大野さんの報告を代読する山田さん



インドネシアのスラウェシ島(旧セレベス島)の被害者チンダ・レンゲさんは、西海岸のパレパレという港町に暮らしていました。


13歳の頃、日本兵から誘われて、母親と一緒に綿繰(わたくり)工場で仕事をさせられていました。母子で仕事に通うなかで母親が病気になって働けなくなり、その後チンダさんだけが再び工場に呼び出され、工場の敷地内にある別の建物で日本軍将校からレイプを受けました。そのまま家に帰してもらえず、日本兵によって性奴隷として「慰安所」での生活を強いられることになりました。



ようやく解放され、自宅に戻りますが、すでに母も父も亡くなり、住む家もなく、周囲からは「日本兵と性交をした汚れた女」「シリ(恥)」と蔑まれました。まだ14歳でした。



頼る身内もなく、住み込みでお手伝いさんをしたりしていましたが、15歳の時に市場で出会った中国人の女性の家でお手伝いさんしているとき、その人が、お手伝いしているだけではつまらない、独り立ちできるようにと、お菓子の作り方を教えてくれました。チンダさんはお菓子を作っては早朝から市場で売るなど、行商してまわりました。その人が亡くなり、現在の住まいに移ったのが今から25年ほど前でした。



借家に住んで、市場でお菓子を売る生活をされていましたが、2016年11月インドネシア兵補協会のダルマゥイさんと、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の主催で行われた『アジアの「慰安婦」被害者たちは訴える!』で来日され、大阪と東京で証言されました。


2019年には全国行動のメンバーと次世代メンバーとでスラウェシ島訪問しましたが、チンダさんは、大家さんのアニさん、その子どもたちと家族のように暮らしていました。そのとき「足が痛くてお菓子売りに行けないからつらい」と言っておられました。チンダさんの生活があまりに苦しいこともあり、現地支援団体のヌールさんとも相談して2021年から全国行動でカンパを募り、生活支援金を毎月送る活動を始めました。

その後は、チンダさんから伝統菓子の作り方を教わった大家のアニさんがお菓子を売って生活を続けておられました。



しかし、この1年ぐらいは、持病の痛風のほか、胆のうの摘出手術をされ、腎不全という診断を受け、入退院を繰り返されていると、毎月届く現地支援団体のヌールさんからの知らせを聞き、とても心配していましたが、悲しいことに2026年8月1日に亡くなられました。


チンダさんに会える時間が少ないことを感じ、9月にはスラウェシ訪問を予定していましたが、間に合わず本当に申し訳なく悲しい気持ちです。


みなさんからいただいた支援金は、埋葬とお葬式の費用としてお渡しする予定です。また、お墓は1年後に建てるということなので、その費用にもさせていただくことにしています。


さいごに、インドネシアをはじめ東アジアに多くの被害者がいたことを知ってもらい、記憶してほしいと支援グッズの販売を始めました。


作成した缶バッチのひとつは、チンダさんの得意なお菓子「オンデオンデ」を「オンデオンデちゃん」というキャラクターにして作成しました。グッズ販売を通じて、日本軍が3年半にわたってインドネシアの島々を占領し、インドネシアとオランダ系の女性たち、植民地などから連れてこられた多くの女性たちが性奴隷としてすさまじい性暴力被害にあったこと、そしてチンダさんのことを忘れず、語り継ぎ、性暴力のない社会をめざして活動を続けます。


日本軍からの性被害によって、家族や家を失い、人間関係を絶たれながらも、14歳からたった一人で、仕事に自信をもって生きてこられたチンダさんを尊敬しています。おちゃめな笑顔を忘れることはないでしょう。

(大野京子2026.9.2記、代読 山田久仁子)  




★この報告後の9月、大野さんたちはインドネシア・スラウェシ島を訪問。チンダさんの眠っているところにいってきました。みなさまから支援していただいたお金は、最後までチンダさんの面倒をみてくださった大家さんのアニさんにチンダさんのお葬式・埋葬代、またヌールさんに1年後につくられるチンダさんのお墓代としてお渡ししました。