女性国際戦犯法廷から25


  新宿駅南口をご通行中のみなさん。いまから25年前の2000年12月、東京で開かれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷が開かれました。その実行委員としてかかわった立場から、女性国際戦犯法廷について語りたいと思います。



いま日本軍性奴隷制と述べましたが、日本軍「慰安婦」制度のことを指します。性奴隷制と言うと「こわそうな」イメージがありますが、被害者の立場から見ると、「慰安婦」とはまさに性的奴隷としかいいようがありませんでした。なぜなら、日本軍がつくった慰安所に連れて行かれ、日本軍将兵のための性の相手をさせられ、居住の自由や拒否する自由、移動の自由などの基本的な人権を奪われたからです。国際的に、日本軍性奴隷制という言い方は定着しています。この用語が定着していないのは、日本ぐらいです。

 


日本軍「慰安婦」制度という名の性奴隷制の被害者たち、あるいは戦時性暴力の被害者たち――私たちは彼女たちをサバイバーとも呼びますが、戦後半世紀1990年代になって、韓国の金学順さんたちをはじめとしてアジア各国のサバイバーたちが自ら被害者だと次々と声をあげました。


声をあげることができた背景には、「慰安婦」問題の解決を求め、サバイバーたちを支援する各国の女性運動がありました。そして、名乗り出した被害者たちは、日本政府に事実を認定してほしい、謝罪と補償してほしいと求めました。それだけでなく、日本軍性奴隷制の加害責任者を裁いて「正義を取り戻してほしい」という声をあげるようになりました。なぜでしょうか。

 

日本政府が「慰安婦」制度に対し法的責任をみとめず、謝罪とその証である国家賠償をすることもありませんでした。それどころか、日本の右翼や歴史修正主義者たちは、「金目当ての売春婦」「当時は公娼制度があった」「強制連行の証拠はない」「軍隊に慰安所は必要」「慰安婦に謝罪や補償も必要ない」などという、被害女性を平気で傷つけるヘイトスピーチをほしいままにしてきました。

 

サバイバーたちが苦難を乗り越えて自らの性被害体験を証言したのに、加害国である日本政府からの謝罪も補償をうけることができず、バッシングさえ受けてきました。あまりにつらい人生の終わりをむかえようとしている時に、「慰安婦」制度が戦争犯罪であることをはっきりさせて、その責任者を処罰してほしい」と願うのは当たり前のことです。姜徳景さんという韓国の被害女性は1997年、「責任者を処罰せよ」という絵画を残して亡くなりました。



姜徳景(カン・ドッキョン)さん





「責任者を処罰せよ」姜徳景




ご通行中のみなさん。

想像するのもつらいのですが、皆さん、あるいは、身内や知り合いが職場などでセクシャルハラスメントや性暴力に遭ったとしたら、どうでしょうか。

もちろん、たとえ性暴力の被害に遭ったとしても、悪いのは被害者ではありません。知り合いから被害をうけても、被害者がどんな服装をしても、被害者に非はありません。悪いのは100%加害者です。

そのため、被害者が、悪いのは加害者であることをはっきりさせ、加害者を罰してほしいと刑事処罰を求める気持ちになるのは、当たり前のことです。現在の性暴力の被害者と同じように、「慰安婦」制度の被害者も、「私をひどい目にあわせたのは日本軍なので、日本軍「慰安婦」制度が戦争犯罪であることをはっきりさせて、その責任者を処罰してほしい」と訴えました。

 


ここに松井やよりという一人の日本人女性が現れました。松井さんは、女性の人権のために闘ってきたフェミニスト活動家であり、ジャーナリストでした。



松井やよりさん 写真:wam  「松井やより 全仕事」より


その松井さんは、被害者たちの責任者を処罰してほしいという切実な願いに、加害国の女性としてどう応答できるかを考えぬき、ある日ひらめいたのが、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」でした。

それは、これまでのような国際公聴会でなく、責任者処罰、つまり裁きの場として「被害女性をはじめ女性を主役とする国際法廷」を加害国女性の責任として被害国に提唱するというものでした。

松井さんと私たちは、VAWW-NETジャパンという女性グループを結成することになり、加害国の女性の立場から、女性国際戦犯法廷の開催を提案したところ、被害各国や国際的女性ネットワークは熱烈に賛同し、準備をはじめました。

 

女性国際戦犯法廷のロゴマーク





そして、25年前の2000年12月、東京で女性国際戦犯法廷が開かれました。女性法廷には、被害国8カ国(韓国、フィリピン、台湾、中国、インドネシア、朝鮮民主主義人民共和国、東チモール、オランダ)からサバイバー64人が参加しました。史上最大規模の被害女性、サバイバーが東京に集まったのです。

 


