2004年12月、東京、京都、大阪、広島、福岡、沖縄など、全国10カ所で「12・4全国同時証言集会」が開催されました。「ナヌムの家」を訪問したり、韓国平和キャンプに参加した青年・学生らを中心に夏頃から各地で実行委員会が立ち上がりました。この時期、国民基金による運動の行き詰まり、歴史否定の激しいバックラッシュの中で解決の糸口がつかめないまま、「慰安婦」問題は急速に「過去の問題」になりつつありました。そんな中、若者たちが行動を起こしたのです。

 同時開催のため、韓国を中心に台湾やフィリピンから被害者が一斉に来日、各地で証言をして下さいました。大阪実行委員会立ち上げに際して私も若者に交じってともに学習し、議論を重ねながら集会準備をしました。大阪の証言集会に来てくださったのは吉元玉ハルモニでした。封印していた過去の記憶を若者たちを前にさらけだし、あふれる涙で語ってくれた時の衝撃。終了後の交流会ではサプライズでお誕生日を迎えたハルモニをケーキやプレゼントでお祝いしました。ハルモニがプレゼントの毛糸の帽子と手袋をつけて飛び切りの笑顔を見せてくださったことは今も大切な思い出です。

 翌2005年も全国9カ所で同時証言集会が開催されましたが、この時、大阪の実行委メンバーらは悩みました。高齢の被害者の証言に頼らないで、自分たちでできることはないだろうか・・・。そして、大阪集会は「同時証言集会」ではなく、「同時企画in大阪」として開催することになりました。講演会に寸劇、ライブや展示など様々な企画とともに、今後の継続的な取り組みの一つとして大阪駅前での毎月一回の水曜集会開催を決めました。これが関西の水曜集会のスタートになりました。残念ながら全国同時証言集会は年を追うごとに開催地が減少し、大阪でもメンバーが入れ替わるなどして2007年を最後に実行委員会は解散してしまいますが、大阪駅前水曜集会はその後も細々と続けられました。

 2009年6月、意見書可決運動の中で関西ネットが立ち上がると、メンバーは水曜集会にも積極的に参加するようになりました。しかし、その年の11月頃より在特会が頻繁に妨害にやってくるようになり、被害者を侮辱するヘイトスピーチが激しくなりました。遂には大挙してやってきて歩道橋を占拠、警察は私たちの側を規制し、歩道橋に登ることさえできなくなりました。この状況に怒りを持って集まってくれた多くの仲間とともに私たちは歩道橋上にて在特会及び警察権力を相手に一歩も引かず、すさまじいエネルギーで歩道橋を奪還しました。あの2010年4月の水曜集会を境にして開催場所を変更、大阪市内のターミナルを転々としながら継続、2014年より現在のヨドバシカメラ前で開催しています。この間に水曜集会は阪神地区や神戸、姫路などに拡がりました。

 道行く人々の関心は社会の空気と同様、決して高くはありませんが、歌ったり踊ったり、アピールを通して関心を引きつけるとともに、仲間も増え広がっています。昨年1月、100回目を迎えた時は在日の若者がサムルノリをしてくれたり、2月と7月には韓国から大学生グループ、平和ナビや希望ナビのメンバーを迎えて「カードセッション」やダンスで盛り上がりました。参加人数は昨年の100回記念や、今年1月の日韓「合意」抗議世界同時行動には100名を超える人々が集まりましたが、普段は50~70名が参加しています。高校生から高齢者まで、みんながともに集い、被害者に心を寄せ、加害の歴史に向き合うこの時間をこれからも大切にするとともに、性暴力のない平和な社会をめざしていきます。

方清子(日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク)