常なまでの反応を示します。
とりわけヨーロッパ初の公共の場への建立でしたから、2020年当時、外相だった茂木敏充氏はドイツのマース外相に電話をして撤去を求め、また当時の加藤勝信官房長官が定例の記者会見で撤去を求めるなど、政府高官が他国の敷地に建てられたモニュメントに対して撤去を公に要求するということがありました。
さらに、現地では日本政府の強力なロビー活動がおこなわれ、建立からたった10日でベルリンのミッテ区が撤去命令を出すという事態にまでなりました。
ところが、このような日本政府の露骨な言動が却ってドイツ国内、そして世界各国の市民やメディアの批判を呼び起こしたのです。連日、ドイツでは平和の少女像のことが報道され、市民は少女像を守るために結集しました。世界各地からミッテ区に対して少女像を存置させるよう要望書も送られました。そこでミッテ区は撤去命令を保留にして設置が続けられることになりましたが、その後も日本政府が圧力をかけ続けています。
2022年には、当時の岸田首相が日本を訪問したドイツのショルツ首相に少女像撤去のために協力して欲しいと要請しました。ショルツ首相はそのような権限は自分にはない、区庁に権限がある、従って連邦政府が介入することはできないと返答しました。
その後、日本のロビー活動はベルリン市のミッテ区に直接的、集中的におこなわれ、ミッテ区の区議会議員たちが「こんな小さな区にまで外国(日本)大使館の職員が訪ねてきたのは初めてだ」と驚きの声をあげたほどだったといいます。
この間、ミッテ区議会では平和の少女像の永久設置決議が何度も可決されています。また、2022年に区長選があって、そこで新たに選出されたレムリンガー区長、この方が現在の区長ですが、就任直後は「私は少女像を非常に大切に考えている」と言って、就任直後の2022年には設置許可の延長も積極的におこないました。
ところが、そのレムリンガー区長が2年後の昨年、2024年にはこの平和の少女像に対して撤去命令を出したのです。このような区長の変化を見ただけでも、この間に日本政府がどれほどのロビーをおこなってきたのかを、推し量ることができるのではないでしょうか。
最初に政治家が公に撤去を求めるなどして国際的な反発を買ったため、今ではそういう露骨なやり方はしなくてなっていますが、水面下で非常に執拗に撤去のための活動をおこなっていることが伺えます。
これに対して平和の少女像の設置団体であるコリア協議会は差し止め訴訟を起こしました。この裁判の中で、ミッテ区が「日本政府との外交政策に悪影響が出る」ということを撤去の理由にあげていることも分かりました。このような区側の主張に対して連邦裁判所は「具体的な説明もなく、外交的な悪影響を理由に芸術の自由を制限してはならない」として、2025年9月28日まで少女像の設置を認める判決を出しました。
区側の強制的な撤去には理由がないとしましたが、設置を認めた期間が今年の9月28日まで。つまり、設置からちょうど5年にあたる2025年9月28日までは、少なくとも強制的に撤去してはならないという判断でしたから、4月にこの判決が出てほっとしたのもつかの間、今再び平和の少女像は危機に瀕しているのです。そしてつい先日、9月8日に、ミッテ区は一方的に少女像の移転先が決まったという発表をしました。これは設置団体であるコリア協議会にも、また移転先として発表された敷地の所有者である組合にも、事前に相談のない発表だったため、猛烈な反発と批判に遭っているのが現状です。
ではなぜ日本政府はここまで撤去にこだわるのでしょうか。
日本政府は各国に建立される平和の少女像など日本軍「慰安婦」を記憶するためのモニュメントに対してことごとく反対し、陰に陽に撤去を求めてきましたが、その際理由として上げるのが「我が国の立場と相容れない」というものです。「我が国の立場と相容れない」と言って、他国に設置されるモニュメントの撤去を求めるというのはどうにも理解がしがたいのですが、いかがでしょうか。
例えば2017年12月にフィリピンの首都マニラに日本軍「慰安婦」碑が建立された時にも、日本政府は設置直後から「日本政府の立場と相容れない」として「遺憾の意」を表明し、さまざまに圧力を加えました。そしてついに4か月後の2018年4月27日、経済援助をカードに撤去を求める日本政府の圧力に屈したフィリピン政府によって、この碑は無残に撤去されました。
フィリピンの人々が自国の犠牲者を悼む碑を自国内に建てることに対して「日本政府の立場と相容れない」と主張すること自体が全く理屈に合わないことです。
一方で日本政府は、日本兵戦没者の慰霊碑をフィリピン国内に建てているんです。フィリピンのラグナ州カリラヤに日本政府が設置した「比島戦没者の碑」は日本の有名建築家が設計したもので、たいへん立派な碑です。さらに、フィリピン各地に日本人が建てた日本兵戦没者の慰霊碑は400基を超えています。「フィリピン戦没者慰霊碑保存協会」という団体のHPには次のように書かれています。「日本人生還者や戦没者のご遺族の方々が、フィリピンに日本人戦没者の慰霊碑を建立しようとしたとき、フィリピンの人々は自らも戦争において約120万人もの犠牲者が出ているにもかかわらず、慰霊碑建立に快く協力」してくれた。かつて侵略した国に、日本兵の慰霊碑を、現地の人々の好意と協力を得て建立する一方で、フィリピンの人々がフィリピンの地に、日本軍による性暴力被害女性の碑を建てることに対しては露骨に妨害する。しかも、その論拠が「日本政府の立場と相容れない」というのですから、私たちは日本の市民として、フィリピンの人々に申し訳なくて顔を上げることすらできない。このような非常識で厚顔無恥な態度は、世界のそしりを免れないと思います。
