女性新聞 イ・カラム記者 2020.11.18 


【インタビュー】ハン・ジョンファコリア協議会代表 


ベルリン・ミッテ区庁の少女像撤去命令を不服として

市民社会とともに少女像を守るハン・ジョンファ代表。



ハン・ジョンファ コリア協議会代表がベルリン・ミッテ区に設置された「平和の少女像」の前でポーズをとっている。 Ⓒコリア協議会



ベルリン市民は少女像を守ることができるだろうか。 

ドイツ・ベルリンに設置された「平和の少女像」(以下少女像)が日本政府の妨害で撤去の危機に置かれたが、コリア協議会と市民の努力でその危機をまずは免れた。 ミッテ区議会で今月5日、少女像をそのまま維持するという決議案を採択した。 

少女像の建立を主導したハン・ジョンファコリア協議会代表(写真)は女性新聞とのEメールインタビューを通じて「ベルリン市民たちと人権団体、そしてマスコミの関心がこれほど高いとは予想できなかった」とし「少女像の永久的な設置のためにミッテ区庁と一緒に一つ一つ協議していく」と抱負を明らかにした。

 


ハン代表がベルリン市内の中心に少女像を設置したいと考えたのは2016年。 だが、なかなかその気になれなかった。私有地ではない公有地に像を建立するためには多くの準備が必要だったからだ。そのように4年間構想ばかり練っていたが、2019年9月に少女像を建てる機会が訪れた。



コリア協議会が戦時下の女性への暴力を扱う博物館をつくることになったのだが、当時のミッテ区庁の文化担当官がそこを訪れたのだ。 ハン代表は、少女像を設置するためにはどのような手続きを踏まなければならないか尋ねた。



『ちょうど担当公務員が女性の方で、いろいろアドバイスをしてくれました。 それで私たちと一緒に日本軍「慰安婦」運動をともに行ってきた在独2世のアレクサンドラ・バウアーとともに大変注意深く申請書を準備しました。 そしてフェミニスト美術評論家と女性美術協会理事、歴史学博士、学校教師の推薦状も一緒に提出しました。 



ハン代表は、公有地に少女像を建てては、日本政府の反対で撤去されるケースを何度も見てきた。 それで秘密裏にプロジェクトを進めた。 募金運動を公にできなかったため、韓国正義記憶連帯(以下、正義連)の助けを借りて少女像を制作し、ベルリンに持ち込むことができた。



「日本政府側は少女像をドイツの首都のど真ん中に建てられるのを何とか食い止めようとしたはずです。 そこで9月28日(現地時間)、除幕式前日の日曜日に"少女像除幕"を宣言しました」


ハン・ジョンファコリア協議会代表が9月28日の除幕式を前にベルリン市民に平和の少女像建立の趣旨について説明している。 Ⓒコリア協議会




ミッテ区の少女像撤去命令で政界と市民社会

ベルリン市民にまで少女像への関心が高まる 


予想通りだった。日本政府は直ちに反応した。 これまで水面下で作業を行ってきたのとは異なり、今回は記者会見で真っ向から勝負をかけてきた。 



「少女像が設置された翌日、加藤勝信官房長官が遺憾を表明し、10月1日、茂木俊光外相が記者会見を通じてベルリン少女像の撤去を正式に要求したと語ったんです。そのニュースを聞くやいなや、ドイツの有力紙taz新聞社の記者に連絡したところ、ドイツは地方自治権が強いため、連邦長官が介入できないということで、おそらく日本がドイツの政治体制をよく知らないようだと言うんですよ」



記者の言葉に安心していたハン代表は驚くべき光景を目撃した。 10月7日、ベルリン・ミッテ区庁が少女像撤去命令を下したのだ。 ハン代表は当時の状況について、「ひやりとした」と表現した。 当惑したが、落ち着いて対応しなければならなかった。 少女像の建設に協力した多くの人々、少女像に関心を持ち始めたベルリン市民のためにもあきらめることはできなかった。 



「状況が緊迫していました。 法律家に私たちが提出した申請書と設置許可の公文書を送ったところ、受付内容に何の問題もなく、甚だしくは私たちは申請当時日本の妨害があった他の都市の事例まで詳細に記載しているため、勝つ確率が高いと言っていました。 それで仮処分申請書を行政裁判所に提出しました」



裁判所の判断だけを待つわけにはいかなかった。 市民社会を動かす集会を企画した。 ハン代表は協議会の関係者らと共に少女像からミッテ区庁まで行進するパフォーマンスと小さな音楽会などを開き、「少女像撤去撤回要求」共同行動を進めた。