法廷には、2つの目的がありました。

1つ目は、「慰安婦」制度がどのような意味で戦争犯罪だったのか、慰安所作りを命令したのは誰か、誰に最終責任があるのか、それらの責任者を特定することです。

なぜなら日本軍「慰安婦」制度は、戦争犯罪であるとともに、一般の戦争犯罪とは異なって日本軍による組織的な性暴力であるという、女性に対する戦争犯罪であることです。そのため、自分を「慰安婦」にさせてひどい目にあわせた責任者を特定してその事実を明らかにしてこそ、悪いのは加害者であり、被害者に非はないことがはっきりします。そうしてこそ被害者の正義と尊厳の回復がなされるからです。法廷では、こうした女性に対する戦争犯罪を、当時の国際法で裁きました。

 


2つ目は、日本軍性奴隷制の責任者を裁くことによって、現在の武力紛争下の性暴力の不処罰の連鎖を断ちきることです。

「慰安婦」制度の責任者が処罰されなかったからこそ、現在も戦時性暴力、そして日常の性暴力が裁かれないという不処罰が続いていると考えました。性暴力の再発防止のために、日本軍「慰安婦」制度を裁く必要がありました。

 


この二つの目的を一言でいうと、日本軍という抽象的な組織ではなく、「慰安婦」にされた私をここまで苦しめた責任者の名前と顔を明らかにして、国際法に照らしてその責任を問うことです。

 

こうして、2000年128日から10日、12日の4日間開催された女性国際戦犯法廷には、8カ国(韓国、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、オランダ、インドネシア、東ティモール)から参加した被害女性64名をはじめ、各国検事団、海外からの傍聴者400名、日本国内傍聴者約600名、日本・海外のマスコミ約300名が参加しました。


実際の法廷では、2人の主席検事が冒頭陳述した後、各国の検事団はそれぞれの起訴状を提示し、サバイバーたちが証言台に立って名前と顔を出して証言を行いました。各国の被害女性たちは、どのような性被害にあったのか、被害に遭ったことがその後の人生をどのように壊したのかを訴えました。



朝鮮半島から中国の武漢に連行されて日本敗戦後も故国に帰ることができなかった河尚淑さんは、「1日に20人、30人兵隊をとらされた」「私は死ぬ時は故郷に行って死にたい。私を故郷に送ってほしい。それから賠償して、悪かったというべきでしょう」と語りました。


東ティモールで被害にあったマルタさんは、「日本を見物に来たのではない、真実を語るために来ました。わたしは真実を語っています。」と語りました。このように女性国際戦犯法廷の主役はサバイバーたちでした。


また、金子さん・鈴木さんという2人の元日本兵が証言台に立ち、名前と顔を出して自分たちが中国の村々での強かんしたことや慰安所で体験したことを告白しました。2人の元日本兵が赤裸々に、正直に、自分たちの行った加害体験を告白し終わると、傍聴席にいた被害女性たちからの拍手が鳴り止みませんでした。


それまで歴史修正主義者たちによって、「慰安婦は嘘つきだ」などと誹謗されてきました。しかし金子・鈴木さんの証言は、自分たちは嘘ではなく事実を語っていることを、加害者の立場から証明してくれたからであり、加害を証言した勇気に対する拍手だったと思います。



最終日に下された「判決の概要」では、日本軍性奴隷制は「人道に対する罪」であるとして昭和天皇に「有罪」、日本政府には「国家責任あり」と言い渡されました。天皇有罪の判決が下された時には、会場から大きな拍手と歓声が沸き上がりました。フィリピン人被害者のサリノグさんは「10年間苦闘して求め続けた正義を、この女性国際戦犯法廷が与えてくれました」と喜びを表しました。



いま25年前の女性国際戦犯法廷について、語ることはどんな意味があるでしょうか。サバイバーが名乗り出たのは1990年代ですが、それから35年以上もの長い間、問題を解決してほしいと訴えてきたにもかかわらず、現在に至っても日本政府はサバイバーに対して法的責任、つまり謝罪とその証である国家賠償をしていません。中学歴史教科書にいった記述された「慰安婦」記述は消えたままです。女性国際戦犯法廷の判決で下された日本政府の法的責任は果たされていないのです。

 


日本では、性暴力の被害女性が裁判に訴えても、裁判で負けることが少なくありません。最近でも、女性に集団で性暴行を加えたとして強制性交罪に問われた2人の医科大生が、高裁で逆転無罪になり、女性側が負けるという事件がありました。

地裁では「何度も拒絶した」という被害女性の証言の信頼性を認められ有罪判決だったのに、高裁では女性の証言の信頼性を認めず「同意があった疑いが払えない」などとされ加害者側が逆転無罪になり、被害者側が負けたのです(最高裁に上告中)。

日本政府が日本軍「慰安婦」制度を自らきちんと裁かなかったツケ、被害者に謝罪と補償をしなかったツケが、現在にいたる性暴力に甘く寛大な日本社会をつくっているのではないでしょうか。

 


ご通行中の皆さん。

最後に訴えます。

日本政府を動かすことができる主権者の皆さんに、いまだ解決していない日本軍「慰安婦」問題に関心をもっていただき、解決するよう日本政府に声をあげていただきたいです。

ありがとうございました。