ベルリンに建立された平和の少女像は、現地では「アリ」という愛称で市民に愛されてきました。アリは「勇気ある女性」を意味するアルメニア語で、アルメニア虐殺のサバイバーで勇気を奮って声をあげた女性を、尊敬を込めてアリと呼ぶのだそうです。平和の少女像「アリ」は、戦時性暴力の被害を乗り越えて平和を訴えた女性たちの勇気の象徴として、ドイツで支持と理解の輪を広げてきました。
ライプツィヒ大学で教鞭をとるドロテア・ムラデノヴァさんは、「建てられる場所ごとに新しい意味合いが追加されることが平和の少女像が持つ魅力だ」と語っています。
つまり、ベルリンに建立された平和の少女像には、その土地でさらなる意味が付け加えられたと言っているのです。具体的には、まず第一に、ベルリンの少女像はナチスドイツにも日本軍の慰安所に類似した施設があったということ、ドイツ国防軍の性暴力をドイツ市民に広く知らせる役割をしたといいます。これはどういうことかというと、平和の少女像を設置したコリア協議会が、少女像を訪れる人々にそのような教育をしたということなんです。日本政府や日本のメディアはコリア協議会が日本への憎しみを煽るために平和の少女像を建立したかのように言っていますが、実際には戦時性暴力のない平和な社会づくりがコリア協議会の目的なので、平和の少女像を訪れる人々にナチス・ドイツにも同じようなものがあった、このようなことが二度と起きないようにしなければならないと、戦時性暴力を防ぐための広報・教育活動を、コリア協議会はおこなっているということなのです。
もう一つ、この像が建てられたミッテ区は移民背景の人が住民の半数以上を占める場所です。東洋人の顔をした少女像は、移民の多いベルリン・ミッテ区で人種差別に反対する象徴としても機能してきたのです。日本軍「慰安婦」という実体を伴う被害者たちが、戦時性暴力に反対して、平和を訴えたことを象徴する碑だからこそ、具体的にドイツの歴史を想起させ、今もドイツ現地、ベルリンのミッテ区で移民として苦しむ人々に勇気を与えることができたのです。平和の少女像は建立された場所の歴史とあいまって、さらなる意味が加えられ変化し、その土地の人々に受け入れられているという事実があるのです。
このような碑に対して、駐ドイツ日本大使館は「日本を永続的に非難する象徴のようなもの」と、撤去要請の理由を述べています。「日本を永続的に非難する象徴」、これが日本政府の認識なのです。
何という倒錯した「被害意識」なのでしょうか。
日本が永続的に非難されるのだとしたら、それは日本国がかつての加害行為について事実を認めて心から謝罪し、同じことが繰り返されないように教育し記憶すべきところ、それをせずに、加害事実をなかったことにしよう、二度と日本軍「慰安婦」について国際社会で語られることがないようにしようとするからではないでしょうか。
改めて日本政府の言う「我が国の立場」とは何なのかを考えたいと思います。
今年は日韓合意から10年になる年です。日韓合意では、「お詫びと反省の意」を口にする一方で「日本大使館前の少女像問題の解決」、つまり少女像の撤去と、国際社会でこれ以上「非難・批判」をしない、という項目が盛り込まれました。
「お詫びと反省」が「我が国の立場」なのか、二度と日本軍「慰安婦」問題を口にするな、これを記憶するための平和の少女像も撤去せよ、というのが「我が国の立場」なのか。
その後10年間に日本政府がとってきた言動を見れば、後者であることは一目瞭然だと思います。つまり、日韓合意というのは、被害者側を黙らせるために最後に一回だけ「お詫びと反省」という文言を言っておくね、というものだったのです。これでは相手に伝わるはずがありません。謝罪というものは、相手に伝わる形でしなければ何の意味もありません。
ここまでお話してきたように、平和の少女像をはじめとする日本軍「慰安婦」に関するモニュメントは、日本に対する憎しみを植え付けるためのものではありません。自分たちのことを記憶することによって二度と同じことが起きない平和な社会を作ってほしいと言い残してこの世を去った被害者たちの思いを伝え、平和を構築するために建立しているものなのです。
日本にもアンネ・フランクの像があります。日本にアンネ・フランクの像があってよくて、ドイツに少女像があってはならない理由は何なのでしょうか。いずれも、再発防止と平和を祈願して建てられた像です。このようなものに反対し、妨害し続けるならば、日本は平和を希求する世界の人々の思いを踏みにじり抑圧する国家として歴史に名を遺すことになるでしょう。このようなことがこれ以上、続かないように、日本の市民が力を合わせなければならないということを訴えて終わりたいと思います。
(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 共同代表)