2020 年 5 月 20 日 

私たちは 1990 年韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)設立を準備して以後代表、あるいは実 

行委員としてその活動に力を傾けた者たちです。すでに高齢になってしまわれた被害者た 

ちを一人ひとり探しながら、胸が張り裂けそうに辛かったものです。50 年余りも息を殺し 

て生きてこられたハルモニたちに出会ったことは、私たちの社会が目を背けてきた歴史に 

向き合うことでもありました。ハルモニと私たち活動家、研究者は一つの塊になって泣い 

て笑って、そんな風に韓国の歴史を新たに書き加えてきました。 

文献を探してハルモニたちの証言を収録する歴史発掘作業は開始から国際的な活動になり 

ました。韓国と日本を越えて、中国と台湾、フィリピン、オランダまで途方もない数の被 

害者が存在するという事実と、ハルモニたちの被害と 50 余年間の沈黙には全世界の葛藤と 

冷戦が作用していたという事実を知ることになりました。被害者はこの巨大なメカニズム 

の犠牲者です。そして、被害者だけでなく女性の人権と平和が脅威を受ける世界のすべて 

の市民が犠牲者であることを自覚することにもなりました。被害者の大部分が亡くなられ 

た今なおこの運動が続いている理由です。今日の挺対協運動はこのように長い時間、様々 

な地域で被害者と活動家、研究者が共に積み重ねてきたものです。 

最近、尹美香正義記憶連帯前理事長を取り巻く報道が私たちを慌てさせ、沈鬱にします。 

彼女は挺対協設立時に幹事としてスタート、事務総長、代表職までひたすら挺対協運動に 

生涯を捧げた人です。私たちはもう活動の一線から退きましたが、後輩たちの研究と運動 

について関心を持たなかったことはありません。もし問題があるとしたら、どうして尹美 

香個人に限定されるでしょうか。私たち初期の活動家や研究者すべてに責任があるのであ 

って、それは挺対協 30 年の歴史と、挺対協と連帯したアジアおよび世界の女性の人権と平 

和運動の問題であるといえるでしょう。メディアが連日提起している問題のうち次のいく 

つかのことに関して私たちの考えを申し上げます。 

最初に、ハルモニたちは単に受け身としての被害者にとどまらない活発な人権運動家にな 

りました。挺対協運動が全世界の女性人権運動モデルになっている理由がまさにここにあ 

ります。挺対協の財政が被害者の生活支援に全部使われなかったという批判はハルモニた 

ちをむしろ切なくするでしょう。初めから被害者と活動家は共に運動してきました。水曜 

デモはハルモニと活動家が市民らと出会う場としてありました。今ともにアフリカ、アジ 

アの紛争地域の女性被害者のために仕事をしていて、被害者の痛みを記録して展示するこ 

とも一緒にしています。 私たちはこのすべての仕事が被害者のためのものであると考えて 

きました。 私たちの歴史が正しく立て直されないなら、世界に戦争と女性の人権侵害が絶 

えないならば、被害者が深い沈黙のトンネルを突き破り、私たちの前に姿を現わした意味 

はどこにあるというのでしょう。 

二番目、すでに活動家になった被害者とともに築いてきた挺対協で、2015 年 12 月 28 日韓 

日外交長官合意の情報を活動家が独占したというのは有り得ないことです。和解癒し財団 

の被害者支援金を挺対協が受け取れないようにしたということも事実ではありません。私 

たちは日本政府が 1994 年8 月に発表した国民基金を挺対協が受けとれないようにしたとい 

う批判を受けたことがあります。法的賠償の回避のために作られた国民基金をとりまいて 

韓国と日本、台湾、フィリピンの活動家、被害者の間に非常に深刻な論争がありました。 ど 

のように対応するべきか真摯に悩みました。しかし、被害者に受けとるなと勧めたという 

のは一抹の真実もない歪曲です。2015 年 12・28 合意問題でもこのような歪曲が繰り返さ 

れています。この合意によって韓国政府は国連など国際社会で「慰安婦」関連発言を中断 

したし、撤去の危険に直面した平和の少女像を守ろうと幼い学生たちが寒い冬に道路で夜 

を明かしました。 審査を終えた研究費が政府の措置で撤回されて、「慰安婦」記録物ユネ 

スコ登載事業が中断されるということも起こりました。その時の不正義な状況と挫折感を 

私たちは忘れることができません。その渦中にあって、ハルモニたちに支援金を受けとる 

なという原則に背くようなことを挺対協がするでしょうか。むしろ日本政府が支援金の受 

け取りをめぐって被害者間に緊張と反目を起こさせ、二次加害を犯したのです。その重い 

責任を挺対協に回すようなことをなぜ私たちの社会はするのでしょうか。 

三番目、あまりにも辛くて見ていることさえできない会計問題です。私たちは金学順ハル 

モニの初めての申告を教会女性連合会事務室で受けました。その後挺対協実行委員の家族 

の事務室で申告を受けて活動をしました。その後も阿峴洞(アヒョンドン)、獎忠洞(チャ 

ンチュンドン)、西大門(ソデムン)、鍾路(チョンノ)5 街などの地に引越しをしました。 

財政が窮乏していたからです。冷暖房や風通しが思うようにできない事務室で総務と幹事 

二人が夜遅くまで仕事をしました。最近になってようやくましになってきたものの、決し 

て財政を放漫に運営することはできませんでした。ひとつの団体が日本政府と韓国政府、 

国際社会と、みんなを相手に活動し、被害者支援と水曜デモなどすべてのことをやりとげ 

ねばならない現在も常勤活動家は8人だけです。不足した人員で会計整理に隙間が生じる 

ことがあったかも知れません。しかし、挺対協の長い活動の間、会計不正という状況に接 

したことはただの一度もなく、正義連でも会計不正は絶対に有り得ないことだと私たちは 

確信します。多くの市民の支持と応援の中で受け継いできた団体であり活動であるため、 

正義連は外部会計機関から透明な検証を受けることに決めました。その手続きは速かに進 

行されるため、ぜひ、少しだけお待ちくださるようお願いします。 

どうか被害者の人権と 30 年の挺対協活動を考えてください。いまや世界で女性の人権と平 

和についてリーダーシップを持ち始めた韓国の国際的地位も考慮してください。誤った点 

があるならば正さなければならないでしょう。しかし、根拠のない批判と罵倒は何の助け 

にもなりません。挺対協設立から心を尽くして研究と活動をしてきた私たちが意思をあつ 

めて切にお願い申し上げます。 

2020 年 5 月 20 日 

挺対協を作った人々 

ユン・ジョンオク、イ・ヒョジェ、キム・ヘウォン、キム・ユンオク、チ・ウニ、アン・ 

サンニム、ユ・チュンジャ、シン・ヘス、チョン・スクチャ、ハン・グギョン、チョン・ 

ジンソン、クォン・ヒスン 


(日本語訳:方清子)


韓国語:http://www.restoringhonor1000.info/2020/05/blog-post_29.html