「シュテファーン・フォン・ダッセルミッテ区長は、緑の党所属で日本軍'慰安婦'問題と脱植民地運動に明るい人です。話が通じると思いました。それで団体がデモをする日、区庁側に電話をかけて私たちの請願書を区長に渡したいと言ったらデモ隊が到着する前から待っていたというんです。 到着してすぐには請願書を伝達しませんでした。 わざわざ私たちの集会をすべて見せるようにしてから最後に伝達したんです」



社民党などの圧迫と市民団体の粘り強い要求、市民の抗議集会で 

「撤去判断保留」決定したベルリン・ミッテ区庁  


ハン代表が粘り強く活動できたのには、ベルリン市民社会と政党も一役買った。 ベルリンの中心政党である社会民主党(社民党)は、ミッテ区の少女像撤去命令が下されるや、党ホームページにこれに反対する報道資料を掲載した。 左派党は、コリア協議会を直接訪れ、一部始終の話を聞いた後、直ちに撤去反対の立場を明らかにした。 



「現在、ベルリン市は進歩的な三党連立を組んでいます。 ドイツ語ではロート-ロート-グリューン(英語ではレッド-レッド-グリーン)で社民党、左派党、そして緑の党で構成されています。 これら3党がすべて撤去命令に対する反対の立場を示したのには大きな意味があります」



戦時下の女性への性暴力問題や表現の自由に関心の高いメディアも一役買った。ハン代表によると、ほとんどすべてのベルリン日刊紙で5-6回連続報道され、一部メディアは協議会にインタビューを要請してきたという。ハン代表はこれを「少女像に対する愛着がそれだけ大きいという証拠」と述べた。


ベルリンの少女像を守るため、10月31日(現地時間)にミッテ区の平和の少女像の前に集まったコリア協議会会員とベルリン市民ら Ⓒコリア協議会



少女像を守る運動、平和・人権を重要視する 

ベルリン市民はもちろん、市民社会団体まで合流


今回の結果は、30年の歴史を持つコリア協議会のメンバーや活動家、ボランティアの成果でもある。 故ユン・イサン作曲家とソン・ドゥユル教授をはじめ、韓国人1世と教授、学者、牧師、記者など多様な職群のドイツ人、そして韓国人2世と留学生、韓国学科の学生、日本系、ベトナム系、中国系、コンゴ系など多様な移住背景を持つ2世会員も生まれている。 ハン代表は会員の多様性をもとに運動の「連帯」を企画し、組織することに集中している。



「過去10年間、多くの女性・人権団体、教会、労働組合、地域連合と連帯しています。 昨年の4·27南北首脳会談1周年を記念してベルリンで人間の鎖を結ぶ行事を行いましたが、500人が集まりました。 その時、私たちが望めば、1000人でも集めることができるという自信ができました。 それほど平和と人権を重要視する市民が多くいるということです。」



今回の少女像撤去問題を扱う上で、連帯する団体ができた。 ドイツ語で「極右に反対するお婆さんたち」という名前の団体では少女像の前で毎週金曜日集会を行っている。

 ドイツ語で勇気を意味する女性団体「キュレイジ」は、11月25日の世界戦時女性性暴力追放の日集会を主管する予定です。 少女像存続のための活動はコリア協議会が始めたが、今はベルリン市民と共にする運動になったのだ。


ベルリン市民が11月13日(現地時間)、ミッテ区に設置された「平和の少女像」の碑文を精読している。 Ⓒコリア協議会


寄付を惜しまないベルリン市民と 

毎週少女像に花を送る市民もいる。 


市民団体だけでなく、ベルリン市民も少女像を守ろうと活動している。 

「少女像の隣にある花屋の主人は『少女像の花冠は自分が必ず作ってあげる』と約束し、友だちから寄付金を集めてくれたりもします。それだけではありません。 ある匿名の男性は毎週新鮮な花を少女像にプレゼントしてほしいと、毎月20ユーロを花屋に寄付していると言います。 少女像は人の心を捉える力があります。 存在だけでも私たち皆に愛を伝えてくれます。 少女像を守ることは平和を守ることだと考えて活動しています」。



ハン代表は、「ベルリンのど真ん中に少女像を設置できたのには、韓国市民社会が作った正義連の助けも大きかった」と声を高めた。 



「韓国市民らが日本軍'慰安婦'問題に関心を持ちながら正義連が成長できたし、そこで集めた重要な資料が英文に翻訳され、私たちのような海外にいる団体が支援を受けました。特に、ナビ基金を通じてベトナム、コンゴ、ルワンダなどの被害女性と連帯し、基金を伝達することは、ドイツ社会から多くの共感を得ています。」



コリア協議会では「平和の少女像」の存続に向け、様々なウェブ広報を進めている。 イメージはコリア協議会が掲載したウェブ広報物で「私たちは平和の像です(WIND  DIE  FRIEDENS-STATUE)」と書かれている。 Ⓒコリア協議会



少女像撤去事態の再発を防ぐための 

永久設置の議論を進めるべき  

 

ハン代表とベルリン市民の努力の末、11月5日にミッテ区議会は「少女像の設置をそのまま維持すべきだ」という決議案を採択した。 議員37人のうち28人が決議案に賛成した。 かなり早い結果だった。 しかし、ハン代表はこれに満足できないという。 「12月1日、区議会の案件として上程される内容にさらに注目しなければならない」と力を入れて話した。 



「今回の会議で上程できなかった緑の党と左派党の案件に注目しなければならない。 その案件にはミッテ区庁はコリア協議会と共に少女像の永久的な設置に向けた解決策を用意するという内容があるんですよ。 この日案件が通過して少女像永久設置のためにミッテ区と一緒に討論できればと思います」



ハン代表は、ダセル・ミッテ区長に会い、これまでコリア協議会が発刊した雑誌と展示図録も渡した。 団体で少女像を建立して日本軍「慰安婦」の問題を扱うことが日本政府を一方的に攻撃するためのものではないことも確認した。 区長はハン代表の説明を十分理解しているようで、少女像の碑文にも何ら問題がないことをお互いに確認した。 



しかし、ミッテ区としては碑文の修正が必要であるとの立場を明らかにしており、協議会ではどのような方向に修正することを望むのか教えてほしいと話した。 しかし、ミッテ区庁からは17日現在まで反応がないという。  



「区議会の決議案が採択されてから今日で12日も経ったのにまったく便りがない。 16日、緑の党の内部消息筋を通じて聞いたところによると、碑文を修正して日本大使に見られても気に入られず、日本との妥協をあきらめたそうです。 碑文を修正し、日本大使館と妥協しようとしたが、日本側は碑文の修正には関心がなく、少女像を撤去すればよいと考えているのです」 



男性政治家のカルテルを壊した 

市民社会の成功事例として残すべき 


コリア協議会で慰安婦問題を扱うのは今回が初めてではない。 

2009年9月に日本軍「慰安婦」問題についてのアクショングループが形成され、2017年12月まで、毎年生存女性たちを称えて関連行事を開催してきた。 これまで、ドイツの30あまりの都市で80回の巡回講演を行い、展示会や映画の試写会も開催した。 水曜デモ900回目、1000回目、1400回目にはベルリンで集会を開き、市民社会の声を集めた。 



今回の事態に着実に対応できたのは、これまで扱ってきた慰安婦問題に対するノウハウのおかげだ。

 事態が大きくなるにつれ、1日24時間を分単位に割って活動し、団体実務担当者3人のうち2人が休職中だが、それでもしっかりとした使命感でここまで引っ張ってきた。 



ハン代表は「団体会員や活動家たちはもちろん、積極的な支持を送ってくれるボランティアたち、フリーランスの活動家たちに特に感謝する」と伝えた。 

ハン代表は「団体運営は難しい状況で、活動規模に比べて人材が多くないため、一人が担わなければならないことが多いが、多様な世代の人々が一緒に活動しながらやりがいを感じている」と強調した。



「私たちの団体は、日本軍'慰安婦'問題を皮切りに、ドイツ、米国、ユーゴスラビア、コンゴ、ルワンダ、ヤジディ教女性など過去から現在に至るまで行われている戦時性暴力を扱う博物館を設立し、その内容を青少年たちに教える教育事業を開始しました。 

ご存命中の被害ハルモニたちがドイツに来られない状況なので、少女像を通じた教育に没頭したいです。 したがって、少女像の存続は、必ず実現しなければなりません。」



ハン代表は今回の少女像撤去事態を「男性政治家たちの沈黙のカルテル」を見事に破った事例になるだろうとも述べた。 

 


「今回の事態は男性政治家同士が握手を交わし、『少女像問題は頭の痛いことだから、ないことにしよう』と決定したのを、市民の力で覆した事例になるでしょう。

ドイツ、特にベルリンでは戦争または女性への暴力に対して原則的な批判意識があり、これに対する市民の反対の声が本当に強いです。 

コリア協議会は、そのような市民とともに二度と戦争のない世の中! 平和のために性暴力に反対する活動を続けていきます。 これからも関心を持って見守ってください」。

(訳 Kitamura Megumi)


<原文>

http://www.womennews.co.kr/news/articleView.html?idxno=204123